それは、当たり前だったから。
当たり前すぎて、気付かなかったくらいに。

―― La belle demande!

ぐらりと足元が揺れて、急激なそれに対応できなくて身体がかしいだ。反射的に喉の奥に悲鳴が浮かんで、けれどそれが口から出る前にあわてて奥歯をかみしめる。一瞬バランスを崩したのは事実だけれど、転ぶほどでもない。落ち着いて両足に力をこめたな、ら、
「……る、……アッシュ!?」
「……気を付けろ」
ふわりと背に添えられたのは彼の手で、ぶっきらぼうに耳に届いたのは彼の声だった。崩れかけたバランスを、ナタリアが自力で立て直す前に、それを支えてくれた彼は。あまりにびっくりして瞬くばかりのナタリアの顔を、やがて何とも言えない顔でのぞきこんでくる。
「自力で立てねえのか?」
「え、あ……!」
怒ったような困ったような、何とも言えないその顔は。批難するというよりも、どちらかというと叱るようなその声は。確実に、今彼にもたれかかっているナタリアを指摘するもので、それは確かにそのとおりだったから。
あわてて身体を起こす。両足でちゃんと立ち上がって、その手伝いをしてくれたやさしい声の主に顔を向ける。
苦い顔でそっぽを向いた彼は、――怒っているというよりも照れているように見えた。

「――ありがとうございます」
心からの笑顔で彼に礼を言ったなら、ますます彼は彼女から顔を背けた。けれど、鮮やかに深い深紅の髪からのぞく耳が、髪に負けじと赤いから。それでも、彼はここにいてくれてどこかに行こうとはしないから。
これは照れているものと。ナタリアは自分に都合よく、そう思うことにした。
「足元に気を付けろ。俺はいつでもおまえのそばにいるわけじゃねえ」
「そう、ですわね……本当に気を付けませんと」
思った直後の彼の言葉がすべてがそのとおりで、途端に申しわけない気持ちでいっぱいになる。

◇◆◇◆◇◆

現在地、タルタロス艦内。向かう先は音機関都市ベルケンド。
陸艦が海を行けばいろいろと不都合があって当たり前で、時おり大きく揺らぐのはきっとそのせいなのだろう。そもそも魔界に落ちたこの艦を、セフィロトの利用で無理に打ち上げたこの艦を、今もこうして普通に動かしていること自体、無茶をさせているのかもしれない。
乗っているだけのナタリアには、正直、専門外すぎて判断ができないけれど。

◇◆◇◆◇◆

「……ベルケンドまでは?」
「このままのペースなら、あと四半日というところだ。ふらふらどこかに寄り道すればその分到着は遅れるが、まあ、そんな馬鹿なことは誰もしないだろう」
「そうですわね」
一瞬、某赤い目のマルクト大佐だの某黒髪の神託の盾だのの顔が脳裏に浮かんだけれど、お茶目というには性質の悪いあの二人でも、時と場所はわきまえている。だからナタリアは彼の言葉に同意して、けれどその言葉の示す事実に少しだけ淋しくなる。

――あと、四半日。
ナタリアがルークと――今はアッシュと名乗っている、目の前の青年と一緒にいられるのは、あとたったのそれだけ。ベルケンドに着いてからの流れによってはその期間がのびるかもしれないけれど、彼は彼の思惑で動いている。用事がすんだなら、きっとあっさりいなくなってしまう。

王女としてしか動きようのないナタリアには、そんな彼を引き止めることはできない。
王女としてしか動きようのないナタリアには、そんな彼に着いて行くことはできない。

だから、彼と一緒にいられる保証は、あと四半日。
たったの、それだけ。

◇◆◇◆◇◆

「……ナタリア?」
「いえ、なんでもないですわ」
なんでもないことが彼に筒抜けなのを承知で、笑いかけたなら。何かを言いかけた彼は何も言わないままに、変な顔をしてまたそっぽを向いてしまった。
言いたいことがあって、けれど伝えることのできない彼が分かったので、ナタリアはつっこまないでおくことにする。彼も、そんなナタリアを分かって何も言わないのだと、知っているから。

――そう、知っている。分かっている。
――だって、それが当たり前だった。
何も言わなくても、相手の言いたいことが分かることが。何も言わなくても、自分の言いたいことが伝わるのが。
当たり前だった。ずっと、ずっと。

ずっと、――これからも「当たり前」のままだと、思っていたのに。

◇◆◇◆◇◆

「……そう、ですわ。あとそれだけしかないのなら、そろそろ船橋に戻りませんと」
「――ああ、そのつもりで……呼びに来た」
思いついたように、感傷を振り払って無理に明るく出したナタリアの声に、彼がうなずいた。きっと、また艦が揺れてまたナタリアがバランスを崩した時にすぐに支えられるようにだろう。横、とはいわない、半歩ほど後ろを足音が気配がついてくる。

――それは、なんて、

◇◆◇◆◇◆

いつもそばにいる。
それは当たり前だった。
それは、本当に当たり前だったから。
当たり前すぎて、気付かなかったくらいに。

先ほど自分を支えてくれた彼の腕が、いつの間にか位置が変わっていた彼の目線が。あのころとどうしても比べてしまって、たったそれだけの違和感が。
わがままにもほどがある、ナタリアの胸にこんなにも切ない。

――そばにいて。
――わたくしのそばに、ずっと。ずっと。

あのころはまるで当たり前だったことを、こうして彼にエスコートされながら願ってしまうことは。
このこころに、なんてなんて、――しくんと、しみるのだろう。

―― End ――
2007/05/21UP
アッシュ×ナタリア
OFP
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La belle demande!
[最終修正 - 2024/06/27-10:11]