もう二度と聞くことのない憎まれ口が、耳の奥に聞こえたような気がして。
彼はふっと吐息だけで笑った。

―― se sentir fatigue

仲間たちを遠ざけてから、ローレライの鍵を足元へつき立てた。足元の床は石でできているはずなのに、それがまるでやわらかいもののように鍵はあっさり突き立って、彼は何もしていないのに刃の部分がぐるりと回る。
同時に生まれた光が譜陣を描いて、そして、

◇◆◇◆◇◆

陣の上に立ったままゆっくりと降りていく彼の頭上、何かが落ちてきた。気配――はなかったけれど何かを感じた彼はそれを仰いで、まるで舞うように落ちてくる、自分と同じ姿をした自分ではない赤毛の青年を受け止める。
伏せられて、二度と開くことのない目。まだぬくもりが残っているような気がするのに、きっとすぐそれさえも喪われていく身体。意識がない――もう二度と意識の戻ることのないひとの肉体はこうも重いものか、けれどそれさえ儚いようなもののように思えて。

知っていた、けれど直に目にしてさすがに心が揺れた。
思考が瞬時に蒸発した頭で、彼はただ青年を見下ろす。

◇◆◇◆◇◆

最初に出会ったときがいつなのか、今ではもうよく分からない。ただ、バチカルの廃工場を出てその姿を目にしたとき浮かんだ、言いようもないあの嫌悪感は今もよく覚えている。
嫌って憎んで反発して、悔しくて認めたくなくて憧れた。
自分と同じ姿をして、自分の持たないいろいろなものを持っていた。広い視野と強靭な意志と考えを実行に移す行動力。約束を違えない生真面目さにいいわけをしない潔さに人からの信頼とそれに応える真摯さ。あのヴァンから弟子と認められていたのは結局青年一人で、王女ナタリアにとっての「ルーク」は彼ではなく青年のことだった。
憧れたすべては青年の生きてきた過去とその努力によるもので、だから余計に心に抱えたもやもやは大きくなった。それに気付けば気付くほど思いは複雑になっていった。
そして、
彼が反発していたのと同じくらい、いや、きっとそれ以上に複雑な思いから、いつだって口も態度も悪かったけれど。少なくとも最後、ほんの少し前に剣を合わせたあのときくらいは青年も彼を認めてくれていたと思う。
そうでなければきっと、青年はローレライの剣を彼に託してなんてくれなかったはずだ。

空白の頭でそんなことをぼんやり考えて、そして、思う。
――バカかよ、アッシュ。お前が死んじまったらこれからどうするんだ。
――おれはおれでお前はお前で、でもおれとお前は同じで……ナタリアが哀しんでるぞ。
――おれだって、そうだ、哀しいんだからな。
――約束したくせに、何でこんなになっちまったんだよ。
思いながら見下ろして、当然青年が動くことはない。やけに満足したような、つらいくせにおだやかな表情は動かない。
鼻の奥につんとした痛みが走ったのは、なぜだったのか。
彼には、その理由が分からない。

◇◆◇◆◇◆

――おれは、もう消えるのに。
――お前がいるなら、それでもいいかなって思ったのに。
――やっとそう思えたのに。
――お前は言わせなかったけど、あのときから、レムの搭のあれからおれはもう消えかけていて、イオンと同じように消えかけていて、消えたくなんてない、死にたくなんてなかったけど、それでも、おれは、
――過去も未来もないってお前は言ったけど、本当に、おれの方こそそんなもの、持っていなかったんだ。
――お前にそう言ったなら、そんなのいいわけだって怒っただろうけど……本当に、そうなんだ。
――それなのにお前は、全部知らないからって勝手に死んじまってさ。
――こんな満足そうな顔、しやがって。
――バカだ、お前。なんか言えよ……アッシュ。

ヴァンは倒した、ローレライもこれできっと解放できた。彼が彼でなければ、彼らが彼らでなければできなかったことは、きっと成し遂げられたと思う。
思うけれど、ひょっとしたら何かやり残したことがあったかもしれない。
……いや、誰だっていつだってきっと何かをやり残している。だからこそ誰も死にたくないし彼だって死にたくなかったし今だって消えたくはないし、自分と同じ存在の、彼ではない青年が生き残ったならやり残したことの半分くらいは何とかしてくれると、……思ったのに。
そんなことを思っていたことに気が付いて、その瞬間、

◇◆◇◆◇◆

――甘えるな、だからお前はクズなんだよレプリカ野郎が。

もう二度と聞くことのない憎まれ口が、耳の奥に聞こえたような気がして。
彼はふっと吐息だけで笑った。

ああ、そうだ。きっと青年が聞いたならそう吐き捨てた。自分のことは自分でしろと、自分のしでかしたことの尻拭いは自分でしろと言い捨てて、そしてそれでも何かしらしてくれていたはずだ。
彼が生き残ったら、あるいは逆に青年のやり残したことを文句を言いながらも片付けていたかもしれない。
もしもは起きなかった、もう、何もかもがどうしようもない。青年はいなくなって、彼ももうすぐ消えてしまう。
もう間に合わない、時間は戻らない。

◇◆◇◆◇◆

――仲間たちは、哀しんでくれるだろうか。

そんなことを思って、声は結局出なくてただぐるぐると思っていて、時間にしてそれはほんの数秒、あるいは一瞬だったのか。
もう一度見下ろした青年は、やはり変わらずおだやかな顔をしていた。

やがて第七音素の集まる気配がして、彼は顔を上げる。
せめて声に出してつぶやくつもりだった言葉は、たぶんそれで永遠に機会を失った。

――お疲れ、アッシュ。
ねぎらいの言葉は、きっと虚空に解けてどこかに消えていく。

―― End ――
2006/07/28UP
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se sentir fatigue
[最終修正 - 2024/06/27-10:24]