闇に白く浮かび上がる花の中、
彼女は――ただひそやかに、

―― frere et soeur

ユリアシティの自室の奥、ティアは一人ひざまずいて祈っていた。
先の旅で外殻大地と呼んでいた大陸すべてを、魔界と呼んでいたここに降ろした。今まで天を覆っていたものがすべてなくなって、昼間のこの街は以前とはまるで違った姿になったけれど。夜は、夜のこの部屋は、夜のこの花畑は。あのころと同じに見える。
暗闇の中ほの白く光って咲く花は、あのころと同じくただただどこまでも美しい。

……兄さん……。
その下には何もない空洞の墓の主、彼女の目の前で地核に消えていったひと。
……あなたは、何を目指していたの……?
誰よりもやさしく、強く大きく家族のすべてだったひと。
……わたしは、兄さんを理解したかったのに、
いつしか大きく道をへだててしまった人。
……あなたは何を見つめていたの……?
もう訊くことのできない問いを、心の奥でただくり返す。

◇◆◇◆◇◆

――弟か妹が生まれるって、そういえば昔、あいつの口から聞いたことがあったんだ。
唐突に、なぜか耳の奥によみがえった声。赤毛の青年の付き人は、あの時どんな表情をしていたのだったか。
――一回だけ、な。ホドの――オレの屋敷で。庭で、だったかな。
ただ、遠い遠い目をしていたことだけはよく覚えている。
ホド――彼女の知らない彼女の故郷、見えないそこを見るように、兄が剣を捧げたという彼はきっと遠い過去を見る目をしていた。
――あいつ、昔から……まあオレの知る限り、昔から基本的に変わってなくてな。
――いつも誰かに頼られて、誰かを守って誰かの前に立って、なんていうのかな……ああ、だったんだ。
――オレよりいくつか上ってわけで、当時十分ガキだったんだけどな。
――それでもまあ、たいていは落ち着き払ってて何でも分かったような顔してて、実際たいていのことは分かってた。
――そんなやつが、なんだかすごく嬉しそうで、いかにも楽しみだっていう、わくわくしたようなガキっぽい顔でさ。
――普段見ない顔だったから、そうだな、びっくりしたんだっけ。
ぽつりぽつりと思い出すままに、つぶやくままに。口元は笑みを刻んでいた、遠い過去を見る目は――そうだ、同時にどこか淋しそうだった。
――そうかおまえは兄貴になるのかって、そんなこと言ったなら、今でもおまえの兄のつもりだ、なんて言われたよ。
――けど、生まれてくる弟か妹は特別だろって……なんでだったか悔しくて返してさ、まあ今思えばくだらない嫉妬心とかそのへんなんだが。
――やつはただ、笑ってた。
――嬉しそうに、笑ってたんだ。

他人の口から聞く兄の話は、それが今まで聞いたことのない人からの話だとなおさら、不思議に聞こえた。ティアがものごころついたころから、その前、彼女がこの魔界で生まれたときからヴァンはヴァンで、その兄が幼い顔で楽しみだと笑う姿は、正直今でも思いつかない。
だからただきょとんとする彼女に、彼は青い目を細めて笑った。

――お互い死んだと思ってたけど、ファブレ公爵家で再会してな。
――あとはまあ、表面的なあれこれの他に影でもこそこそやってたわけなんだが。
――それ以降はあんたの話、その片鱗さえあいつは見せなかった。
――まあ、その……ホドが、島ひとつが崩落したわけだろ、忘れたそれ思い出させるからかな、とか、こじつければそんなのが思い付くけどさ。
――でも、オレは思うんだよ。
――あいつとオレとの関係は、血なまぐさいことに直結するようになってたから、
――そんな不吉なことに、ティア、おまえさんを関わらせたくなかったんじゃないか、ってな。

◇◆◇◆◇◆

やさしかった兄、人よりティアよりずっとずっと未来を見据えていた兄。
その兄は未来に一体何を見ていたのか、だからあんな無理や無茶を重ねたのか。
――今ではもう、訊ねられないけれど。

――あいつもあれで、潔癖なやつだろう? まったく……ヒトのこと言えねーっての。
――だから、まあ、……守りたかったんだろうなって、思うんだ。
――そう、思うことにした。
――確信はあるぜ? 根拠はないけどな。
――ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデはメシュティアリカ・アウラ・フェンデを確かに愛してたんだ、ってな。
――醜いものつらいものには一切触れさせたくなくて、傷つけたくなくて守りたくて、ただただやさしく包み込むみたいに無償の愛を注いでたんだろう。
――何かを説明して、説明するために自分の口から出るその言葉すら、おまえさんに聞かせたくなかったんだろうな。
――……馬鹿、だよなぁあいつ。

遠い過去に、あるいはそれよりも近い過去に呆れたように微笑んだ顔。喪われたものをなつかしむ、惜しむ笑顔。
それは彼なりの決別だったのかもしれない。
あるいは純粋に、今にも倒れそうだったティアを気遣ったのかもしれない。
――おまえは愛されていたよ、と。
――自分で知っている以上に、誰かの口から聞かせたかったのかもしれない。

◇◆◇◆◇◆

……兄さん、だから?
……ガイのあの言葉は、本当だと思っていいのでしょうか。
……兄さん、兄さんは本当にわたしを、
……愛していた、から、だから何も言ってくれなかったのだと。
……そんな風に思っても、いいのでしょうか。

――ティア、おまえさんはあいつに、ヴァンに確かに愛されてたよ。
――これ以上はないほどにな、ああ、オレが保障する。

頭の中にやさしい声がこだまする。
あの深い声が、強くてやさしかった兄の姿が、自分と同じ、自分よりも深い深い蒼が。
心の中によみがえる。

……兄さん、誰よりも大好きだった兄さん。
……あなたは、一体……??

闇に白く浮かび上がる花の中、
彼女は――ただひそやかに、

ただ、

―― End ――
2006/08/05UP
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frere et soeur
[最終修正 - 2024/06/27-10:24]