そんなに背を丸めて歩くことなんてない。
もっと堂々と胸を張っていればいいのに。

―― sourire resigne

薄暗い、広さの割に光の足りない教団の廊下。角を曲がったなら、見知った人影がとぼとぼと歩いていた。珍しく誰も――魔物を一匹も引き連れないで、細っこい人影が、淡い紅の髪を揺らして背を丸くして歩いていた。
時おり何かを探すように、立ち止まってはきょときょと周囲を見渡して。
見つかりたくないから、見たくも見られたくもないから気付かれないうちにもと来た道を戻ろうとしたアニスに、
けれど運悪くタイミング悪く、人影の方が気付いてしまったらしい。

「アニス、アリエッタの帽子知らない?」
「何やだ根暗ッタってば持ちものかくされたの?」
駆け寄ることはなく、けれどゆっくり歩いてくる彼女がどこまでも心細い声を上げる。何を言っているのか聞いていないはずなのに、アニスの口が勝手に動いて何か言葉を返している。
足が止まって、まだまだ離れた先。ぐっと息を呑むような音がして、
「……アリエッタ、根暗じゃない」
「えー、事実でしょおー? だからイジメられるんじゃないの?」
ああ、いやな笑みだ――と思った。
思ったけれど、もうどうにもならなかった。
アニスがどう思っているかなんてきっとまったく気付かないアリエッタが、多分首でも振ったのだろう、長い髪が広がって、
「アリエッタいじめられてなんか、ないもん!」
涙声が鋭く耳を打つ。

◇◆◇◆◇◆

確かアニスよりも三年ほど年上のはずなのに、身長も身体つきもアニスと大差ない姿。自分のことを名前で呼ぶ上、どこまでも舌足らずな言動。思考も幼くて一度にひとつのことしか考えられなくて、やさしくされたから、なんて理由で簡単に人を信じることができるお気楽なところ。
魔物と意思を通じさせる特技、舌足らずなくせに思考は幼いくせに強力な譜術を扱うだけの知能、導師イオンに特別扱いでかわいがられているアリエッタ。
多分彼女のすべてが、アニスのカンにさわる。

主に両親のせいで年齢よりも大人びている自分を、アニスは分かっている。見た目はともかく思考も言動もすっかり大人並みの自分を自覚している。わざと子どもぶって、大人の保護欲を刺激しようだなんてあざとい真似も、いつの間にかすっかり身に付いていた。人の目線や言動から、全部ではないにしろその相手が何をどう思っているのか、目ざとく気付く自分になっていた。
そうなりたくて、そうなった。けれどそんなもの身に付けたくはなかった。
年齢並みに幼くいられたならどんなに良かっただろう。年齢以上に幼くあって、それでも許されたならどんなに良かっただろう。
自分が周囲にどう見られているか即座に悟ったりしなくても、それに沿った「アニス」を演じることで大人のウケを良くしなくても、知っていて知らないふりでわざと子ども扱いされなくても、そうして油断させてあわよくば、なんて。
アニスは今の自分に満足している。けれど、彼女を、アリエッタを前にすると。

分かっている、これは嫉妬だ。年齢並みに幼くて、年齢以上に幼くて、それを許されるアリエッタに嫉妬しているだけだ。許されていることを知らなくて、卑屈になっているアリエッタに苛立っているだけだ。ほしくて得られない自分と、知らないのに得ているアリエッタと、その違いが悔しいだけだ。
知っている、分かっている。
けれどアリエッタはそれを分かっていないから、

◇◆◇◆◇◆

「あーやだやだ、自覚ないんだ」
「アリエッタ根暗じゃないもん、いじめられてないもん! 何でアニス、アリエッタに意地悪ばっかり言うの!?」
――だって、なぜ気付かない。自分が恵まれていることに、どうして気付かない。
「えー、別に意地悪じゃないよぅ。だって事実じゃん」
「嘘つかないで! 意地悪いわないで!! アニス、なんで、」
――逆立ちしたってアニスにできないことを、他の誰にも真似できないことができるくせに、どうしてそうも卑屈になる。
「どうしてー、とか、なんでー、とか。アンタそればっかじゃん。自分で考えなきゃーダメダメだよ」
「アニスのばかぁ! ひどいことばっかりいわないでよぉ!!」
――憧れるすべてを持っている相手に卑屈になられたら、憧れているこちらは馬鹿みたいではないか。虚しいだけではないか。

「ひどくなんてないじゃん。ちゃんとはっきり言ってるだけ、親切でしょ?」

◇◆◇◆◇◆

アニスには魔物と意思を通じさせるなんてできない。まだまだのびしろはあるにしろ、アリエッタの扱う譜術にアニスはまだ到底追いつかない。導師の信頼を得ようにも、かの人はアリエッタ以外には基本的に心を閉ざしている。
アニスにできてアリエッタにできないことは、果たしてどれだけあるだろう。
だから。

そんなに背を丸めて歩くことなんてない。
もっと堂々と胸を張っていればいいのに。

◇◆◇◆◇◆

耐えられなくて、背を向けた。ひとり不幸ぶっているアリエッタが悔しかった。誇ってくれれば反発できるのに、卑屈になられると胸のどろどろが増えるばかりで。それでもそんな彼女に憧れている自分を思い知るだけで、それはとてつもなく自己嫌悪を誘って。
それでも確実にそれに気付かないアリエッタが、そうと分かっているからなお、

分かっている、これは嫉妬だ。
分からなくても許されているアリエッタに対する、誰にもどうにもできない単なる嫉妬だ。
この程度の意地悪、したっていいと思う。それよりひどいことを、アリエッタはアニスにしている。どこまでも無自覚に。だから始末に終えない。

背後でアリエッタが何かわめいている。全部聞き流して、アニスはただひそやかに笑う。
きっとものすごく情けない、醜いゆがんだ、あきらめきった笑みだなんてちゃんと分かっている。

醜い嫉妬に、何よりアニスの胸が苦しい。

―― End ――
2006/08/09UP
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sourire resigne
[最終修正 - 2024/06/27-10:25]