そうだ、きっと知っていた。
彼は彼なりに、ちゃんとちゃんとやさしかった。

―― expression pudique

白く輝く雪の中、昔の約束を、約束の言葉を彼にねだった。
一度しか聞いていない、それも盗み聞きしていただけの言葉を、ルークは一言も間違えることなく言ってくれた。まっすぐに彼女の目を見て、これ以上はないほど真面目な顔をして、うっかり間違えてしまいそうなほど真剣に言ってくれた。
嬉しくて切なくて哀しくて、
だから、ナタリアは微笑んだ。

◇◆◇◆◇◆

誘拐されて帰ってきたルークは、何も覚えていない別人だった。別人だと知らないあのころから、きっと心の奥底はうすうす感じ取っていた。
――彼女の焔は、ここにはいないのだと。
認めるには、けれどそれはあまりに哀しくて。
だから顔を合わせるたび、口癖のように約束を思い出せと迫った。思い出してくれさえすれば自分たちはあのころに戻ることができるのだと、何もかもが満ちていた幸せな日々に還ることができるのだと、愚かなほどに信じていたすがっていた。
記憶がなくても、別人のようでもルークはルークだと。あの約束をくれたルークに変わりないのだと。
信じて、ただ信じて。
思えば、彼女はルークしか見ていなかった。約束をくれたあのルークしか見ていなかった。

彼と同じ背中を呼び止めかけて、その無意味さにナタリアは首を振る。彼女が何かを言いかけたことを察したのか、ふと振り向いた碧になんでもないと首を振って、彼女の方から背を向ける。

ないものねだりしていたのは彼女、ひどいことをしたのは彼女。
今のルークが彼女を必要としないなら、ルークの隣に彼女の居場所はない。共にいたくないと彼が言うのなら、彼女は素直に引き下がらなければならない。

◇◆◇◆◇◆

ルークがルークでなくなって、けれど七年の間彼女のそばにいたのは記憶のないルークだった。十年間のルークにだって、互いにものごころつくまで数年かかっている、だからつまり昔のルークも今のルークも大体同じくらいの年月一緒に過ごした勘定になる。
その同じだけの年月、しかしナタリアはルークを見てはいなかった。思い出してくれること願って、盲目的にそれだけを信じて自分の勝手な感情を押し付け続けた。
彼は、本当の本当はそんな彼女に一体何を思っただろう。

彼も彼女も周囲も、記憶は失われているだけと思っていた。
だからだろうか、うっとおしいと言われたことはあっても会いたくないと避けられても、彼はナタリアを一度も拒絶したりはしなかった。勝手なだけの彼女を怒ったりしなかった。
いや、きっと違う。
わがままで無分別で王族としての自覚のない気ままなルークにも。やさしさはあった、だからこそ。だからこそ決して好いてはいなかったナタリアを、受け入れることはなかったけれど、それでも拒絶しなかったのだ。

そうだ、きっと知っていた。
彼は彼なりに、ちゃんとちゃんとやさしかった。

◇◆◇◆◇◆

明日にはこの街を発ってアブソーブゲートに向かう。彼がいまだに師とあおぐあの男はきっとそこにいて、多分その地が決戦の舞台になる。

さくさくと足音がゆっくり遠ざかって、きっと彼は他の仲間たちの元に行ったのだろう。
あるいは、あの亜麻色の髪の乙女の元に。
ルークを拘束する自由はないのに、しくんとナタリアの心が痛んだ。幼馴染に違いない彼が自分からはなれていく感覚に、なぜだか心が痛い。はじめて心が痛い。
本当に気付かなかった、心を押し付けていた申しわけなさとは別に。
約束の言葉を言ってくれた彼が嬉しいのに。
しくしくと心が痛くて、けれど痛いという権利なんてないと知っていたから、ナタリアは唇をかむ。

顔は同じでも昔のルークと今のルークは別人で、分かりにくいやさしさは似ていても実際やさしさの示し方は違っていた。
別人だと知らなかった、なんていいわけだ。
やさしさはやさしさで、彼はやさしくて、それは事実で。
それを認められなかったのは、ナタリアで。

◇◆◇◆◇◆

「――あのさ、ナタリア?」
「っ、は、はい!? どうしましたのルーク、何か忘れものでもしたのですか??」
心が痛くて自分の痛みにかまけていて、彼が戻ってきたことに気付かなかった。声をかけられてはね上がって、声をかけたルークの方がなんだかびっくりしている。
「……いや、別になんでもねーけど。
雪ん中でさみーだろ? 適当なところで戻れよ、おまえ考えごとしてると時間忘れるから釘刺しとこうと思って」
「まあ、失礼なことおっしゃらないで」
「事実だろ?
……そんだけ。じゃな」
言うだけ言って、失礼なことを言って彼が再びあっけなく背を向けた。後ろ手にひらひらと手が振られて、そういえば彼の言葉通り鬱々と時間を忘れて考えごとをしていたのに、先ほどのやりとりで黒い気持ちが霧散していた。

……ああ、やはりやさしい。ちゃんとやさしい、それはたとえばひどいくらいに。

思って、口元はきっと笑みの形にゆがんで、ナタリアは、
「――ルーク!」
「……ん?」
思わず、今度はちゃんと声が出ていて彼を呼び止めていた。身体はまだ向こうを向いたまま、顔だけ彼女に振り向いた碧にきっと多分笑いかけた。

――ありがとう。
どちらなんて選ぶことのできない、やさしいルーク。
――本当にありがとう。

わたくしの大切な焔。

―― End ――
2006/08/19UP
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expression pudique
[最終修正 - 2024/06/27-10:25]