細い背中は、
けれどいつだってまっすぐにのびていて。
「……相変わらずですのね、ここは」
「そだな」
ほこりっぽくてそのくせ時おり油くさい、よどんだ空気にナタリアがつぶやいた。まったく同感とルークがうなずいて、ゆらりと視線を泳がせる。
縦横無尽に走る通路がダクトがそんな彼の視界をさえぎって、そもそも明かりが圧倒的に足りなくて、――なんだか今視界を横切っていたのはコウモリの魔物だろうか、それとも単に気のせいだろうか。
「昔はここも稼動してたんだよな?」
「ずいぶん前に閉鎖されましたけども、それは確かですわ。
……このほこりっぽさが使われなくなったせいだと信じたいものです。このような場所、働くには条件が悪すぎますもの」
光の、と称される王都バチカル、その下層部にあるバチカル廃工場。
――今度視界を走っていったのは、果たしてネズミか何かだったのだろうか。
タタル渓谷がルークの冒険の原点なら、ここはきっとナタリアの冒険の原点だった。
ひょいひょいと相変わらず早足の彼女のあとを追うように、その細い背中にルークはぼんやり考える。
――あの時は、おれ、ほんとにダメなやつだったんだよなー。
では今はどうか、と訊ねられたならきっと何も答えられないけれど。少なくとも今ふと思い返した過去の自分、最初にここに足を踏み入れたあのときの自分は、本当に本当にどうしようもないやつで。
――師匠にあれこれ言われて、全部丸ごと信じて疑いもしないで。親善大使という言葉に偉そうな役目に浮かれていて、
ぐらり、何かに足をとられたのか足をすべらせたのか、かしいだ背中にあわてて手をのばして、――けれど彼女は何ごともなかったようにすぐにバランスを取り戻した。
――冒険の最初に見たのがそんなおれで、ナタリアはいったい何を思ったんだろう。
役に立たなかった手を、彼女に気付かないうちに引っ込めながら。そんなことを思う。
「ええと……ここの通路は通ったんだよな。あの時行けなかったのは、と」
「ルーク、あちらに、あの高い場所に。途中で切れた梯子に見えますけれど」
「ボクがんばるですの!」
のんびりぐるりと周囲を見渡して、ナタリアが何かを見つけてミュウが騒いで。天井を走る通路によじ登りながら、ルークはつらつら考える。
そもそもあのときの情けない姿以前に。
七年もの間、最初からなかった記憶が一時的に失われたものだと信じていた間、たとえそう信じていただけにしてもナタリアは過去のルークを見捨てたりはしなかった。それだけアッシュ――本物のルークが彼女の中に大きな存在だったとして、けれど。
けれど今思い返したなら情けない存在でしかない過去の自分に、ナタリアは絶望しなかったのだろうか。アクゼリュス以前に、本当に、一度も……?
「ルーク? 先ほどから何を考え込んでいますの」
「え、いや。……なんでも、」
「なんでもなくはないでしょう? わたくしに話せないなら、別に無理に聞き出そうとは思いませんけれど」
ふと振り返った目に、笑みを浮かべて首を振る。仕方がないですわねとナタリアが息を吐いて、――昔ならきっと問い詰めて無理にも白状させようとしただろうに。
「ナタリアはさ、」
そんなことを思っていたら、するりと言葉が出ていた。あ、やべ、と思っても一度声になった言葉が引っ込むはずもなく、首をかしげる彼女に仕方なく続ける。
「なんでおれを――昔のおれを見捨てなかったんだ?」
何も知らない、わがままで気ままなだけの彼に。王族であることを忘れないように、と口癖のようにくり返していた彼女は、それを言うことができるだけの義務を責任を果たしていて。そんな彼女から見れば、自分はなんて情けなかっただろう。
なぜ、彼女はそんな彼を見捨てなかったのか。
「まあ、ルーク。そんなことを?」
「そりゃ、まあ。……さっきだって労働条件がうんぬんなんて、おれ、思いつかなかったしさ」
振り向いた細い背中は、けれどいつだってまっすぐにのびていて。軽やかな足取りで一気に距離をつめてきた彼女にぎくりと背筋を正したなら、強い目がやわらかく笑う。
「しっかりしてくださいな。
……それは今思えば、確かにあのころのわたくしは焦っていましたけれど、けれどあなたが屋敷に軟禁されている間、一度だって見捨てようだなんて思いませんでしたわよ?」
「なんで、」
「自信をお持ちなさい。……親善大使になってからのあなたは、確かにまあ、……わたくし、呆れましたけれど。けれど、」
「けど?」
「口は悪くて態度は悪くて服の趣味も……良くはないあなたですけれど。アッシュとあなたはやっぱり違う人間ですのね、あなたはあなたなりにやさしくて。
だからわたくし、あなたを見捨てるなんてしませんわ。これからだって」
「……っ、な、」
「あなたもわたくしの大切な幼馴染ですのよ? 自信をお持ちなさい。ルーク」
よどんだ空気が、彼女のたった一言ですべて吹き払われた感じがした。ほこりっぽくて油くさい暗い中、彼女の冒険の原点から、彼女は明るくまっすぐで――どこまでも強かった。
――かなわねえよなあ。
ため息を吐き出したなら、あらどういう意味ですのと眉がつりあがる。違う違うおまえじゃなくて、といいわけをしているうちに、ひょこひょこと勝手に先を行っていたミュウが魔物に追い立てられてこちらに走って戻ってきた。
やさしい、なんて。以前からやさしかったなんて。
彼女にいわれる自分だとは到底思えないけれど。
先を行く細い背中に彼はただ並び立つ。
――勝てるはずもないけれど、絶対に負けられない。
ただただまっすぐにそう思っておく。
