ひたむきに責務を果たしている人間には。
たとえ彼でさえ、肩入れをしてやりたくて。
「……おや、何かの報告ですか?」
カイツールの軍港、早朝。
白い鳩を数羽はべらせて駐在兵と何か談笑している彼女に、ジェイドはふと声をかけた。死霊使いの名はつくづく知れ渡っているらしい。あからさまに顔をこわばらせた駐在兵に微苦笑を浮かべて、けれど彼が声をかけた彼女は優雅に振り向くと、いつものようにごく自然に華やかに笑いかけてくる。
「あらジェイド、早いですわね。よく眠れまして?」
「年寄りの朝は早いものですよ。旅慣れた身には、哀しいことにあのベッドがやわらかすぎたのかもしれませんが。
――ナタリアこそ早いですね」
「まあ」
口元に手を当ててくすりと笑ったナタリアは、いつものように口元だけで笑う彼に手にした紙を――鳩に持たせるために小さく折りたたまれたものをちらりと見せて、
「これが気になりますの?
直接見聞した各地の情報をまとめたものですわ。旅は不便なところもありますけれど、逆に利点もあります」
「ほほう、相変わらず仕事熱心ですね」
本気で感心すれば、ますます華やかに笑う。
「王女ですもの、どうしても気になってしまうだけですわ。性分、なのでしょうね」
「たとえそうだとしても大したものですよ」
言った彼に目が笑って、そうして彼女は、ちょっと失礼いたします、と彼に断るといまだこわばったままの駐在兵に向き直った。彼女の手渡した報告書にあわててうなずいた駐在兵が鳩に手早くそれをくくりつけて、数羽を一気に放つ。
明けたばかりの空に白い鳩たちはやがて点になり、そのうち空にとけて見えなくなって。
見送って振り向いた彼女はどこかいたずらっぽい目をしていた。
「ジェイドはマルクトに連絡しませんの? 我が国の機密、今のあなたならかなりのところまで知ることもできるでしょう」
――今のあなたなら。
――王女と、あるいは仮にも公爵家嫡男の青年と行動を共にしているあなたなら。
確かに、キムラスカとダアトとマルクトと。各国に重要な地位の人間が集まっているこのパーティに同行している今なら。軍服を脱いで、彼らの仲間だここを通せといったなら大抵の重要施設に入り込むことができるだろう。大して苦労することもなく。
まあ当のジェイドもマルクトの要人なわけで、仲間たちがたとえばその気になれば自国の重要施設に入り込まれるということでもあるけれど。
とりあえず彼女の言葉の裏にジェイドは苦笑する。
「私にはスパイの真似をする趣味はありませんよ」
――そういうものは本職に任せることにしているんです。
笑う彼女はやはりおかしそうに肩をふるわせて、
「その気になったならしそうですわね」
「これは心外ですねえ。そういうせせこましいことを好みそうに見えるのですか?」
「見えませんわ」
そしてやはりいたずらの笑みは消えない。
「けれどあなたは、必要なら何ごとであれためらいませんでしょう?」
まっすぐな問いかけは怯まない、あるいは断定は。
「……やれやれ、私はそんな人間に見えますか」
一拍息を呑んだことを果たして知られたのかどうか、再び大げさに肩をすくめる彼にナタリアは笑っている。
どこまでも華やかに、影なんてどこにも存在しないままに。
……それは先ほどから彼の心のどこかをざわめかせて。
「知ってしまえば、案外分かりやすいものですわね? あなたの知識量には、もちろんかなうはずもありませんけれど。
――少なくともわたくしのこの目には、あなたはそう映っていますわ」
確かに笑っている、けれどどこまでも強い目は。先ほどから彼の肌をどこかあわ立たせて。
「目的のためには手段は選ばないと?」
「いざとなったならどんなものごともあっさり斬り捨てられますでしょう?」
「……激しく否定したいですね」
「まあ」
多分彼女の存在そのものが。決して外には見せないけれど、彼の何かを落ち着かなくさせて。
錯覚に違いないその感覚に、ジェイドはただ口の端を持ち上げた。
「……可能でも、まあ、しませんよ」
――ひたむきに責務を果たしている人間には。
――たとえ彼でさえ、肩入れをしてやりたくて。
「この国には、あなたがいますからね」
――その気の強い笑顔を、醜いことで曇らせたくはなくて。
ころころと機嫌よくナタリアが笑う。多分ジェイドも、いつもと違ってちゃんとした笑いを浮かべている。
まっすぐな空には。
この金髪の王女は、きっと何よりも似合っている。
