「レザード、あの……やっぱり! やっぱりわたし自分で……!!」
旅慣れないイイトコのお嬢さんもそろそろ旅に慣れてきて、どこへいったかも分からない宝珠を求める旅に目的が変わったところで、今日は久々に屋根のあるところで休むことができる。ちゃんと火の入った食事をたらふく食べて胃もくちくなり、ついでに少量とはいえ酒まで入ってかなり気分が良かった。
そんな気分の良さをだいなしにする女の悲鳴に似た声に、上機嫌で散歩なぞをしようと廊下に出たルーファスは、げんなりと顔を上げてからそれを見て、なんだかわけが分からなくて首をかしげる。
ほんのりとというかだいぶ顔を紅く染めたイイトコのお嬢さんことアリーシャと、先日から旅に同行しはじめた王宮魔術師の――ええと、レザード。二人がもみ合っているのはどうやらまっ白な布地のようなもので、かなりもろいものらしくて引っ張り合うにも互いに遠慮している。ような。
「……なにやってんだあんたら」
面倒ごとからは全力で脱兎、がデフォルトの彼がそんな声を上げたのは、単に気分が良かったからだったのだけれど。
「ルーファス! ええと、……なんでもありません!!」
「ああ、丁度いい、アリーシャさまの説得を手伝ってください」
ほとんど同時の真逆の言葉に、なんだかまっさきに。
声をかけずに素直に部屋に戻れば良かったと、後悔した。なにしろもう逃げられそうにない。
「……とりあえず部屋に戻れよ。ここで騒いでたらどんどん人が来るぞ。こなくても人の目が痛え……すでに」
「は、はい……」
この隙にと二人がそれぞれ布地を引っ張ったのが見えたけれど、見えないふりをして――確かアリーシャの部屋だろう野郎三人の大部屋よりも値の張るツインの部屋に戻る。
「……で?」
「だからレザード、わたし、自分で洗濯くらいできますから……!!」
「先ほどもご説明したでしょう、それでは、」
「――オレ巻き込んどいて説明もなしかよ。まあいいや、じゃあ部屋にもど、」
ふてくされたふりをして、実際はこれ以上係わり合いになりたくなくて、逃げようとしたけれど。くるりと振り向いたレザードの、眼鏡の奥の笑顔は決して笑っていなかった。いや、笑っていたかもしれないけれどなんだかものすごく怖いものだった。
思わず怖気づいたルーファスに、たとえば薄い布地が立てるようななにか軽い音がして、なんだろうと顔を上げればそこには広げられたまっ白な、
「……ぇ、」
「同じ説明はしたくないのですが」
「れ、レザード!?」
やれやれとため息を聞いた気がしたけれど、それの正体を悟ったルーファスの頭の中はそれと同じくらいに真っ白になって、あわてたアリーシャの声すら届かなかった。何ごともなかったかのようなレザードの声だけが淡々と、
「素人目にも判断つくと思いますが。こちら、純粋まじりっけなしの絹です」
端に真っ赤になったアリーシャがしがみついていることを感じさせない優雅さで、しゅるりといかにも高級そうな音を立てながら一度ひるがえしてみせるレザード。
「私もあまり詳しいわけではないですが、原料自体とってもおそらく最高級、とつくものでしょうね。単純に紡いだ糸も美しいはずですが、さらに違和感なく白だけを抽出した技術からしてすばらしい。それを織り目さえ一見分からないほど緻密に、かつ軽やかに織り上げた――たったこれだけでも、ディパンの、他国の通髄を許さないという言葉にうなずくしかありません」
――触ってみろとか言われないだけマシだろうか。
現実逃避以外の何者でもない思考がルーファスの脳裏にはじける。
「さらに特筆すべきはこちらのレース。華美になりすぎず、いっそ一見地味といっていい図柄を選びながらも見過ごすことのできない存在感。こうして間近に拝見すれば、その理由もうなずけます。熟練の職人によるものでしょう、まぎれもなく。それがふんだんにあしらわれています」
力強くうなずいてみせるレザードから、今もぐいぐいとそれを抜き取ろうとしているアリーシャだけれど、もちろんそんなことは無理だろうと見ているルーファスも、たぶん実行しているアリーシャ本人も分かっていた。それでもそうせずにはいられない気持ちも、なんだか二人で共有しているかもしれない。……嬉しいとか、そういう気持ちが欠片もわかないけれど。
「そうして、揃った材料からしてさすが王室御用達というものです。それに加わるのは、見た目に美しく、縫い目さえ無用に肌を刺激しないだろう縫製技術。……いい仕事をしています」
ああ……、などと熱っぽく感動されても困る。
逃げてもいいものかと思わず目で訴えかけたけれど、お願いです助けてくださいとふるふる首を振られてしまった。別に生命の危機とかはないのでここで逃げてもかまわないというか、逃げない義理はないはずなのに、そうされてしまうとどうにもこうにも見捨ててはいけない使命感めいたものが燃え上がる。
いくら燃え上がったところで、この魔術師に対抗できるものでもないとはいやというほど分かっているけれど。
「これこそ、まさに完璧。足りないものも、過ぎたものも何ひとつない。宇宙の真理がここにあります。こうして評する言葉すら、なんて余計なものなのでしょう」
――だったら説明してくれなくてもいい。
思ったけれど、言えるはずがなかった。むしろ、なにを言ったらいいものかまるでまったく分からない。
「そしてもちろん、こんな見事なものを当たり前のように着こなしているアリーシャさまも。さすがとしか言いようがないわけなのですが」
「ですから、これはわたしのものですから! 洗濯はわたしがします。城にいたころとは違うのですから!!」
「……何度同じことを言えばいいのですか」
ああ、本当に何度も何度も堂々巡りしたんだろうなー、ルーファスは思った。言葉では結論が出なくてお互い一歩も引かなくて、実力行使に問題のブツを持ち去ろうとしたんだろうなーお互い、などと続けて思った。
やはり先ほど声かけたのは大失敗だったなと。思ったけれど、だからこれからどうしたらいいのかはやはりどうしても思いつかない。
「だって、……レザード、あなたの言うことももっともですけど!」
「宿の女性の方にこんなもの見せたなら、やましくない心にも欲が走りますよこんな逸品」
「だからわたしが洗濯をします!」
「お言葉ですが!! 自分のことは自分でという、そのお考えは大変立派なものですが!
――すでに一枚、破いているでしょう」
……なんでお前がそれを知っている。
思ったけれど声に出さないツッコミ、はじらいに赤かった顔をさらに真っ赤にうつむくアリーシャ。
元から洗濯などしたことなさそうなこの世間知らずのお嬢さんにこんな絹の高級品を任せたなら、大惨事は目に見えている。むしろ結果どうなったかの実例さえある。
長々した説明を聞いているうちルーファスに任されても困るだけというのはよく分かった。もちろん、忠誠心だけなら群を抜いているけれど無骨に違いないもう一人にしてもまったく同じことだろう。なにしろ、そんな繊細なものの手入れの仕方なんて知るはずがない。忠臣の当然の教養に、そんなものは入らない。
そうして考えるなら、知識だけなら誰よりも抜きん出ているこの宮廷魔術師に任せてしまえば、一番問題ないことはたぶんアリーシャも分かっている。分かっているけれど、だからといって男に違いない相手にあっけらかんと任せることができないことも、なんだかしみじみよく分かる。
なにせ。
モノは、アリーシャの。
――身に付けていた、下着だから。
「……とりあえず、それはそれとしてここで新しいの買ってみたらどうだ?」
「汚れは早いうちに取るのが掃除洗濯の鉄則です! それに今まで絹しか身につけていなかったアリーシャさまに合う木綿の品なんて存在しますか!!」
――やけに詳しいな。つか、生々しいからいいかげんやめてくれ。
逃げに走った代替案は即座に却下され、いよいよいたたまれなくなったアリーシャが歯ぎしりまでしてひっぱる手に力を入れて、そろそろ破れるかいっそそうなればこんなばかげた言い争いともおさらばかとルーファスの目は遠いところを見たまま動かなくて、
「……何ごとだ!? 姫の悲鳴が……!!」
さらに事態をややこしくする忠臣がばたばたと乱入して、どうしてくれようと彼はがっくり肩を落とした。
表に出てこない賢い戦乙女の末妹が、このときこれほど恨めしかったことはない。
