最初から危なっかしい彼女から目がはなせなかった。
最初は、むしろ目を離すと一緒に行動している自分が被害をこうむりそうだったから。
そう、――最初はただそれだけだった。

―― やまべ

「……ぁ、ッ」
小さく上がった声が、なぜか聞こえた。周囲は灼熱の嵐、ごうごうと熱風が吹き荒れてろくに耳なんて利かなかったくせに。立ち込める熱気のせいで頭が朦朧として、自分の足元さえふらふらおぼつかなかったくせに。
聞こえたから振り向いて、そこにはいかにも足取りが不安なアリーシャがいて。
何も考えなかったのに、手が出ていた。バランスをとるために、もしくは身体を支えるものを探して、うろうろしているその手をとっていた。
うつむいて足元ばかりを見ていた顔が、はっと持ちあがって。蒼い目がまっすぐ自分を射たなら、吸い込まれそうな蒼の深さにくらりとめまいがして。その時になってはじめて。
その彼女に触れている自分の手に、気が付いた。

女は、苦手なのに。
生まれてからずっと、緑の中のかたちのない檻の中、家畜扱いでただ彼の身体だけを生かし続けてきたエルフたちが女だったから。それを連想させる女というイキモノはたとえ頭がどう理解しても、魂が苦手としているはずなのに。

それなのに、触れた手がやわらかくて、とても儚いものに思えて。
蒼い目にまるで吸い込まれそうで、驚いた無垢な顔がなぜかとても愛らしくて。

◇◆◇◆◇◆

――というようなことをなぜだかいきなり思い出してしまい、野営のために火を起こそうとしていたルーファスは凍りついた。
周囲はうっそうとした森で、夜にはなっていないもののそろそろ夕刻だし、火が起きていない以上めぼしい明かりはない。ぱっと見られた程度なら、きっと変わったこの顔色に気付かれることはまずないだろう。どうでもいいそんなことが頭の隅のほうで駆け足で過ぎ去りつつ、それ以外の大部分はわけの分からないぐちゃぐちゃで塗りつぶされている。水分なんて今日の火山洞窟ですべて蒸発しきったと思ったくせに、いやな汗が浮かんではいやな感じに流れて、たぶん顔から血の気が引いていて、そのわりに発火しそうに熱くてなんだかどうしようもない。

こんなこと、ずっと忘れていればどれほど平和でいられたことか。さきほど周囲を気にした頭の隅が今度は現実逃避をしたいのかそんなことを思って、それはそれで真実ながら、けれど頭の大部分はまだまだまったく復活しそうにない。
こんな風に凍り付いていたなら誰かに気付かれるぞそれが一番まずいだろうと、相変わらずか細い糸のような思考がひとすじ、走ったのをまるで見計らったように。

いつの間にかシルメリアと中身交代していて、けれど結局倒れたアリーシャを、まったく役に立たないながら蚊帳の外で心配していた気配がいくつか。
なんだか戻ってきた。

◇◆◇◆◇◆

「――どうしましたルーファス? 手が止まっていますが」
「うわあ!?」
気配には気付いていたのに、なぜだか驚いた。思わず跳ね上がって持っていた木片が景気よくあちこちに飛び散って、驚きのあまりうっかり涙目になりながら声の方を向いたなら、なぜだか笑顔の元・宮廷魔術師。
「よろしかったらかわりましょうか。……あなたが火を起こすよりも、私が呪文を唱えた方が早いでしょう。木もどうやら散らばってしまいましたし」
「あっ、あんたがいきなり声かけてくるからびっくりしたんじゃねえか!!」
どもったのには気付かれたくなかったけれど、たぶんばっちりバレていると思う。思いながら、あとはまだ復活しきっていない動揺を引きずりながら、どうしたことか頭が働かない。
「――うるさいぞ! 姫が休まれているんだ、静かにしろ!!」
「大目に見てやれよー、アレだ、こいつも心配してるんだよ」
少し離れたところから、離れているわりにものすごい威圧感および叱責が飛んできて、それに対してまあまあと上がった声は意外に近い。ぎくり、となんだかルーファスの身体が緊張して、先ほどの言葉にうなずいてもいないのに魔術師は炎を灯して、灯りが確保されたなら暗くなっていたことに気付いた周囲、本当にすぐ脇に大剣を背負った短髪筋肉男。
「……ぅおわぁっ!!??」
「まー落ち着け。何思い出してたかは知らんが、なあ?」
にやにや笑いながらでっかい手がばんばんと背中を叩いてきて、背骨を折るつもりかと皮肉りたくなるような馬鹿力に、とりあえず痛くて息が詰まった。いや、息が詰まったのは確かに痛みのせいなのに、結果として言葉に詰まったのを、いったいどう取ったものか。最初からいやな感じのにやにやが、さらにいやな感じに深くなる。
「今日は収穫なかったが、おまえには良い日だったな!」
「な、何がだよ、つか距離近いっつーか力加減しろよアリューゼ痛ぇじゃねえか!!」
「あー悪かった悪かった、むっさいヤローに近寄られたくねえよな、せっかく良いもん思い出してたのにな!!」
「だ、な、……かっ、勝手に捏造してんな!」
「――うるさいと言ってるだろう!!」
からかわれていると知りながら思わずムキになって、跳ね上がった声に返る、ずしんと腹に響く声が先ほどよりも近い。重く響いたのはむしろ、古臭い大剣を背負った大柄な身体が踏み込んだ足だったのかもしれない、そちらに顔を向けたなら、なおもにやにやする筋肉男とは逆脇に忠臣が立っていた。
なんだかものすごい怒気をまといつつ。
「……おー、ディラン。アリーシャは、つーかありゃシルメリアか? どんな感じだよ」
「わからん。が、まあレオーネに任せておけば問題はないだろう」
自分をはさんで交わされる会話、まったくそれとは関係ない自分がなんだか注目されている居心地の悪さ。忠臣の不機嫌なのは絶対世話を断られたせいだこれはその八つ当たりだと思う。思うけれどとにかくコワい雰囲気になんだか身体が萎縮して、とても指摘する勇気なんてなかったし、実際指摘していたところで藪蛇になるだけだろう。
なのでふてくされたフリなどしつつ、小さくなって話題が変わるのをじっと待つことにしたのに。
火を起こしてそのまま火のそばについて、手際よく簡単な食事の支度などをはじめた元・宮廷魔術師が、なんだか顔を上げた。きらりと眼鏡が光ったのは光の加減のせいに違いなく、表情は読めないけれど口元は笑っている。
「――洞窟でのアリーシャさまはどの程度疲れていましたか、ルーファス」
「な、……オレが知るか。そんなこと」
「おや、けれど先ほど一番アリーシャさまに近い位置にいたのはあなたですし。エスコートしてたじゃないですか、あなたの手にどれほど頼っていましたか?」

――勘弁してくれ!!

ぐだぐだなやり取りでどうにか落ち着きかけていた血が、再び沸騰するかと思った。思ったけれど煮え立ちかけた血は、にこやかな元・宮廷魔術師に噛み付きかけるのを邪魔する古びた大剣で逆に凍りつく。
はらり、舞ったのはたぶん自分の前髪のひとふさ。
刃なんてつぶれまくった骨董品は、それでも持ち主の気合い次第で鋭利な刃物として使えるらしい。知りたくもなかった驚愕の事実が、ああ、なんだかこの身に刻まれる。
「……でぃらんサンおれノ鼻斬リ落トスツモリデスカ」
「ああ、すまなかった。手が滑ったようだ。
落とすのは姫に触れたその小汚い手のつもりだったんだが」
――こええ!! まさか本気じゃねえよなこの忠臣!?
たとえこの先主神と対峙することがあっても、これほどの恐怖感を味わうことはないだろう。だらだらだらと脂汗が浮かんで、引き抜かれた、それまでは地面にめり込んでいた大剣の刃がぎらりと光ったならうっかり腰が抜けて、地面に尻餅をつくルーファスとそれら一連のやり取りに爆笑する筋肉男。

そして。
ガツガツガツッ、と短剣が降ってきた。
「――静かにしなさい」
冷静な声も降ってきた。

◇◆◇◆◇◆

「レオーネ……味方に攻撃するのは感心できませんが」
「だってこうでもしないと黙らないじゃない。ちゃんと狙いは外して……って、あら」
「見事に当たっていますよ。しかもかなり正確に致命傷と見ます」
「あたしも疲れているのかしら? 当てるつもりはなかったのよ、本当に。ダメねえ、今日はちゃんと休まないと」
「分かりました、今夜の見張りは私が買って出ましょう。
アリーシャさまは……今はシルメリアどのでしょうか。もう休まれましたか?」
「シルメリアは寝たし、アリーシャも一度目を醒ましたけど、――今はとにかく休んでいるわ。無理しすぎたのね、かなり疲れているから朝に起きられないかも。
じゃあ悪いけど見張りお願いね、レザード。お願いついでに、魔術でその馬鹿トリオの回復もよろしく」

薄れゆく意識の中、そんな会話を拾ったのは半分エルフの聴力のおかげだろうか。
つか、こいつ回復系全滅だろうとツッコミの声を無理にでも上げるべきだっただろうか。

◇◆◇◆◇◆

最初から危なっかしい彼女から目がはなせなかった。
最初は、むしろ目を離すと一緒に行動している自分が被害をこうむりそうだったから。
そう、――最初はただそれだけだった。

今は、今なら。
彼女の世話を焼きたがる人間は、今では山ほどいるから。
自分の身の安全のために、むしろ目をはなしてしまいたい。

――たぶんきっと、そんなこと無理なのだろうけれど。

―― End ――
2008/08/05UP
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やまべ
[最終修正 - 2024/06/27-11:22]