呑み交わすことが、珍しくなくなった。双方ともにアルコールは嫌いではなく、呑んだからといって馬鹿騒ぎするわけでもなく、醜態をさらすことを警戒する必要もなく、無駄に緊張し腹の探りあいをしなければならないわけでもなく。ただ、呑みたいから呑む。話したいことを好きに話して、相手のそんな話を聞いて、あるいは相槌を打ったり言葉を返したり、笑ったり怒ったり。話したくないなら話さない、けれど沈黙に重さはない。
いつもは細く鋭い糸を周囲に張り巡らせているようなマリアも、呑んだときはその雰囲気を和らげる。いつもは不必要なほど周囲を威嚇し威圧するクセのあるアルベルも、呑んだときはその視線を和らげる。
特別な感情はどうでもいい、互いに、気の置けない呑み仲間は悪いものではなかった。
ただ酌み交わすことで日常の息抜きができる、それはたぶん歓迎することだった。
今日も。街にいれば出立の時間までは各人が好き勝手に時間を過ごすのはいつものことで、夕闇の迫る時刻、宿を出る後ろ姿に気付いた。その場では見送って、しばらくしてアルベルも空腹を覚え、そういえばと思い出して呑み屋に足を向ける。
別に、街に一件しか呑み屋がないわけでもない。けれどこの街で彼女と呑みに行くといえばその店だったし、果たして青髪の若い女はいるかと訊ねれば、あっけなく同じテーブルに案内された。
無言で席についた時に、ちらりと持ち上がった翠は別に誰を拒絶するものでもなく。だからかまわないのだろうと判断して、彼も彼で適当な酒と肴を注文したものの。
「――マスター、もう一杯、今度は……ああもう、めんどくさいわね。ここからここまで一杯ずつ持ってきて」
「……阿呆、呑みすぎだ」
彼が来るまで、マリアがどんなペースでどのくらい呑んでいたのかはよく分からない。呑めば肌が赤くなるマリアは知っているけれど、呑み屋の照明は薄暗く、同じテーブルについてもその肌色は正直判別しづらい。
けれどとりあえず、彼が来てからのマリアはいつもとはまるで違った。
申しわけ程度に運ばれた肴に手をつける様子もなく、手につく片端から呷っていく。こくこくこくと喉のなる音さえ聞こえる勢いでグラスを干しては、すぐに次のグラスに手をのばす、ロクに選ぶ様子もなく次を頼む。
いつもなら酒を楽しんでいるのに、今日に限っては。
まるで、まるきり、酔いつぶれるために呑んでいる、ような。
別にそれはそれでかまわない。たまにはそうして呑みたい日もあるだろう、それで二日酔いになろうがマリアはその責任を他人になすり付けたりはしないだろう。このまま酔いつぶれたとして、まあ、宿まで運ぶくらいは買ってもいい。どうせマリアの目方なんてたかが知れている。
それはそれで、別にかまわない。はずなのに。
呆気にとられて何気なくうめいていた。瞬き一回分マリアは反応しなくて、無視かそれとも聞こえていないのかと彼は思って、そう思ったタイミングを読んだようにふっと翠が彼を射る。アルコールのせいで潤みまくった、けれど実際は感情の揺らぎのないガラスのような目が、ただアルベルの間抜けにぽかんとした顔を映す。
「ほっといて」
どこか舌足らずな拒絶の言葉は、そんなアルベルにぽつりと降ってきた。困った顔でそんなやりとりを眺めていた店員を手を振って追い払って、マリアは空になったグラスのふちを舐める。
「わたしなんかに、かまわないで」
真意が分からない子供めいた響きの拒絶。本気だとも思えないし、この上なく真剣にも聞こえる。
マリアはそれきり黙ってしまい、確実な酔っ払いを問い詰めて建設的な返答があるとも思えず、アルベルもとりあえず自分用の酒で喉を湿らせた。
広がるのはひりつくようなからさ、けれど多分。
今日はきっと、酔うことができない。
呑み交わすことが、珍しくなくなった。それは、つまりそれだけ付き合いが長くなったということだった。わけの分からない、強大だとだけわかる相手を敵に回して、戦いの日々がそれだけ続いたということだった。
術では、アイテムでは癒しきれない疲労が着実に降り積もり、
ただ敵対者の生を奪う術だけが磨かれて、
――それも、きっと。きっともうそろそろ終わる。事態を分かっていないアルベルさえそうと感じ取っている、話の中心でいろいろな意味でキーとなっているマリアはよりいっそうそれを実感しているだろう。
それがいいか悪いか、は、今ここで判断するのに相応しくないと思う。
ただ、――そう。この闘いが終わったなら。
マリアと酌み交わすことは、多分、きっと。そんな機会は失われるのだろうと、漠然とした認識はある。
この闘いに勝ったなら、アルベルはアーリグリフに戻る。あの国は戦うしか能のない彼を必要としていて、あの国でしかアルベルはきっと生きられない。
この闘いに勝ったなら、マリアは多分星の海に帰る。この旅で彼がはじめて知った、彼には彼の国の技術では絶対にたどり着けない場所で、マリアはマリアの道を歩いていく。きっとマリアはそこでしかマリアらしく生きられない。
そもそも出逢うはずがなかった二人だと、いわれなくても知っていた。
期限付きの付き合いの期限が、刻限が、もうすぐそこに迫っている。
闘いに勝つことが前提とはいえそれにはきっと間違いはなくて、けれど、その認識は。アルベルにとって面白いものではなくて。
――ひょっとしてマリアにとっても同じで、だからこそのヤケ酒なのだろうか。
ふとした思いつきは彼の思う彼女らしさとはかけ離れていたけれど、あながち間違いではないかもしれない。一緒にいてこれほど肩肘はらずにすむ相手も珍しいと、もしもマリアも同じことを思って、だからこその面白くない想いを抱えているのかもしれない。
馬鹿げた思いつきだと自分に自分であきれながら、新しく運ばれたグラスを、相変わらず白い喉をさらすようにして干していくマリアを眺める。かつ、と、あっという間に干したグラスを音を立てて置いたマリアとなぜだか目が合って、瞬時に居心地が悪くなって、けれど彼から目をそらすことも悔しいのでそのままその翠を凝視する。
そのまま、数拍。
先に目線をそらしたのはマリアだった。ふと目を伏せて――いや、目線をそらしたというよりは、むしろ。
そういえばそれまでゆらゆら揺れていたのが、ぐらりと上体がかしいで、アルベルの方に倒れこむ。思わず手が伸びてその細い肩をつかんで、がくりとマリアの首がたれる。
「おい、だから呑みすぎだっつっただろうが!」
「……うるさい」
そしてゆっくり持ちあがった翠は、ありていにいって座っていた。アルベルをしてぞわりと鳥肌を立たせたマリアは、ひどく優雅にひとつまたたく。
「かんがえて、いるのよ……わたしはあのほしでくらせない」
――どうやら彼のあてずっぽうは当たっていた、のだろうか。
「あなたがこちらにきても、たぶんできるしごとってみあたらない」
内容も彼女の表情も真剣そのものなのに、言葉だけはろれつが回っていなくて舌足らずで、それはひどく違和感を覚えさせる。眉を寄せた彼に何を思ったか、マリアの口元がふわりとゆるむ。
「あなたが、すきよ」
無防備な声が笑顔が爆弾発言をして、ひどく緩慢に瞬くと思ったら、そのまぶたがなかなか持ち上がらない。
「だから、かんがえてるの。――あなたもわたしもむりしないで、いっしょにいられるみち、さがしてる、の……」
「……って、オイ!! このタイミングで寝るのかおまえは!」
完全に脱力したマリアにしなだれかかられた格好で、細い肩を成り行き上抱えたまま、硬直していたアルベルがようやくうなったのはどれほど経ってからだろう。小さく開いたマリアの口元からはもう寝息にしか思えない深くゆったりした呼吸が規則ただしく、耳元でうろたえるアルベルの声は聞こえていないのだろう。
「しかも俺の意志は完全無視か……イイ根性してるじゃねえか……」
うめいても、やはり反応はない。
まるで呑み食いしていないものの、もう今からではきっと味も何も分からない。空腹感さえ、今は消し飛んでいる。アルベルは深く深く息を吐くと、テーブルに適当に金を投げ出してから、酔いつぶれたマリアをずた袋よろしく肩に担ぎ上げた。店員の声に見送られながら、宿へ向かう。
「……もう、こどもじゃないの……なにもできなかったあのころとはちがう。きっと、みちがあるはず……」
かすかに上がる声は寝言に決まっていたから、反応はしない。すっかり暗くなっていたとはいえ、夜はまだこれから。人攫いのように若い女をかつぎあげたアルベルは目立ちまくっていたけれど、周囲から降りそそぐ非難の目を威嚇する余裕は彼にはない。
「ひざかかえてないてたのは、もうずっとかこ、よ。わたしは、わたしのみちをじぶんできりひらくんだから」
もごもごした寝言はずっと続いていたけれど。
彼は何も聞こえないことにする。
