たったそれだけのことで、ときみは驚くだろうけれど。
僕にとって、それは、奇跡だったんだ。
その日の食事当番はレナで、パーティメンバー全員が彼女の料理の腕を知っていたから、むしろヘタに手を出すと彼女の邪魔をすることになりかねないので。だからその時、厨房に彼女一人しかいないことは絶対だった。思いつきの割に底の浅い計画を練った、底の浅い自分に若干凹んだりしながらも、クロードは厨房入口で用心深く気配を探って――そんな芸当は実はちゃんと身についている自信がないためそんな気持ちになるだけなって――意を決して一歩踏み出す。
「――レナ」
「なあに、クロード? 待ちきれないの??
ごめんね、もうちょっとだから――あ、つまみ食いはダメですからね!」
小さな村の小さな宿は彼ら一行で貸しきりで、だったら厨房を貸してもらえませんか、たまにはちゃんとした料理を作りたいんです、と宿屋の主人を説得した本人はにこにこ生き生きとぱたぱた動き回っていた。それが振り返り、きらきらした笑みをまっすぐ向けられて、向けられた言葉は若干子供向けだったけれどそんなのさらっと水に流すことにする。
「あ、レナ。やっぱ悪いかなってさ、もし手伝えることあったら、」
「大丈夫! すごいの、さすがに宿屋でお客さんに料理出すだけあって、わたしの家のキッチンよりもいろいろ設備が整ってるのよ!!」
……カルナスの、彼女にとっては星の船の厨房に連れていったなら、いったいどういう反応が見られるのだろうか。
そんなことをふと思って、笑顔に退治されそうになっていた自分にふと我に返った。ぐいぐい背を押して追い出そうとするのに逆らって、それまで素直に押し出されかけていたのを少し足を踏ん張って、半身で振り返る。
「じゃあ、がんばってるレナにごほうび。あげるよ。……身につけてくれると、嬉しいかな」
「え?」
「はい」
きょとんとして一瞬おろそかになった手に、実はずっと握りしめていたそれを軽く放る。思わず反射で受け取ったらしい彼女はもう一度ぱちくりとクロードを見上げて、それから自分の手の中に視線を落として、ぱちぱちと再び顔が上がる。
「……クロード……これ……」
「まえエメラルドの指輪あげたことあっただろ。石が同じだからどうかなって思って」
指輪はすでにあげたし、ペンダントは彼が渡すよりもずっと意味があるものをレナは持っている。研磨の終わったエメラルドを前に、だったら何を作ろうと思って、まっさきに思いついたのがイヤリングだった。
特別な効果なんてなにもない、けれど想いだけは込めた、世界で、いや宇宙でたったひとつきりのちっぽけなアクセサリー。
「クロード……」
ほんのりとレナの頬が染まっていくのを真正面から見つめながら、喜んでくれたみたいだとほっと胸をなでおろす。他のメンバー、特に女性陣などに見つかれば冷やかされたりすねられたり、なんだかんだと騒ぎになるのが見えていたから、底の浅い計画で、彼女が一人きりのときを狙ってよかった。本当によかった。
――本音をいうなら、ただのプレゼントにこんなにも感激してくれる、これ以上ないほどかわいい彼女を軽く抱きしめたかったりするけれど。
――恋人でもなんでもない、ただの旅の仲間でしかない今の自分に、そんな権利がないことは分かっていたから。
ありがとう、とつぶやいてうつむいてしまったレナを前に照れて頬を掻いて、ふと、鍋が火にかけっぱなしでちょっとまずいことになりかけているのに気がついて。
「レナ! 火!!」
「……っ、きゃあ!?」
あわてて身を翻した彼女をいいことに、すたこらとその場を逃げ出した。
あのままあの場にいたなら、権利がどうだろうが気にせず思わず突っ走りそうな自分が、やばいと思った。
その日の食事は見事にクロードの一番の好物、及び一番以外の好物で占められていて。お返しにお返しをもらった気分になって、けれどそれも幸せだったりしたけれど。
「……イヤリング、本当にありがとう」
「あ、うん……どういたしまして。昨日の夕食、美味しかったよ。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
団体行動をしていればひとりでいられる時間なんてあまりない。結局渡したその日はなんだかんだとそれ以上二人きりになるきっかけが見つからずに、明けて翌朝。いろいろでろくに寝ることができなかったクロードがぼんやり起き出すと、たまたまタイミングがあったのだろうか、それとも狙っていたのだろうか。部屋のドアを前にばったりレナと出くわした。
はにかんで微笑みかけられて、改めてお礼を言われて。
昨日イヤリングを渡したときの比ではない愛らしさに消し飛びそうになる理性をあわててたぐり寄せて、なんでもないようになんでもない返事をする。まっすぐに微笑みかけてくれるレナには悪いと思ったけれど、クロードの方はまっすぐレナを見るなんて無理だった。さりげなくあさっての方を見ているのがばれなければいいなとこっそり思いながら、ちらりと視線を向けたなら、彼女の特徴的な耳にさっそくエメラルドが光っていてますますダメになる。
クロードが照れていることは隠せるはずもなくて、それがわかっているからだろう、明らかにおかしい彼にレナは怒らない。
「えへへ、イヤリングなんてはじめてつけたの。……おかしくない?」
「おかしかったらそれ贈った僕のせいだよ……うん、似合ってる。と思う。僕は好きだよ」
さらっと口走った自分にぎょっとしたのはクロード本人で、たぶんレナは気づかなかったらしい。そうですか? なんて嬉しそうに笑って、彼女の背後に花々が咲き乱れるのさえ見えた気がして、もうさりげなくどころかあからさまに視線を外す。
「でもこれ、いったいいきなりどうしたの? がんばってるわたしにって、食事当番なんて持ちまわりでしょう」
「え、ええと……」
昨日の理由なんてでっち上げなので、なんと説明したらいいものかクロードの目が泳いだ。が。クロード? と下からのぞかれてしまえば、いろいろあってもう逃げられない。
素直に白状するしかなかった。
「……まっすぐ笑いかけてくれてありがとうって、そんなつもりなんだ。納得してくれるかな」
「…………よくわからないわ」
「うん……だと思うよ。でも、そんなつもりだったんだ。だから、ありがとう」
偉大な父親は自慢だったけれど、いつしか偉大すぎる父親は負担になっていた。あの父親の息子、と誰もがそういう目でクロードを見たし、それを知っていたからクロードもどんどんひねくれていった。
本当はまっすぐ向けられていたかもしれない好意も、そんな風に受け取ることができなくなっていた。実際、彼を通して彼の父親におべんちゃらを言う人間は圧倒的に多くて、もしかしてあったかもしれないまっすぐな好意なんて、その中に埋もれてわからなかった。
それが普通になっていたのに、あの日あのとき、偶然の事故で父親の影が届かない世界に飛ばされて。
偉大な父親の七光りがないクロードに、はじめてまっすぐに笑いかけてくれたひと。
クロード本人を見てくれて、そうだとクロードが納得して、そんな彼の内心の葛藤なんてまるで知るはずもないレナは、今日までずっとまっすぐに彼を見てくれている。彼にいつだってまっすぐに笑いかけてくれる。
ひねくれてかたくなになっていた彼のこころに、その笑顔はまっすぐに届いて、いつしか少しずつひねくれは消えていった。完全ではないけれど、それでも以前とはきっと全然違う。きっと。
たったそれだけのことで、とレナが納得できないのはわかる。
けれどクロードにとって、それは、奇跡だったから。
「ありがとう。お礼をいうのは僕のほうだよ。いつもありがとう、レナ」
くり返して、なんとか彼女に笑いかけた。ふわり、昨日と同じようにレナの頬が染まっていく。やはり見ていられなくなってそそくさと部屋に逆戻りしながら、ああそうだと、やっと思い出す。
「おはよう、レナ」
「……う、うん……おはよう……ってクロード、二度寝とか、」
「しないしない! ちょっと落ち着くだけだから!!」
「ウソはダメですからね!」
ぱたん、背でしめたドアにそのまま背中でもたれかかる。きっと今彼の顔は、絶対にレナにも負けずに。朝焼けで鮮やかに染まっている。
