彼女が弱いとか、そういうわけではない。
彼女を守らなくてはいけないとか、そういうのともきっと違う。
彼にとってのたったひとつの真実は。
「う……うん……、いてててて……」
目を開けたならコンソールに突っ伏していて、きっと瞬間的に身体を突っ張ったのだろう、そこかしこが不自然な違和感を訴えかけていた。ぐわんぐわんと音のない音がこだまする耳元を押さえて、くらくらする頭を振って、きっと無意識に背後――左後ろを確認する。
「不時着したのか……」
つぶやいた自分の声を聞くころには、瞬間的にごちゃまぜになっていた記憶がなんとか落ち着きを取り戻していた。
SRF第一期として、新天地を求めてムーンベースから飛び立ったこと。
はじめての演習ではない長距離ワープの終了の直前、トラブルが発生したこと。
いきなりの非常事態に、まずはなんとか通常空間に戻ろうと指示を出した船長、自分含めて全力で指示に従った船員。多分なんとかワープ空間は脱出して、けれど船が制御を離れて、重力訓練さながら――身体を固定していなかったからそれ以上か。ひどい振動に襲われて気を失ったこと。
――そして、幼馴染の、……悲鳴。
「ここは……どこだ!?」
――レイミ!?
もう一度振り向いた先、左後ろに見慣れた横顔はやはり、ない。ただ計器類がエラーを示していて、その赤い表示と警告音が、生まれた焦りを刻一刻と大きくしていく。
うめき声が耳に届いて、はじかれたように視点を動かした。自分以外の船員たちは床に投げ出されていて、床――に散らばった黒く長い髪がふと見えて、
わしづかまれたように心臓に鋭い痛みが走った。それがそのまま引き絞られる痛みが、背中に冷たい汗を呼ぶ。先ほど生まれた焦りが呼吸を苦しくする。めまいがする。あわてて駆け寄って抱き起こして、その白い顔に血の気がない。それを見て、つられるように自分の顔から血の気が引いていく。ぞくぞくとした寒気が収まらない。
「レイミ? レイミ!」
声を聞いた。笑えるくらいに切羽詰まった声は、そうだ、自分の上げたものだった。
「しっかりしろ、レイミ!」
ぐったりと力の抜けた身体を揺する。耳元の大声がうるさかったのか、伏せられたまぶたがふるえるとゆっくり持ち上がる。いつもの深い色の瞳が、いつもよりぼんやりと開かれて緩慢に瞬く。ふっくらしたくちびるが、血の気を失ったそれがゆっくりと動いて、
「……エッ……ジ?」
呼ばれた名前に、その声に、心底安堵した。もう一度ゆっくりとまたたいて、ざっと外から見える範囲に怪我がないのを確認してしまえば、多分ほっと深い息を吐いていた。
引いた血が戻ってくる。どくんどくんと耳元にうるさいくらいの自分の鼓動を聞く。
そのころには、うめきながら他の船員たちもゆっくりと身を起こしていて。
自力で起き上がった彼女がわかったから、背を支えていた手を外した。
そして落ち着いてからさんざんにからかわれる羽目になった。主に、あの時同じフライトデッキにいた船員たち、特に口の悪い先輩が先頭に立って。
その先輩よりも、下手をしたら自分の無事よりも先に、心配したのが幼馴染のことだったこと。
彼女以外誰も何も目に入らないで、ひたすらまっすぐに駆け寄って抱き起こして心配して、
――式には呼んでくれよ、とまで言われた。
――照れたレイミが怒って、そんな場合じゃないとむしろすねて、
先輩の軽口もレイミの照れ隠しも、すべて被害状況を確認しながらだったから、からかいに思わず手が止まったエッジだけが船長に見咎められて、軽口もいいが手を動かせと心底あきれ返った声にたしなめられるハメになった。
――仕方がないじゃないか、と。
外野の野次などもろもろを聞いていると全然作業が進みそうになかったから、意識を耳に割り振るのをあえてやめて、ひとりこころの中でごちる。
――だって、それが普通なんだから。
――女の子だって、わかっている。どうしたって体力的に自分よりも優先してあげなければいけないことは、理屈で頭でわかっている。
――でも、そういうのじゃなくて。
――でも、それだけじゃなくて。
――そうだ、レイミがあんなふうにぐったりなっていることなんてまずないから。
――目標を決めると他が見えなくなる自分と違って、だからたとえば風邪とかを引いて熱に倒れるのは自分ばかりで、いつだって自己管理のしっかりしている彼女が病気になることなんて今までになかったし、これからだってきっとない。
――ノリでうっかり無茶をして、たとえばアルコールでぐでぐでになるのはいつだって彼で、自分をわきまえている彼女が酔いつぶれることなんて今までになかったし、これからだってきっとない。
――怪我だって。今回のような突発的な事故ならまだしも、危険に飛び込むのは、そうして後先考えなかった結果怪我を負うのはいつだって彼で、彼女はそんな彼のストッパーだから率先して怪我をすることなんてありえない。
――ずっと今まで一緒にいて、きっとこれからも一緒にいて、もちろん未知の惑星探査なんて何が起きるかわからないにしろ、自分が無事で彼女が無事ではない状況なんて、
――そんなこと、ありえないから。
被害状況がまとまって、やがて船長が全員注目と声を上げた。レポートボードを抱えたレイミとふと目があって、表情は変わらなかったけれど、彼女の目が瞬間的に確かに笑った。それがわかった。
――ああ、そうだ。
思考がはじける。
――レイミが弱いとか、そういうわけじゃない。
――レイミを守らなくちゃいけないとか、そういうのともきっと違う。
きっとエッジにとってのたったひとつの真実は。
ただそこに、彼女が笑っていること。
