きっかけになったのだろうから。
気まずかったこのふたりぼっちの時間は、――けれどきっと、あってよかったのだと思う。
細い背中をにらみつける。
冷たい風に肩をすくめて、鮮やかな色の髪をそれに遊ばせて、何気ないようで――けれど周囲を警戒するまっすぐに伸びた背中。いつモンスターが襲いくるかわからないとでも考えているのだろう、腰の細剣に何気なく添えられた左手。まったく背後にいるから見えないけれど、涼しい顔をして涼しい目をして、くちびるを引きしめているに決まっている。けれどそれは別に怒っているわけではなくて、それ以外の表情を作らないわけでももちろんなくて、その全部とは思わないにしろいろいろな表情をすでにいくつも見てきた。
彼女の視線でも感じたか、ふと、見つめていた背中が動く気配になんだか肩がはねる。
「……リムル?」
「どうかしたのよ」
あわてて目をそらして顔をそらして身体をそらして、果たしてその背中がこちらに向いたのはいつだっただろうか。動きにふわりと持ち上がった彼女のスカートが落ち着くよりも、やはり前だっただろうか。
「……いえ、なんでもありません」
「えーたんたち、まだおわらないのよ」
「急いでもらいましょうか? リムルがそろそろ待つのに飽きたようだ、と」
「リムのせいにするのはずるいのよ。フェイズはいじわるなのよ」
「そうかもしれませんね」
中身のない会話、なんだかいらいらする会話。むっとした彼女が顔を上げると、こちらを向いていたはずの目は彼女ではないどこかに向いたところだった。
むかむかが大きくなる。
「フェイズの、」
「そんなに時間はかからないはずですから。もう少し、待っていてください。
ギムドさんに用があるというのならトリオム村に戻っていてもかまいません。なんだったら、村の入口まで送りますか?」
「いらないのよ! リムはここでえーたんたちを待ってるのよ」
「そうですか」
出会ったのはつい先ほど、アラネアの砦にさっそく向かおうとしたところで、忘れものがあるからとエッジとレイミが星の船の中にあわてて駆けていった。もちろんそのあとを追うつもりだったリムルを、けれど止めたのはフェイズだ。
出会った当初から今まで、フェイズのやることなすこと、ことごとくリムルの癇に障る。なので当然無視しようとも思ったけれど、それはそれでまた子ども扱いされそうな気がしたし、それはおもしろくない。
むかむかと腹が立って改めて細い背中をにらみつけたけれど、相変わらず涼しい顔で――背中だったけれど、やはりフェイズはもうリムルを向いていない。余計にむかむかして、先ほどまでと同じようにその場で地面を蹴りつける。エッジたちを待ちはじめた当初はそれなりに転がっていた足元の小石は、すでに全部フェイズの足元に集中していた。
そんなに腹立たしいのならリムルだってフェイズに背を向けて、すぐそばにいるにしろ、視界からしめ出してしまえばいいのに。そう思うけれど、それはそれでひどくざわざわするのはすでに学習ずみだった。むかむかとざわざわを天秤にかけて、やはりリムルはフェイズの背をにらみつける。
思えばはじめて会ったときから気にくわなかった。なぜだか気にくわなくて、やはり今も気にくわない。
リムルの目には何かのきっかけでぽきっと折れそうなくらい細く見えて、けれどただ細いだけで見た目に悪いところはないと思うのに、こうして見るだけでむかむかする。耳にやさしく届く声は耳障りな響きなんてどこにもないのに、その声にもやはりいらいらする。リムルに対していやな気持ちを持って接しているから、リムルがそれを感じ取って警戒しているのとは――違う。むしろ、子ども扱いされることはともかく、別に隠されてもいないフェイズの好意くらい、いわれなくてもわかっている。わかっていてもどうにもならなくて、
だからといって、無視もできない。
どこかにいってほしいと思うのに、実際は姿が見えなくなると落ち着かない。なにも話さなければいいのにと思うのに、実際はこうしてよそを向いて黙られるとおもしろくない。
一体自分はどうなってしまったのだろう。
こんなの、生まれてはじめてだ。
エッジとレイミがいってしまったから、今まで気に食わなくてもそれほど意識しないですんでいたフェイズと二人きりで、気にくわないことと意識しないではいられない自分を、ますます思い知った。
――いっそ今すぐモンスターでも襲ってきてくれないだろうか。
術士のリムル一人では確実に手にあまる、一緒に戦ったことなど一度もないフェイズの実力だってわからない、それなのに切実にそんなことを願ってしまう。だって戦っていれば余計なことを考えずにすむ、戦闘中に余計なことを考えていたら生命が危ない。だから、ばかげたことだと思いながらなにも考えたくなくて、そんなことを願ってしまう。
「――リムル」
「なっ、……なんなのよ」
自分でもばかげているとわかりきっている思考に沈んでいたので、突然声をかけられて驚いた。びくりと跳ね上がった彼女に気づいているのかいないのか、先ほどまで向こうの方を眺めていたフェイズがリムルに顔を向けている。
「お待たせしました」
「?」
「エッジさんたちが戻ってきましたよ。まあ、歩いているのでもう少しかかりますが。迎えに行きませんか?」
「――びっくりさせないでほしいのよ」
「ああ、驚かせましたか」
「べつに、なんてことないのよ」
いまいちかみ合っていない会話はやはりなんだか落ち着かない。とりあえずフェイズの方へ歩いていったリムルは、とれだけ気が散っていたのか、先ほどから自分が彼の方に蹴り飛ばしていた小石に――見事に足をすくわれた。
「……わぅっ!?」
「リムル!?」
くるんと視界が動いて身体が回って、耳元に焦った声。しりもちをつきかけていた身体が、なんだか不意にかくんと止まる。目をぱちぱちさせていると、どうやらフェイズが二の腕を支えてくれたらしい。至近距離に――いっそ無駄なほど整った女顔があって、どうやらその顔は焦りが残っている。
「あ、ありがとう、なのよ……」
「驚かせないでください――というか、この足元の小石、リムルが蹴り飛ばしていたはずですが」
「こまかいことをうるさいのよ」
「それは失礼しました」
お礼とぼやきとからかいと仏頂面がいきかって、まっすぐ立った彼女を確認してから支えてくれた手が遠ざかる。
細い細いと思っていたのに、とっさにリムルを支えてくれた力は確かなものだった。たとえ転んだところでリムルの自業自得だったのに、ひょっとして転んでいたのはフェイズだったかもしれないのに、支えてくれた直後のからかうようなやりとりで罪悪感はずっと軽くなった。
やはり気にくわない気持ちは消えないけれど。
いらいらももやもやもぐるぐるは、なんだかすっかり小さくなっている。
――どうして、
「――フェイズ、いくのよ」
「え、ああ、はい。……リムル、焦るとまた転びますよ」
「よけいなおせわなのよ」
それ以上は考えてはいけないような気がして、リムルは声を上げた。そのころにはエッジの金髪がレイミの髪が風に流れるのが見えて、二人に向かってまるで転がるように駆け出す。
気にくわないけれど、いやな人間ではない。
最初から知っていたけれど、よくわかった。
多分これから、彼のいろいろ意外な面を見るのだろう。
あるいは、自分のいろいろな面さえ引き出されたりするのだろう。
そのきっかけになったのだろうから。
気まずかったこのふたりぼっちの時間は、――けれどきっと、あってよかったのだと思う。
絶対に彼に伝えたりしないけれど、それは、絶対に。
