目が醒めて、そこがどこかを認識したとき。まっさきにきみに逢いに行こうと思った。すべてを手放した自分はちっぽけで無力で、何度も諦めかけたけれど。きみに逢いたい、ただその想いだけが足を前に進ませた。
――元気ですか?
全部を壊してしまえばいい、なんて結論に至った自分が語りかけるには間の抜けた問いかけを、けれど何度こころに浮かべただろう。実際に口に出しただろう。
そう、元気なきみの姿を遠目に見たなら、それで満足するはずだったのに。
体力の限界まで歩くことは結果的に死を招く、自分以外の誰もいない旅の最後。頼る誰もいなくて、話し相手すらいなくて、それだけでずいぶんひとは弱くなるのだと身に染みた旅の最後。勝手にゴールに決めたトリオムの村まで、急がなくても明日には着くだろうとフェイズはほっと息を吐いた。
リムルがトリオムに暮らしているとは思わなかった。カルディアノンの侵略騒ぎで捨てられた村は、きっとかつて村だっただけの残骸と化しているだろう。それでも旅人をやってきたフェイズにとっては雨風をしのぐことができるだけで十分で、少しの間だけ寝泊りをさせてもらって、体力を回復させたならウドレーのリムルの様子を遠目に見にいって、
そうしたら自分の今後を考えようと思っていた。
思っていた、のに。
――リムねーちゃんリムねーちゃん!
――リムルおねーちゃーん!!
遠く、空耳かと思うくらいに細く、けれど確かに声が聞こえた。幼くて甲高いその声そのものは聞き覚えがなくて、ただし、その声が呼んでいる名前は、
「リムル!?」
はじかれたようにうつむきがちだった顔を跳ね上げて、どこから声が聞こえたものかあわてて風を探る。小高い丘の上にフェイズは立っていて、きょろきょろと周囲を見渡していた彼は次の瞬間思わずその場に伏せていた。
次の瞬間、自分の行動に気づいて思わずあきれる。
――逢いたいのか逢いたくないのか、一体どちらなのか。
ともあれ、身を低くしたフェイズの視線は、長い栗色の髪を風に遊ばせる女性の姿と、その周囲にわらわらと群れている子どもたちをとらえていて、
「……え?」
フェイズは思わず目元をこすった。一瞬にじんで、すぐにクリアになった視界でまじまじ彼女を眺める。
声をはりあげたなら届くような距離、見間違いが起きるにはずいぶん近い。それに何より他でもないリムルのことなら、彼は絶対に見間違えない。その、はずだけれど、
栗色の長い髪に白磁の肌。人形めいたととのった顔立ち。遠目に見える彼女はフェイズの知るリムルとよく似ている。
が。
よく似ているけれど、女性は、フェイズが知るリムルではない。
彼の知っているリムルよりも、かるく十歳くらいは年上だろう。
「……ええと……リムルのお姉さんとか……。いや」
つぶやいてみて、即座に自分の言葉を否定する。
あの時、彼女にとっては祖父だったギムド村長が亡くなったとき。唯一の肉親がいなくなった、と聞いた。彼女の口からも、そして彼女に近しい村人からも。実際に姉がいたなら、たとえその場にその姉がいなかったとしても、話くらいは絶対に出ただろう。もしくは、短くない旅の間に話題くらいは出ていたはずだ。
つまり、リムルには姉はいない。
それに、考えてみたなら彼女は先ほど「リムル」と呼ばれていたわけだし。
「ええと、だとすると、」
次にフェイズが疑ったのは、自分の日付感覚だった。
彼の認識ではあの事件が終わってから二年。けれどすべてを手放したフェイズは、当然カレンダーなんて持っていなかった。仮に持っていたとしても、旅の最中無茶をした結果病気やら怪我やらに倒れた日も皆無ではなく、意識を失っていた時間を思えば、数日くらいは日を数え間違えているとは思う。
デジタルで日付表示される文明の利器があれば一発解決だけれど、少なくとも今の彼の手元にはそんな便利なモノはない。ないものねだりをしても仕方がない。
ともあれ。
数日、下手をすれば数十日単位のズレは確かにあるだろう。だがしかし。年単位で、しかも十年くらいの単位で数え間違えるなんてそんなのは、さすがに。
「レムリックの公転周期は……いや、この際それは関係ないし」
フェイズがここに漂着してから、季節は二回巡った。季節を数えるのは日付を数えるよりも確実で、たった二回を数え間違えるなんてありえない。
公転周期が極端に遅いにしてはレムリック人の実年齢と外見年齢はフェイズの感覚とそれほどズレがないので、つまりはレムリックの一年はエルダーのそれとほぼ同じだろう。それにあの旅で子どもの知り合いができなかったわけではない。レムリックを離れてから、ブラックホールでのタイムワープに巻き込まれて、再びレムリックに顔を出したとき。たとえばウドレーの宿屋の子どもはそんなに目立って成長していたりしなかった。ある一定年齢で極端に成長が早まるということも、たぶんない。
「そうか、タイムワープの可能性も……でも、あれ?」
この星に漂着した経緯を、フェイズは知らない。ほぼカンでリムルが関わっているだろうとは思うけれど、確証はどこにもない。だから、たとえば漂着の流れの中でワープによる時間のねじれ――崩壊してしまった地球のときのようなことが起こって、フェイズだけが他のメンバーにとっての数年先の未来に流れ着いて、それに気づいていなかった、という可能性はある。
あるけれど、ああ、なるほどと納得しようとした矢先。
わらわらと彼女を囲む子どもたちのうち数人になんだか見覚えがあることに気がついた。知っている顔は、確かに見知ったころよりも多少は成長して大人びているとはいえ、やはり子ども。彼女のように飛びぬけて大人びた顔はどこにもないと気がついてしまった。気づかなければ納得できたのに、気づいてしまったのでつまりはこの案も間違いだと分かってしまった。
わけがわからない。
彼女は、リムルは、六歳くらいの幼い子どもではなかったのか。あれから二年を経て八歳。直接年齢を聞いた覚えがないのでプラスマイナス二歳くらいは許容範囲内としても。
子どもたちに囲まれ、たとえば草花の説明をしているようだったり、たとえば飛び出していこうとするやんちゃな男の子の襟首をつかんで止めたり、そうして引率をきちんとこなしている彼女は、――十代半ばか、もしくはもう少し上? とりあえずフェイズの思う「二年後のリムル」には当てはまらない。
わけがわからない。
どこかで何かが間違えている。あれはリムルで、あのころ六歳だったリムルで、あれから二年が経過して、けれど十代半ばに成長した彼女。どこかが間違えている、何かが間違えている。間違えているのは確かなのに、どこが間違えているのかがわからない。
そもそも、なぜそんなことがこんなにも気になるのか。引っかかるのか。
いいではないか、実際彼女が何歳でも。彼女の見た目が何歳だろうとも。
彼女はリムルに違いなくて、きっと二年前の記憶も――多少は薄れたとしても覚えているだろうし、よしんばフェイズのことを忘れてしまったとしても、そもそも彼女の無事を確認したならそれで十分だったはずだ。
彼女は元気そうで、子供たちの世話を焼くくらいしっかりしていて、あの旅の最中少しずつ豊かになっていった表情を、たぶん失っていない。これからの彼女の人生は、きっと豊かなものになるだろう。彼女は幸せになれるひとだ。見るだけでそれが確信できる。
本当は、直接お礼をいえたらと思っていた。
けれど、いわないのも、直に彼女に会わないのも選択肢の中には常にあった。
だから偶然にも今日こうして彼女の姿を見てしまえば、この星の漂着した当初の目的は果たしたはずで、これからどうしようを考える次のステップに踏み出せばいいはずで、だから、だから、
――なのになぜ、こんなにも混乱しているのだろう。
風が吹いて、子供たちの甲高い声をまた運んできた。はしゃいだ声に混じって、聞き覚えのある、けれどあのころよりも少し低めのあのころよりもそれなりに落ち着いた声が聞こえた。なぜだか心臓が跳ねて、服の胸元を思わず握りしめる。
栗色の長い髪に白磁の肌。人形めいたととのった顔立ち。
彼女の目がやわらかく微笑んでいるのが、こんなところからでも見えて――落ち着かない。
わけがわからない。
小高い丘に伏せたまま、フェイズは頭を抱えた。
疑問ばかりが頭を占めて、だからこんなにどきどきしてぐらぐらする。
