まるで水に潜った後のように、全身に汗をかいて肩で息をしながら目を醒ますことがある。そうして目を醒ました夜は、やがて落ち着いたように思っても結局朝まで寝つくことができない。寝つけない夜はそのまま朝が来ないのではないのではと、非科学的な不安に押しつぶされそうになる。

◇◆◇◆◇◆

昨夜もそうだった。そして、
「フェイズ、サボってるなら外いってなさい、なのよ」
頭痛の治まらないこめかみをおさえて動きを止めたなら、目敏く発見されてきびしい言葉が飛んでくる。
ろくに寝ていないから、体調がよくないんです。――というのは事実ではあるけれどいいわけでしかない。体調管理も仕事のうちだ。眠れないのなら睡眠薬なりを処方してもらえばいいのに、黙って自力でどうにかしようとしている自分が悪い。

「……じゃあ、ちょっと外の空気を吸ってきます」
「それがいいのよ」
朝日が昇ってすぐにこの家に乗り込んできたリムルは、元々ギムドの持ちものだったという本から一瞬だけ顔を上げると真面目にうなずいた。同じくギムドのものだった本にしおりをはさんで筆記用具を簡単にまとめて、ふと浮かんだ悪戯ごころに逆らえないのは――これも睡眠不足のせいだろうか。
「せっかくだからリムルもいきませんか?」
「リムはちゃんと寝てさっき起きたばっかりで眠くないのよ」
「それはそうかもしれませんが……どうせ散歩なら、誰かと一緒の方が嬉しいです」

再び本に落ちていたリムルの目が持ち上がる。最初に出逢ったあのころよりも、格段に表情豊かになった彼女は――、
「……リムル?」
怒る、まではいかない。けれどすねているように見える。見えるけれどなぜそんな顔をするのかがわからなくて、思わず上げた声はひどくうろたえて聞こえた。何か決定的に間違えたことをいってしまったらしい、と悟ったものの、何がどう悪かったのかがわからない。
「ええと、」
恨めしそうな目線はすぐに落ちて、どうやら挽回のチャンスはつぶれてしまったらしい。
なんだか自分でも想像以上に落ち込みながらメモ用の紙をとんとんと叩いてそろえて、もう一度筆記用具をそろえて数冊の本をそろえて、まったく動きのないリムルが気にかかってもこれ以上時間稼ぎはできそうになかった。
「じゃあ、ちょっと頭を冷やしてきます」
もう一度断っても、もう彼女は顔を上げてくれなかった。やはり想像以上にがっくりしながら部屋の戸を開いて隙間からするりと抜けて、ひょっとしたなら本に夢中になっているかもしれない彼女を邪魔しないように、そっと戸を閉めようとしたとき、
「リムはリムで「誰か」じゃないのよ」
小さな呟きでしかなかったのに、やけに明瞭に聞こえた声――彼女のこころに身体が動きを忘れる。

……どうせ散歩なら、誰かと一緒の方が嬉しいです。
――リムはリムで「誰か」じゃないのよ。

難問がするりとほどけた。眠気に重い頭でも、間違いがわかった。
そうして寝不足のあげくいろいろを忘れがちでいろいろが思い至らない、できの悪い今日の脳みそはいろいろをすっ飛ばした信号を飛ばして、
「リムル!」
閉じかけていた戸を乱雑に開けると、腹の底から彼女の名前を呼ぶ。その声と勢いに驚いたらしいリムルが思わずといったように振り返って、その唖然とした顔を見てしまえば急激に冷静になって、
「え、と、」
「…………な、」
「せっかくですのでリムルと一緒に歩きたいです」
その割にテンパっていたこと丸出しで、そんなことを口走っていた。

◇◆◇◆◇◆

――フェイズがどうしても、っていうからしょうがなくなのよ。
――そういえば、今日は畑のおやさいもみてあげてないし。そのついでなのよ。

そんないいわけを並べてしぶしぶ立ち上がったリムルは、たてつけのあまりよくない戸を閉めるのを手伝ってくれた。レムリックの――トリオムやウドレーのある北半球は夏が短くて、朝晩はすでにそれなりに冷えた風が渡る。
その新鮮で冷えた空気で肺を満たしたなら、どんよりとそこにわだかまっていた気持ちまで押し流された気がする――もちろん、そんなもの錯覚に決まっているけれど。
そして、錯覚ついでに――少しくらいは、頭も正常に動き出したような。

「――リムル、まずはきみの畑に行きましょうか」
その場に立ち止まって深呼吸をしていたフェイズをじっと待っていたリムルに笑いかければ、うん、と頷く。こっちなのよ、と案内の後を追えば、ささやかな畑に緑がみずみずしい。
「いつみても、立派な畑ですね」
「それはこの前いってたのよ」
「そうですか? ……収穫するなら手伝いますが」
「それもこの前いったのよ。フェイズはいっつもおんなじことしかいわないのよ」
雑草を引き抜いてちょこちょこと畑をみてまわり、土の湿り具合に頷いて、そしてリムルはフェイズの方へ戻ってきた。

◇◆◇◆◇◆

何も収穫していないし、水すらまかない。
同じことしかいわないと呆れられるフェイズに対して、なるほど、リムルのすることはいつでも違う。きっと毎日同じようなことしかしないフェイズに対して、リムルの日課は日によっていろいろ違うのだろう――それはもはや「日課」ではないのではないか、という疑問はともかく。

「もう終わりですか? 手伝うことがあれば、」
「あるならお願いしてるのよ。だから、今はこれでおしまい。夕方もいちど来るのよ」
「そういうものですか……」
納得して頷いて、じっと見上げられていることにふと気づく。

これからどうしよう。畑を見たから、じゃあ家へ戻りましょう、というのはなんだか違うような気がする。そして、リムルに訊ねるのもなんだか違うような気がする。けれど行きたいところが明確にあるわけではない。

「ええと、」
「――フェイズ、今日も寝れなかったのよ?」
前置きなしに言われて息がつまった。小さな手がのびてきて、ふとそれが止まって、どうしたのだろうと思えばどうやら彼女は先ほど雑草を抜いた結果、自分の手についてしまった土を気にしたらしい。
そんなもの、フェイズは気にしないのに。
中途半端に空中にじっとしている小さなそれをやわらかくさらう。一瞬見開いた目が目だけで笑って、フェイズの口元も気づけばゆるんでいる。そうしてその手が、こっちに来るのよ、と誘うので。おとなしくついていけば、ちょっとした木陰に、ぽつんと置かれた何かの木箱。

◇◆◇◆◇◆

「……ええと、」
「座るのよ」
けれど木箱は小さくて、フェイズひとりしか座れそうにない。困ってそっとうかがったなら、リムルは繋いでいた手をはなして、座れ、と指さす。折れてくれないことなんてわかりきっていたのであきらめて腰を下ろせば、不意に這い上がってくるこれは、――疲労感?
「フェイズ、朝ちゃんと鏡みたのよ? 今日のお顔、まっ白なのよ」
「いえ、えと、……大丈夫ですよ?」
「昨日よりも白いのよ。昨日は、一昨日よりも白かったのよ」
「大丈夫です、大丈夫なんです」
単なる睡眠不足でしかないことはわかりきっている。リムルが心配することではない。
それなのに彼女を安心させようと微笑んでみせても、リムルはつられて笑ってくれない。
「お部屋の空気が悪いせいとか、お部屋が暗いせいとか、いろいろ思ったけど、そうじゃないのよ。フェイズの大丈夫、はうそなのよ」
嘘ではない。確かに体調不良は事実だけれど、睡眠不足が原因だ。それでも睡眠不足の原因を訊ねられたくなくて、曖昧ににごしたいのにリムルは騙されてくれない。

「ぼくのことですから」
「――フェイズ」
「ぼくがいちばんわかっています。大丈夫ですよ」
「フェイズ!」
「リムルが心配しなくても、ぼくは、」
「大丈夫なら、リム何にもいわないのよ!」

ごつり、と額にかたいものが触れた。痛みと驚きに瞬けば、至近距離にリムルの顔がある。額が――触れ合っている?
「……おねつ、あるのよ」
「微熱でしょう。いえ、元々ぼくは体温が高いほうで、」
「ぐらぐらしてるのよ」
「リムルが近いからです。その、はなれてくれませんか?」
「目が赤いのよ」
「おかしいですね……別に今そんなに動揺しているわけでは、」
「誤魔化さないで! 寝てない人の目なのよ!!」
返事は、できなかった。――急激に睡魔が膨れ上がり、意識が途絶える。不自然な姿勢で寝入ってしまって、リムルを巻き込んで倒れこんでしまったかもしれない。それが引っかかって、けれどいくらもがいても意識は深い闇にのまれて、……何も考えられない。

―― リ ム ル。
彼女の名前だけが、ただ残響のように意識の中にわだかまっていた。

―― End ――
2009/08/04UP
沁々三十題_so4CP混合_
OFP
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其の名はあまりにも神聖で
[最終修正 - 2024/06/17-13:31]