トーストしたパンに温野菜のサラダ。カリカリベーコンつきのターンオーバーの目玉焼きに、野菜のコンソメスープに、果実を絞ったジュース。
いつもとはだいぶ様子の違う豪勢な朝食メニューに、何かがあるのだろうと思ったけれど。問いただす勇気がなくて、おいしそうですねと微笑んで席について手を合わせた。どんなに声をかけても生返事ばかりだったリムルが、やっとの思いで意を決するころには食事は半分以上片付いていて。
かたい表情につられて思わず手を止めたなら、二人しかいないのにひそひそ話をするようなささやき声。

「――ガガたんに、フェイズのこといおうと思うのよ」
びくり、と肩が跳ね上がるのを止められなかった。意識の外で動いた手はつかんでいたフォークを跳ね飛ばしていて、それが皿に落ちてがちゃんと耳障りな音が上がる。
再会してからはずいぶん表情が豊かになっていたリムルは、そんなフェイズの反応に驚いた顔もしないで、むしろあの旅のときと同じかたいかたい無表情を崩さない。

昨日今日の思いつきではないと、わかった。
あるいはフェイズの反応まで想定していたのかもしれない。

「――リムル、ぼくは、」
「もう半年過ぎたのよ。フェイズが回復してからだって、もうずいぶん経った」
「…………そうですね」
「フェイズがどうしてこのおうちに引きこもってるか、なんとなくわかるのよ。理由くらい想像つく。でもこのままでいいわけないのに、フェイズは、」
いら立つ思いをそのままぶつけるに、リムルが机を叩いた。癇癪を起こした子供のようだ。――この二年、いや二年半でずいぶん大人びたと思ったけれどこういうところはあのころのままのようで、懐かしさからこわばっていたフェイズの口元が少しだけゆるむ。
目ざとくそれを見つけたリムルの眉が跳ね上がって、表情あらわに怒るところははじめて見たような気がする。

――思考が逃げていることは、百も承知だった。

◇◆◇◆◇◆

リムルの指摘の通り、この半年フェイズはほとんどこの家に引きこもっていた。リムルの元にたどり着いた当初は、それまでの無理な一人旅がたたって寝込んでいたのもある。けれど体調が回復してからも、リムルが誘わない限りは――あるいは命令しない限りはひたすら家にこもっていた。
さいわいこの家は家具が少なく天井も高いので、リムルに気づかれないように剣の稽古だけは欠かさなかったけれど。

ずっとこのままでいいなんて、思っていなかった。
けれどずっとこのままでいたいと、願っていたのは確かだった。
――潮時か、と思う。ここ最近沈んでいるリムルに気づいていた。あるいは、何かを懸命に考えている様子の彼女に。誰かに相談したくて誰にも相談できなくて、日に日に笑顔の少なくなっていく彼女に気づかないはずがない。
けれど彼は、もう表に出られない。
誰よりリムルの幸せを願うけれど、彼だけはリムルを幸せにできないと知っている。

◇◆◇◆◇◆

「……そうですね」
同胞たちは彼の生存を知っているのだろうか。彼が、この村に引きこもっていることを。
だからどう、というわけでもないけれどふと思えば、彼の表情をどう思ったのか深く深くリムルが息を吐く。
「フェイズが自分でいうと思ったから、リムは何もいってないのよ。第一、普段、エルダーの村と交流ないし」
「……リムルには隠しごとができませんね」
「今さら気づいたのよ? フェイズのにぶちん。
隠せないんだから、リムに黙ってトリオムから逃げようなんて思っても無駄なのよ」

「…………っ、」
ばれていた、という驚きよりもリムルの鋭さに舌を巻けば、リムルがやっぱり、と息を吐く。
「ずっとずっと逃げるのは無理なのよ」
「わかっています」
「一人旅できたからって思ってるかもしれないけど、あんな無茶、続かないのよ」
「わかっていますよ。……でも、一回体験して少しは経験を積んだわけですから、」
「そうかもしれないけど、そのあとどうするのよ? フェイズが逃げるならリムは追いかけるのよ。わんわだっているんだから、フェイズは結局逃げ切れないのよ」
「そうかもしれません」
それでも、時間をかせいだなら何かを思いつくのではないか。ケルベロスの鼻は誤魔化せないとしても、たとえばもう一度海を渡るとか。
「……リムは、フェイズにエルダーのひとたちとの橋渡しをしてほしいのよ」
「ぼくには、そんな資格ありません」

そしてこんなに罪深い自分が橋渡しをしても、エルダーの同胞たちとレムリックのひとたちが手を取り合うことはないだろう。
橋渡しは、リムルがいい。
あの旅で同胞たちも一目置いている、この星に生まれ育ったリムルなら、きっと。
――けれど自分に、そんな意見をいえるはずなんてない。

◇◆◇◆◇◆

「フェイズ!」
「眠りの呪紋は唱えないでください。ケルベロスの召喚もなしです。
――リムル。今日の朝食、全部食べられないのは残念ですが……いつもおいしい食事をありがとうございます。ずいぶん腕を上げましたね」
リムルの手がかたわらの杖を取り上げる前に、それを奪ったフェイズは口元だけで笑う。……笑っているつもりだけれど、それはかなっただろうか。椅子を蹴飛ばして立ち上がったリムルと同じように、目に涙が浮かんでいたならいただけない。
「この杖は、少しの間あずかりますよ。大丈夫、ちゃんと返しますから」
威力や精度が落ちるからと、杖なしで呪紋を唱えないリムルを知っている。ずっとリムルを見てきた。これからも、見守っていきたかったけれど……それがかなわないことは、最初からわかっていた。
誰よりも幸せになってほしいひとのそばに、罪人がずっと居座るわけにはいかない。
「さようなら、リムル。……きみの幸せを、こころから願っています」
「フェイズ!?」
――きみを泣かせたまま、きみのそばを離れてすみません。

「――やれやれ、どうやらこの間の事件で学習していないわけですか」

出入口に立てかけてあった剣をとって身をひるがえそうとしたときだった。どことなくのんびりしたおだやかな口調、懐かしい声。聞こえたそれに、反射的にフェイズの背がぴんとのびる。
台所とのさかい、ついたての向こうから姿を現したのは、
「……が、ガガーン総司令……!?」
パンに目玉焼きと温野菜とベーコンをはさんだサンドイッチ片手に出てきたのは、懐かしい上司だった。二年前よりもずいぶん日に焼けて、そしてこころもちやせたように見える。
「食べもの片手に失礼しますよ」
「こちらこそおかまいもしませんで、なのよ」
「とんでもない。……フェイズではないですが、とてもおいしいです」
「ありがとうなのよー。ガガたんの持って来てくれた卵がおいしいのよ」
「ああ、それはぜひケイにことづけなくては」
のんびり交わす会話、見た目の印象はまるで仲の良い祖父と孫のような。

◇◆◇◆◇◆

……フェイズが我に返るのに、ガガーンのサンドイッチがなくなるまでの時間を要した。
我に返ったころには手の中にあったはずの杖は持ち主の元に戻っていて、ガガーンはフェイズの座っていた椅子にすっかりくつろいで食後のお茶をすすっている。

「……え、あの……?」
「久しいですね、フェイズ。元気なようで安心しました」
「エルダーと交流がないとか、リムル、さっき、」
「ないのよ。ないけど話し合いしたいってガガたんにお手紙出したのよ」
「……」
「ちなみに、レムリックとエルダーの交流の件で、とありましたが。来てみて驚きましたよ。まさかフェイズがここにいるとは。……詳しい経緯はあとで伺いましょう。
今ここにフェイズがいるとなれば、まずはこの件に決着をつけるのが筋でしょうから」
どこまで読まれているのか。そしてどこまで策を巡らせているのか。無言で見やったリムルは、お茶を手につんとそっぽを向いてしまった。

◇◆◇◆◇◆

かちゃり、ガガーンがティカップをソーサーに戻した。すっと目が向いて、反射的にフェイズの背筋がぴんとのびる。
「――フェイズ・シッファー・ベレス」
「はい」
「あなたの犯した罪の重さを、理解していますか?」
「……あれは、グリゴリにそそのかされていたとはいえ、確かにぼくの意志で起こしたことです。把握、しています」
「わかりました。
――エルダーの法に照らし合わせようにも、あなたの奪った生命の数は途方もなく多く、過去に類を見ません」
「……はい」
「ですから過去を紐解き、それに沿わせるわけにもいかない。
よって、私の判断であなたに刑を申し渡します」
おいてあったカップを取り、優雅に一口すするガガーン。フェイズは背筋を伸ばしたまま微動だにしない。そっぽを向いていたリムルがいつの間にかそんな二人をみていて、気の抜けた手から取り落としそうになっていたカップをあわてて支える。
こくり、鳴ったのどは果たして誰のものだったか。

「己の犯した罪を償う方法を、己で考え、そして実行しなさい」

おごそか、というにはあまりに気楽にガガーンが断じた。フェイズがまたたき、リムルもきょとんとしてカップをテーブルに置く。
「今さら何をどうしようと、失った生命は戻ってこない。そして、何をしようと償いきれるものでもないでしょう。かといって生き残ったエルダーの同胞をひとりでも欠けさせたいわけもなく、また、フェイズ。あなたの能力は同胞の中でもずば抜けている」
干したカップをソーサーに戻し、それをテーブルに落ち着けて、
「ですから、全身全霊をもって考えなさい。何を、誰に、どうやって償うか。それが本当に償いになるのか、自己満足だけになっていないか。あなたなら素晴らしい案を考えてくれるものと信じています。
……ただし、」
リムルがお茶のおかわりを注ごうとするのを手で断って、
「考えるのはひとりでもいい。けれど実行に移す前に必ず誰かに相談すること。許可を得るのではなく、必ず相談しなさい」
「誰か……ですか?」
「ええ。誰でもいいのです。私でも、エルダーの同胞の誰かでも、……彼女さえ了解してくれるならリムルさんでも。その他の誰かでも、これらすべてのひとでも」
「リムは別にかまわないのよー」
「ありがとうございます。……ほら、フェイズあなたもお礼を言いなさい」
「え、ああ……ありがとうございます、リムル」
ガガーンはどこまでもおだやかに微笑んでいる。裏があるのかないのか、それさえもわからない。好々爺のようで、老獪な政治家のようで。
フェイズがかなわないことだけは、その笑みひとつでよくわかる。

「……ですから、あなたにはひとりで生きることを許可できません。あるいはそれが償いのひとつだというのなら、今ここで私かリムルさんに相談しなさい。
私は認めませんが」
「リムも、なのよ。
大体フェイズをひとりにしといたら、三日で野垂れ死に決定なのよ。これから冬になるし」
「……だそうですが?」
「説得材料を用意してから……改めます」
「多分フェイズが何いっても、リムは許さないのよ」
「それでも、です」

もはや単なる意地に突入しているフェイズに気づいたのか、ガガーンはにこにこしている。リムルは途中だった朝食を思い出したように、先ほどのガガーンの真似をして食べかけのトーストでサンドイッチを作りはじめた。
フェイズの朝食も途中だったけれど、椅子はガガーンが占領している。それ以前に、逃げようとした罰の悪さで今さら食卓に戻ろうなんて、
「残したら怒るのよ。無駄にしていいものなんて何ひとつないのよ」
「その通りですよ、フェイズ。……ああ、私が席を占領していたのですね。
リムルさん、畑を拝見してよろしいですか? 先ほど通りがかりに眺めても、素晴らしかった。あれはおひとりで?」
「もご……うん、ご自由に、なのよ。あの畑はいろいろ教えてもらってリムが作ったのよ。あとでガガたんにも教えてあげてもいいのよ」
「それは嬉しいですね。……では、しばし失礼します」
即席のサンドイッチにかぶりつきながらリムルがうなずいて、その小さな手からぼろぼろ落ちる具にフェイズの意識が集中している間にガガーンは出ていってしまった。じっと見つめられれば落ち着かなくて、仕方なく途中だった食事を再開することにする。

◇◆◇◆◇◆

「エルダーの村に行くの?」
「……春になるまで考えようと思います。今は、ここにおいてください」

会話はそれきりで、お互い黙々と食事を進める。
居心地の悪さがいつの間にか消えていて、それがフェイズには居心地悪い。

―― End ――
2009/08/28UP
沁々三十題_so4CP混合_
OFP
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奇跡からの逃走
[最終修正 - 2024/06/17-13:32]