「……あれ? にゃんこはどこいった??」
「あのどらねこなら港で水揚げされた魚のおこぼれを狙っているぞ。あいつに用か? 私などより」
日中だろうが夜だろうが、陽の射さない隠れ家にこもっていると時間の感覚を忘れる。当面の騒ぎは収まったし、あの宗教かぶれどもいなくなった。アストラル王の覚えめでたいイレーネがこそこそする必要はないけれど、静かで過ごしやすいために、読書などをするときにはいまだにここを利用する。
今日も隠れ家にこもっていたイレーネを訪ねてきたクロウは、器用に片眉を跳ね上げた。
「いや、なんだかんだで騒がしいはずが今日は静かだなーと思って。……妬いたか?」
「……つくづく平和な脳ミソだな」
呆れで他に言葉を選ぶ気にもならない。吐き捨てたなら、なぜか楽しそうに笑う。
この男がよく分からないところで楽しそうにするのは今日に限ったことではないので、またかと思って男をしめ出し隠れ家の扉を閉めようとしたけれど。でかい図体が、その靴先が扉の隙間にねじり込まれてイレーネの意図は叶わなかった。
「何の真似だ」
「いやいや、せっかく静かなんだからこれはもう美女を口説くしかないかなって」
「平和な上に茹だっているらしいな、その脳ミソは」
「あっ、ひっどいなー」
ああいえばこういうなめらかな舌の相手をするのにすぐさま疲れて、好きにしろと扉をおさえていた手をはなすなりくるりときびすを返す。
「意外と落ち着くな、ここ」
「よほど騒がなければ外の音は聞こえないし、逆に外に音も漏れない。温度も外にくらべれば落ち着いているし、その割りににおいもこもらないし、読書には理想的だぞ」
「……読むんじゃなくて、書いていたみたいだな?」
「ああ、陛下への書状をな」
扉を閉ざせば音どころか明かりも入らない。ランプの明かりに照らされる内部を興味深そうに眺める男に、別にはじめて入るわけでもないだろうと息を吐く。好きにくつろげと吐き捨てて自分は手早く二人分の茶を入れて、その間、男はどうやらイレーネが書きかけていたものをしげしげと眺めていたらしい。ずいとカップを突きつければ満面の笑顔と簡単な礼でそれを受け取って、イレーネのために図体をどける。
「魔王の復活、だったか」
「神託はまずはずれない。復活は防ぎきれるものではなく、いつか起きるものとして、その対策をしておくべきだろう」
「具体的には何を?」
「各国の王とのパイプ作りの進言だな。平時は別に対立してもかまわんが、魔王討伐には全世界の人間の協力が不可欠だ。とりわけ権力者のな。事前にトップに話を通しておけば、「勇者」たちはその分戦いに専念できる」
クロウの存在を半ば無視して、かきかけの書状を前に筆をとった。そんな彼女の邪魔をするつもりはないのだろう。脇によけたはずのクロウは、そのままイレーネの蔵書を眺めにかかる。
「……聖女って割にはけっこうドライなこというんだな」
ぽつり。独白のような声が耳に届いたのは書状の清書が終わったころだった。筆をおき、インクの乾き具合を確認しながらイレーネは薄く微笑む。同じ台詞を別の人間が口にしたならまったく違って聞こえただろう。けれど聞こえたそれはどこまでも素直で、裏を勘ぐらなくてすむのだと無条件に信じられる。
「私は自分からそう名乗ったことはない。ヒトは争いを捨てられるイキモノではないし、そもそも戦いを捨てたなら初期段階での魔王への抵抗ができなくなるしな」
「なるほど、ごもっとも」
「――おまえも、戦いを捨てられない人種だろう?」
最後にもう一度中身を目で追って確認してから、書状を丸めて用意しておいた耐水性の筒に入れ、ロウをたらして封印をする。興味深そうに眺めてくる視線に、彼の文化に封蝋を使うことはなかったのだろうと予想がついたけれど、特に何もいってこないので彼女も特には説明しない。
「――さて。明日にでもこれをアストラル王に渡してこい。道はどらねこが知っている。王への目通りも、どらねこがいれば問題ないだろう。
渡し終えたら帰り道のタトローイで闘技場に顔を出してくるがいい。お前の腕なら優勝は易いだろうが、見どころがある人材の発掘を忘れずにな」
筒の封をランプの明かりで確認してから、いつの間にかすぐそばにいた男に突きつける。すっかり空になったカップをもてあそんでいた男は、それのかわりに受け取った筒に苦笑した。
「相変わらず人使いが荒いな」
「性分だ」
「断言口調だし」
「それも性分だ」
「……先見の能力のせいで?」
「ぶれたものいいでは私を頼ってきた者が動揺する。だが、それだけではない」
幼いころから勘が鋭い子供だった。長じて「能力」を開花してからは、その精度は飛躍的に高まった。
――一度としてそんなこと、望んだりしなかったのに。
けれど、すでに得てしまった能力を活用しないのも間違っていると思うから「聖女」と呼ばれそれを否定しない。その二つ名はいくらでも利用しよう。
ただ。
自分が間違っているとは思わない。けれど、絶対的に正しいことをしているなんて妄信、一度として抱いたためしがない。そんな自分に辟易しているし、自分以上に「正しい道」を示すに足る人間がいたら喜んでこの立場を譲ろう。
――あるいは。
「かわいげがなくて悪かったな」
「いや? 別にそんなこといってないし、はじめて逢うタイプの女性だからなあ。おかげで毎日が新鮮で、だから楽しくて仕方ないよ」
「……お前は加虐趣味なのか被虐趣味なのか理解に苦しむ」
「ひどいこというなよ、どっちでもないし」
こちらの尊大な軽口に、逆上することなくことごとく面白そうに小気味よく返してくる男。星の海からきたこの燃えるような赤毛の男になら、譲ってもいいのは立場ではなくて、あるいは。
――だが、お前になら私を譲ってもいいかもしれんな。
「……ん? 今何かいったか??」
「気のせいだろう。とっととどらねこを呼んでこい」
「へいへい」
ぽつりとこぼした言葉は多分聞かれなかったのだろう。聞き返してきたのを無視して、しっしっと追い払うように手を振って、隠れ家から追い出す。
暗がりに慣れた目には、陽光にとける赤毛が一瞬見えなくなって、
その、瞬間――、
――ありがとな、俺も愛してるぜ。
……きこえたかもしれない言葉が、事実だったかどうかわからない。
即座に隠れ家の戸を閉じてそこに背をつけて、つとめて静かに息を吐く。たった一言でいいように動揺している自分が、自分でなんだかいいようもないほど悔しかった。
