ぴぴぴぴぴぴぴ、いつもの音がした。
ぼんやり意識が浮上して、けれどまだ半分以上夢の世界にいるリムルに対して、となりの寝台から躊躇なくがばりと起き上がる気配。やがて室内が容赦なく明るくなって、伏せたまぶたの向こうのまぶしい世界にもしょもしょと顔をしかめて、うぅ、などと小さくうなる。
「リムちゃん? 起きてる??」
「……リムは……おねむしてるのよー……」
「ふふ、聞こえてるみたいね。
ちゃんと起きるなら、朝ごはんのおかずのメニュー、ひとつリムちゃんの好きなの作ってあげちゃうんだけどな」
「おきる、のよ」
リムルに声をかけながら、同室のレイミはいつもどおりてきぱきと身支度をしていたらしい。朝ごはん、のことばにつられてもぞりと身を起こしたリムルに、寝るとき用にゆるく編んだみつあみ以外はいつもの格好で、にっこりと微笑む。
「わたしは顔洗ってから朝食の準備しているから。リムちゃんもちゃんと身支度してから降りてくること。ああ、それでリクエストは?」
「……たまご。ぐるぐるにしてやいたのがいいのよ。あまいの、なのよ」
「ふふ、了解しました」
「れーたんれーたん。ねえ、リムもやってみたいのよ。じゅーって、ぐるぐるって」
「ううん、砂糖入りのは焦げやすいんだけど……わかったわ。最後に焼くようにしてリムちゃんが来るの待ってるから、急いで準備してきてね。じゃあ、先に行ってるから」
「わかったのよー」
そうしてレイミはぱたぱたと部屋を出ていって、寝巻き姿でまだ半分以上ぼーっとしているリムルが残された。このままぽてっと寝台に横になったなら、あっさり眠りに引き戻されそうな気がする。
とりあえず寝巻きに手をかけて、がばりばさりと脱ぎ捨てた。
朝ごはんの魅力には勝てない。
そんなこんなで格好を整えて、階下に降りる。そのころにはすでにリムルのリクエストの卵焼き以外の朝食メニューをほぼ完成させていたレイミの手際のよさは、何かの呪紋でも使っているのではないかと、いつもながら不思議に思う。
ともあれ。
「口で説明するよりも、まずわたしが一回作ってみるから、見ててね」
「わかったのよ」
「なるべくゆっくりやるけど、……よいしょ」
リムルははじめて見る、小さくて四角いフライパンを熱して油をしいて、よくといて味つけした卵を流し入れる。ぐるぐるとかき混ぜて、半熟状態になったら向こうがわによせてしまって、レイミが、こん、とフライパンの柄を軽くたたいたならそれはくるりぱたんとひっくり返った。それを再び向こうがわによせて、あいたスペースに新しく卵を流し入れて、向こうに寄せた卵も少し持ち上げてその下にとき卵を流して……、
こうやって作るのか、と、漂いきたいいにおいに鼻をひくつかせながらリムルは思う。
これはけっこう簡単そうだ。
「……これくらいでいいかな」
リムルのリクエストの甘い卵焼きはあっという間にほかほかとでき上がり、レイミはそれをまな板の上におろした。
「はい、今度はリムちゃんの番」
「わかったのよ」
フライパンを渡されて、やけどしないようにと注意されながらそれをコンロに戻す。フライパンが熱くなったところでレイミの指示に従って、火からおろして油をしいて、
「わたしが卵入れるから、リムちゃんはフライパン見ててね」
「うん」
菜ばし片手にきりっとフライパンをにらみつける。
先ほどレイミが作ってみせたあれと同じことをすればいいのだ。頭の中にレイミの動きを思い出す。あれと同じことをすればいい。
夜番でフライトデッキに詰めているフェイズが、コールに返事をしない。ということで呼びにきたリムルは、一心不乱にキーボードを叩くフェイズの姿に、まず圧倒され、次に彼女の存在に気づかないことに腹を立て、そのうちに呆れて色々あきらめることにした。
フライトデッキのドアを開けた時点から彼の元に歩いていくまで、何度か名前を呼んでもまるで反応がない。これではコールの音に気づきもしないだろう。聞こえないコールに返事があるはずがない。
名前を呼びながら彼の袖をぐいと引っ張って、これで悲鳴を上げたり怒ったりしたならレイミにいいつけてやろうと思う。不穏な彼女の思考に驚いたように、実際は集中しているところからいきなり引っ張られて、フェイズが跳ね上がった。
「!? あ、リムル……」
「フェイズ! もー、いい加減にするのよ」
「ええと、……あれ、もうこんな時間ですか。おはようございます」
「れーたんが何度もこーるしたのに、お返事しないのはダメなのよ」
「すみません、作業に夢中になっていたみたいです」
いいながらもフェイズの手は止まらず、画面に流れる情報の意味がわからないリムルに、彼が今何をしているかなんてわかるはずもない。
義理は果たした。フェイズは確かにリムルを認識して、挨拶と返事をした。
今通ったばかりの通路を回れ右して、ベーっと舌を出す。もちろんフェイズは見ていない。
「早く来ないと朝ごはん冷めちゃうのよ。ううん、わんわにあげちゃうからフェイズの分はないのよ」
「まってください、今行きますから」
どれだけ固まっていたのか、うーん、とうめき声および腕だか肩だかを回しながらのこきこきとした音が止んで、キィ、とかすかに椅子がきしんで背後に近くなる気配。残念、ケルベロスにあげようと思った焼き魚は確保できなかった。
思いながら、もちろん背後のことなんてもうまったく気にしないで足を踏み出すリムルに、小さなつぶやきが聞こえる。
「……あれ?」
「なんなのよ」
「なにか、いいにおいが……」
「リム、れーたんのお手伝いしたのよ」
「ああ、なるほど。それは楽しみです」
……本当に楽しめるなら大したものだ。
意地悪く思いながら、聞こえないふりをして朝ごはんの元へ急ぐ。フェイズのことばで思い出した。リムルも、全員がまだ食べていなくて、空腹がつらい。
「――で、何ですかこれは」
「たまごやき、なのよ。甘くてぐるぐるなのよ」
「砂糖入れると焦げやすくなっちゃうんです。どうしても」
「レイミは慣れてるから、キレイに焼くけどな」
あんなに簡単そうに見えたのに、レイミが焼くのを見る限りはあんなに簡単そうだったのに。リムルが焼いた結果の焦げ色を通りこして炭色になった物体は、平等に各自の皿に分けられている。
さすがの出来にリムルは捨てようとしたけれど、せめて自分だけで食べようとしたけれど、彼女にフェイズを呼びに行かせている間にレイミが分けてしまっていた。
こと食事に関して、副長の権限は船長を軽く上回る。
「うふふ、わたしも最初はこんな感じだったから。ちょっと懐かしいな」
「はじめてだったら仕方ないさ。大丈夫、食べれないことはないだろ」
平等に分配したので、一人頭の量は少ないのが救いだろうか。
結局。
クルーたちはリムルの焼いた卵焼き(っぽいもの)を食べてくれた。最後まで渋っていたフェイズでさえ、レイミが威圧する前に口に放りこみ、よせばいいのにというかほぼ丸呑みすればいいものを、ちゃんと味わってくれた。
嬉しくて悔しくて、ぐるぐるするリムルにみんなが笑う。
――次、がんばればいいよ。
もう二度と作らない、という選択肢は。
どうやら選べそうもなかった。
