日付が変わったことを確認して、フライトデッキに向かった。
エルダーの技術提供を受けた新生カルナスは、自動航行が有効な状態ならクルーが常にフライトデッキにいなければならないわけではない。けれど変なところで生真面目な彼は――あるいはエルダーの新技術に興味津々なだけかもしれないけれど、ちょこちょことフライトデッキにつめている。
先ほど確認したら、どうやら自室にはいなかった。だからきっとフライトデッキにいるのだろうと思った。
「エッジ?」
「あれ、レイミ。もう寝たんじゃないのか。夜更かしは肌によくないんだろ」
「用事がすんだらすぐ寝ます……って、フェイズさんもここにいたんですか」
「はい。エッジさんに少し質問されて、実際にここで説明した方がうまく答えられると思って」
「ふふ、エッジにそんなに気を使わなくても。焦らなくてもまだ目的地は先でしょう?」
「そういうなよー、気になったらいても立ってもいられなかったんだ」
はたしてフライトデッキに目当ての人間はいた。だがしかし。申しわけないことに、まったく想定していなかったもう一人もまた同じ部屋にいた。まあ、天下のサイオンジ令嬢ともなれば想定外に対する動揺を表面に出さないスキルは標準装備。さらりにこりといつものやりとりに流して、しかし困る。
――どうしよう、エッジの分しか持ってきていない。
――むしろ、一人分しか用意しなかった。
まあ、自室に戻ればあまった材料で作った自分用があるから、時間さえあればどうにかする自信はある。あるけれど。
……この場をどう乗り切ろう?
にっこりといつものスキのない笑みを浮かべていたはずだ。ほぼ生きてきた年数分磨き続けた技術は信頼しているし、それはきっと親にさえ通用する自負がある。
けれど、
けれどたったひとり、幼馴染にその偽りの笑みは通用しないのかもしれない。確かめるつもりはないけれど。
そんな不安を覚えたのは、不意にエッジが視線を動かしたからだった。思わずそれを追って、そこにあったのは時計。カレンダー表示もされているから、ひょっとしたらそちらかもしれないけれど。
ともあれ。
おもむろにその場にしゃがみ込んだ船長に、その前の視線移動に気づかなかったフェイズが明らかにぎょっとして、けれど悲鳴、もしくはそれに似た何らかの声が上がる前に彼は何ごともなかったかのようにまっすぐに立っていた。
その両手には、SRFのロゴプリントがでかでかと印刷された色気のない小さな袋がひとつずつ。
「いつの間にか日付変わってたんだな。ってことで、はいこれ」
中身おんなじだからどっちでもいいよな、とさし出されたそれを反射的に受け取ってから、ひょっとしたらこの状況をフォローされたかもしれないことに焦る。けれど蒸し返すのも墓穴を掘るので、とっさに反応ができない。
さいわい、気まずくなる前に別の声が上がった。
「ええと……エッジさん、こちらは?」
「地球の……まあ一部の地域の歴史的行事、かな。小さいころにさ、戦争生き残った文献みつけて、それ以来僕とレイミの恒例行事なんだ」
――まあさすがに地下だと物資が乏しかったし、SRFの訓練中はそんな余裕もなかったし。
――ああ、そういえばはじめてだっけちゃんとしたのって。
事情をわかっているレイミにはともかく、事前知識がないとまったく回答になっていないそれに、明らかにフェイズが困っている。それともこれはフォローの続きなのだろうか。
「エッジ、フェイズさんが困ってるわ」
「え? ああ……開けていいよ。それは僕からフェイズに」
「はあ」
素直な彼は許可を受けて――それはあるいは彼にとってはある種の命令だったのかもしれない。がさがさと袋を開けて、そこから出てきたものにますます困惑顔になる。
「エッジさん……ええと?」
「チョコレートだよ。いや、なんだかんだで変形しちゃってるけど、味は、うん、問題なかったから!」
「……ちなみにエッジ、これいつ買ったの」
「三ヶ月くらい前、かな? ムーンベース出る前の最後の休みの日。
いやあ、忘れないように失くさないようにって私物に詰めて持ち歩いたら、そんなことになっててさ。昨日気づいてさすがにびっくりして、ためしにひとつ食べてみたけど、まあ味は問題なかった! と思う!!」
――風味はさすがに落ちていると思う、
とはいえなかった。受け取ったのと反対の手に握りしめた、エッジあてのチョコレートもまさかこのタイミングで取り出せるはずがない。むしろ、すがるようにこちらを見つめてくるフェイズをまずフォローしないと、明日以降のチームワークにかかわるかもしれない。
「バレンタインデーというのは、もとは地球の……恋人たちの守護者とされた、古代の聖人に関わる日なんです。それをあやかって、製菓メーカーが互いにチョコレートをプレゼントする日、だと宣伝して、大戦前の日本では定着していたみたいで」
「そ、そうなんですか……」
「この形状を見る限り、風味は落ちていると思いますけど、……もらってあげてくれませんか、フェイズさん」
「あはは、ごめんなフェイズ。大丈夫、毒じゃないから食べても腹壊さないよ!
そんなわけで、これからもどうぞよろしく」
「え! ええ、はい、それはもちろんですエッジさん」
まるで無理にそういわせているように見えて仕方ない。
「……疲れたからもう寝ます。これありがとう、エッジ」
「レイミ?」
「フェイズさん、ちゃんとした……チョコレートケーキ、起きたら焼きますから。受け取ってもらえますか?」
「えっ、あっ、はい、ありがとうございます」
「ちょ、レイミ! 僕には!?」
「おやすみなさい」
二人の視界から外れる最後まで、いつもの完璧な笑顔を浮かべていたはずだ。
けれど。
プシュ、といつもの音を立てて閉じた扉を背に今自分がどんな表情をしているかがわからない。
エッジからのチョコレートを受け取ったのと逆の手に、彼に渡すことのできなかったチョコレート。日付が変わってまださほど経っていないから、寝て起きて、何食わぬ顔をして押しつければいいと、思うけれど。
なぜだか胸の奥がもやもやした。
嬉しいのか悔しいのか喜んでいるのか怒っているのか。
自分のこころがわからない。
