「レイミさん、おはようございます。早いですね」
「おはようございます。……朝食の用意がありますから」
「えっ、ひょっとしていつもこんな時間に?」
「ふふ。お仕着せの食事が味気ないっていうのはわたしのわがままですから」

―― 雨の日、わざと傘を忘れて行った

レムリックに到着してリムルを一時の仲間に加え、ちょっとした用でカルナスに戻ってきて一泊、翌日の早朝だった。簡易スキャンしたこの星のデータをフライトデッキでまとめているうち、気がつけば貫徹していたフェイズは、開いた扉の向こうでくるくると働くレイミに出迎えられた。
それが地球の様式なのだろうと、特に口に合わないこともない――どころか、どうぞと出されるほかほかの料理はエルダーのそれと比較するのが失礼だと思ってしまうほど、毎回種類豊かでとても美味しい。おかげで毎食ひそかな楽しみになりつつある食事が、まさか副長の完全手作りだったとは。
エイオスを出てそれなりに経つ割に、今日になってはじめて知った事実に舌を巻く。宇宙船規模になるとエルダーの技術の方が先を行っているけれど、食事――特に簡易食事に関して地球の技術は侮りがたい、などとかいていたレポートはすぐにでも修正しておかないと。
そんなことを思う間に、エッジがおりてきたら朝食にしますから、それまでちょっと待っていてくださいね、とあたたかいカップを出されて恐縮するしかない。地球人全般ではなく、きっとこれは確実にレイミ個人の資質なのだろう。フェイズの好みにはほんの少しだけカフェインの苦みが勝つカフェオレは、貫徹した今の頭にぴったり以上にぴったりだった。

◇◆◇◆◇◆

「データはまとまりましたか?」
「とりあえずは、といったところです。元が簡易スキャンのデータですし、これから判断材料も増えますから。……全部そろってから手をつければ二度手間がないのはわかっていますけど……」
「性分、ですか」
「ええ。時間があるのに放置しておくのは、何となく落ち着かなくて」
朝食の支度はすでにすんで、彼女も船長待ちなのだろうか。雑談をしながら彼の横の席に腰を落ち着けたレイミは、それが彼女の好みらしい、濃い緑色の液体をたたえたいつものカップを手にしていた。一口すすって、ふうと吐息をもらす。見るとはなしにその様子をながめながら、ふと彼女の背後に広がる風景に……とりあえずまだまだあつあつのカフェオレを一口含んだ。
レイミのきょとんとした顔に、表情の変化がばれていたことを知って、何となく居心地が悪くなる。
「いえ……その、雨が降っているなあ、と」
今日はリムルの案内でアラネア砦に向かうことになっている。バカラス病のことを考えると、こうして悠長にしている時間さえ本当は惜しい。しかし、はやる気持ちも今日の予定も、そうと判断した船長も、すべて正しいと理屈では分かっても。いつ降り出したのか、叩きつけるほどではないけれど無視することもできない、この雨の中を行軍するのは気が進まない。
「生まれから、どうもエルダー人は寒さよりも暑さの方に耐性があるらしいんです。……ああ、エルダー全体がというよりも、ぼく個人が、かもしれないんですが。
この中を歩くのは、だから、気が進まないなあ、なんて思って」
「そうですね、この星の……トリオム周辺の雨は、年中通して冷たいって聞きましたし」
――仕方がないとはいえ、わたしも本音では雨の中を歩かずにすむなら、と思います。
同意が返ってきて、それもまた何となく気恥ずかしくて、さらに一口カフェオレをすすった。

それで会話が途切れた。
エッジはいつおりてくるのだろう。沈黙が重いというほどではないけれど、レイミも何やらぼんやりと考えごとをしている。今さら目線を変えるのも白々しいかと、実際は何も考えずに、そのまま雨の風景を背景に静かにたたずむレイミを眺めていた。
こうしている分には、しばらく後には自分たちがこの雨の中出ていかなくてはならないことさえ忘れてしまえば。つややかな黒髪の麗人は、しっとりとした背景と合わせて完璧な絵になる。いつもの彼女に比べてなんとなく沈んだ雰囲気は、背後の雨の風景に格別に似合っていて、語彙の少ない自分をもどかしいと思うほど似合っていて、
――なんとなく沈んだ雰囲気……?
「……レイミさん」
「えっ、あ、はい? なんですか、フェイズさん」
「ええと……ぼくの勘違いならすみません。その……何か、あったんですか?」
「ええっ!?」
唐突にすぎる質問に驚いただけかもしれない。ひっくり返りかけた声にふと我に返って、立ち入ったことを無遠慮に訊ねてしまった自分が、今までの比ではなくいたたまれなくなった。
――すみません、などとここで謝ったらさらに失礼を重ねてしまうだろうか、でも、
悩むうちに、悩んでいるフェイズを前にしたからか、一度は動揺したレイミははや冷静さを取り戻したらしい。一度は思わず跳ね上がるほど動揺していたはずなのに、何とか無事だったカップに口をつけて、次に顔をあげた時にはいつもの落ち着いた副長の顔に戻っていた。
かなわない。
敗北を悟って、しかし反発心は湧いてこない。何をいわれても仕方がないと、がっくりと肩を落とした内心でそれでも身構える。有能な副長はどう出るだろうか。失礼ですよとたしなめるのか、それともセクハラですと怒るのか。妙なことをいい出しますねなんて何ごともなかったように流して、けれど言葉の裏に鋭いとげを投げつけてくるのか。
――けれど、
「……そうですね、」
けれど実際は、フェイズの予想はどれもかすりもしなかった。
「昔、雨の日に投げつけられた言葉が……忘れられないから」
予想のはるか上の言葉。そっと告白した黒髪の副長の口の端には、儚い笑みが浮かんでいた。

◇◆◇◆◇◆

忘れられないというその言葉がどんな内容だったのか、喰い下がったならひょっとしたら教えてくれたのかもしれない。彼女の沈んだ様子に思わず追求を飲み込んでしまったけれど、追憶の表情がたまたまそう見えただけで、実際のそれは幸せな思い出だったのかもしれない。
可能性は実現しないまま、フェイズの喉は音を忘れたまま。ただ双方のカップの中身は減っていって、それらがちょうど空になるころに船長がおりてきて、そんな船長に少し遅れたリムルもやがて席に着いた。
全員が席に着くタイミングを完璧に読んだレイミが、用意してあった朝食をテーブルに並べて、賑やかな食事がはじまって、――一行が出立するころには、幸運なことに、天から降る雫はずいぶん弱く霧のようなものに変わっていて、

雨が降ると、レムリックで雨が降ると。フェイズの脳裏に一枚の絵が浮かぶ。
一枚の絵のように完璧だった、何でもないあの時間が思い浮かぶ。
雨の風景にしっとりととけ込んでいた黒髪の彼女は、今になって思い返したなら、そうだ。
まるで――まるで。あの日の彼の眼には、まるで思うようにいかない恋に焦れる女神のように、映っていた。

―― End ――
2011/06/02UP
彩日十題_so4エッジ×レイミ_
OFP
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雨の日、わざと傘を忘れて行った
[最終修正 - 2024/06/17-13:53]