――どこかで、泣き声が聞こえた。
声の限りに、涙の限りに、それは泣き叫ぶ声だった。
一気に意識が浮上する。
――この声を知っている。
――この声の、主を。
そこは森で、豊かな森で、深い森だった。妖精たちの好みそうな森で、けれど妖精たちはここにいないことを知っている。いない、彼らは。もう。この世界に。
ともあれ緑の濃い森は、けれど適度に光が入って暗いという印象はない。
そこに響くのは、声。
恥も外聞も気にしない、天をあおいでぼろぼろと涙をこぼす子供の泣き方。けれどそうして泣いているのがいい歳をした男だというのはいただけない。
少年、という表現はもうそろそろ通用しないだろう。青年、あるいは男。すっかり背がのびて、知っていたころよりもひとまわり、ひょっとしたらふたまわり近くたくましくなって、傷だらけの鎧を着こんで、くたびれた服をまとって、背負った大きな剣はすっかり彼になじんでいる。
――やれやれ。
――外見はすっかり大人になったというのに、その泣き方はいったい何だ。
――泣くな、とはいわないけれど、せめて周囲の目を気にしたらどうだ。
――ああ、……今は周囲に誰もいないのか。
男泣き、とはいえないだろう。外見に似合わないそれは、どう見ても子供の泣き方だ。
いい加減涙がかれたのか、しゃくりあげる泣き方になりつつある彼に深く息を吐く。
――そんな風に泣かれたら、静かに寝ていられないじゃないか。
彼の目の前でびしりと指を突きつけても、反応はない。
あるはずがない。自分はとうに死んで、肉体はあの砂の城に遺してきて、今ここにいるのは意識なのかこころなのか魂なのか、ともあれ目には見えないし声も聞こえない、感覚ではとらえることのできない存在だ。存在ですらないのかもしれない。エルフと魂継ぎをしたあのころの自分でも、そういう類のモノは感じなかった。ただの人間でしかない彼に、自分の持ちえなかった特殊能力を求めるわけにはいかないだろう。
わかっていた。
彼に触れたくても、彼に触れてもらいたくても、もうかなわないことくらい。
こんなにも、幼子のように泣いている彼を前にしても、なぐさめるどころか触れることも、声を届けることも、存在を知らせることさえできないことくらいわかっていた。
それでも思わず手をのばして、彼に触れようとして、やはり彼の肉体をすり抜ける。ただ。すり抜けたことに何かを思うよりも先に、彼に触れた瞬間なだれ込んできた感情に思わず凍りついた。
――ごめんなさい、と謝っていた。
――リドリー、ごめん、ごめんなさい、と。
彼は他でもない自分に謝っていた。
――なぜ、
呆然と、きっと肉体があったなら彼に触れようとした手に目を落としていただろう。あるいはいまだ泣き止まない彼を、思考の止まった頭で見つめていたかもしれない。
――なぜおまえが謝る。
――おまえがわたしに謝る必要が、どこにある。
勢いだけは落ちて、けれど今もぼろぼろとこぼれ落ちる雫。彼の口からもれる嗚咽はことばにならず、そうして子供の泣き方で、けれど彼は泣きながら一心に謝っている。
たったひとりを想って泣いている。
――やめろ、
ふるえるこころでことばを搾り出しても、それは彼に伝わらない。目をふさぐことも耳をふさぐこともできず、望んでもいない彼の謝罪から逃げられない。
――やめてくれ。
――おまえがわたしに謝ることなんてない。
命令しても懇願しても、声は届かないし触れられない。存在を知らせることさえできなくて、どこかへ逃げることもできない。
――わたしの方が、おまえに謝るべきだろう。
――ひとりで決めて、行動して、皆を巻き込んだ。
――おまえを巻き込んだ。
彼は泣き止まない。こぼれ落ちる雫はいつまで経ってもやまない。
周囲の緑は濃く豊かで、けれど光だってここにはあって。こんなにもきれいな場所に――もっときれいなものがほろほろと降り続く。
――泣きやんでくれ。
――お願いだ、わたしにはもう、
――おまえをなぐさめることができないんだ。
これは罰だろうか。世界の理が遺した、これは呪いだろうか。
あれからどれだけの時が過ぎたのかわからない。彼の姿を見るに、年単位で時間が流れているに違いない。
なぜ今になってこんなモノを見せられるのだろう。
なぜ彼は今さら泣いているのだろう。
なぜ、
――なぜ、自分のための涙がこんなにも嬉しい……?
妖精のいない、妖精の好みそうな森の中。彼の涙はやまない。
きっと世界でいちばんきれいな雫が、嬉しくて苦しくて切なくて、
――愛しい。
