「な、何しやがる!! 触るんじゃねえ!」
毛まで逆立てて思わず大袈裟に飛びのいてから、アルベルはそんな自分が情けなくなった。
――なんなんだ、こんなのいつもの俺じゃねえ。……いや、確かにいつもと違うが。
しかしそんな自己嫌悪(?)よりも。飛びのく瞬間、小さな手が確かに自分の尻尾に触れて、まだそこにその感触が残ったままで、おかげで身体が妙に疼きだした。言ってみれば本能の放ったストレートが、理性のボディにまともに突き刺さったといったところだ。
……ヤバい。
しかし。やっぱりマリアはそんなアルベルにまったく気付かずに、
「――やっぱり、神経通っているのね……」
「自分ので確かめりゃすむだろうが阿呆! 大体、そうでなきゃ動かねえだろっ!!」
よほど好奇心をあおられたのか、ぱたぱたと動きはじめたマリアの尻尾を、悲鳴のようなアルベルの声が示す。ふっと見下ろしてまじまじとそれを見て、どうやら半分猫になったおかげで、こちらもいつもと行動パターンが微妙に違うマリアが、そんな尻尾を掴まえた。
したぱたぱた。
マリアが掴んだのは長い尻尾の真ん中あたり。ストロークが短くなったおかげで、尻尾の先が前よりも勢いを増してぴこぴこ揺れる。まるで別の生き物のようだ。
「……変なの」
つぶやいたマリアが先の方を掴み直すと、今度は付け根の方がによによと揺れだして。
この隙にどうにか落ち着こうと、いやいっそここから逃げようかと、やはり外見はいつもと同じ面白くなさそうな顔で、しかし内面は焦りまくったアルベルがいろいろ考えているうちに。マリアが小さく首を振る。長い髪がさらさらと流れる。
「――なんか……、変な感じだわ……」
「何がだ」
「しっぽ。……くすぐったくて、痛くはないけどなんだか落ち着かなくて」
ねえ、さっき逃げたのって、この変な感覚のせいなのかしら?
上目遣いで見上げられ、それがやたらと艶めいて見えて、アルベルは一瞬息を止めた。くらくらする。一騎打ちはそこで本能が勝って、引き寄せられるように腕を伸ばして――そこで理性が最後の抵抗。ほんの少しだけ我に返る。
伸ばした手をぐっと握り締めて。ものすごく葛藤しながら彼女から目をそらして、
「――知るか」
吐き捨てて、部屋から出ようと――
くいっ。抵抗を感じて、アルベルの動きが止まった。
「……あぁ!?」
「なんでいきなり逃げるのよ。ネルの料理もそろそろ出来上がるはずなのにどこ行く気?」
――このままじゃマズいことになるからに決まってるだろうが!!
力いっぱいそう怒鳴りたい。が。もちろんそんなこと言えるはずがない。
アルベルはとりあえず、いろいろな意味でわなわなと震えながらも、努めて冷静に声を絞り出す。
「……離せ、阿呆」
「離したら逃げるんでしょう」
――ああ、そうだよ! これが髪ならいっそのことこの際切ってやろうかってくらい、ここから逃げたいんだよ!!
神経まで通っているナマの尻尾を自分で斬り落とすのは、さすがに気が引けるから。元に戻ったときに、何がどうなるかも分からないし。だからこうして黙って耐えているのだが。
しかしマリアは、まったく分かってくれない。
「……アルベル?」
「――なんだ」
「なんでこっち見ないのよ?」
――さっきから「なんで」ばっかりじゃねえか、ガキかてめえは!?
一度ぎりぎりのところまで上がったボルテージは、そう簡単に下がるはずがない。逃げられない以上どうしようもないから、せめてその熱を上げさせた張本人を視界に入れないようにしているのに。
離してなるものかとばかりにぎゅっと握られた尻尾が、痛みとくすぐったさと疼きをダイレクトに伝えてくる。この状態では落ち着くものも落ち着くはずがない。むしろ身体の熱はどんどん高まるばかり。
「……離せ」
「人と話をするときは相手の目を見るものよ」
必死の思いでうめくのに、マリアは頑として譲らない。むしろ必死で自制しようとしている自分が、なんだか馬鹿みたいに思えてきて――
ぐい!
「――っ!?」
葛藤しているうちに遠慮も何もなくいきなり尻尾を引っ張られて、さすがのアルベルも思わずバランスを崩しかけた。
「何しやがる!!」
振り返って思いっきり怒鳴ってから、目を細めて満足そうなマリアの笑顔に、策略にハマったことを思い知らされる。怒りで頭にかぁっと血が上り、もうその瞬間耐えに耐えていた衝動が、一気に身体を突き動かしていた。
「っ、え、な、なに……!?」
しつこく尻尾を捕らえ続ける手、華奢で細いマリアの手首を掴み寄せる。それほど力を入れたつもりはないのに、あるいは驚きでか、その手が緩んで自由になって。しかしもはやそんなことどうでもいい。
左の鉄爪で、マリアを傷つけないように、しかし勢いに任せて腰を引き寄せる。見開いた目、かすかに開いた口元、見るからに柔らかそうな唇に、噛み付くように――
「何やってんだいこのケダモノ!!」
ごいぃぃぃぃん!
何が起きたのかよく分からなかった。
腕を掴まれて腰を引き寄せられ、呆気に取られている間にアルベルの、端整な顔立ちがどんどんアップになって。唇に吐息がかかったと思った瞬間、これはもしや、とか、なんでいきなり、とかそんな思考がはじけた瞬間。間の抜けた景気の良い音ともに、目の前の、近付きすぎて深紅の目しか見えなかったものが、いきなり横手に流れた。
「??」
「マリア、大丈夫かい!? ダメじゃないかこんなヤツと二人きりで部屋なんかにいちゃあ!」
なにやらけたたましくまくしたてられてぼんやりとそちらを見れば、目に鮮やかな赤の色。
「……ネル?」
「何もされてないね!? ああもう、声かけても返事がないから呼びに来てみれば。危ないところだったね、もう安心だよ」
「……てめぇ……」
地を這うような低いうめきに、いまだ呆然とマリアが目を向ける。しかしネルは平然と、
「あんたのおかげでサラダがオシャカだよ、どうしてくれんだい!?」
「知るか! つーかてめえが勝手にやったんだろうが!!」
耳の先まで毛を逆立てて怒るアルベル。負けじとボリュームのある尻尾を膨らませるネル。アルベルの頭やら肩やらにみずみずしい葉っぱがばらまかれていて、わなわなと震えるその手にはボウルが握られている。
なかなか立ち直ることができないマリアは、それを目にして必死に考える。
つまり。サラダボウル片手に様子見に来たネルが、いかにもアルベルに襲われそうになっていたマリアを発見して。思わず右手に抱えていたそれを、力いっぱいアルベルの頭に投げ付けた、――といったところだろうか。
そう把握した瞬間、マリアの脚から力が抜けた。間近に、本当に間近に見た男の顔が脳裏に焼き付いていて、今ごろになって心臓がものすごい速さで血液を送り出しはじめる。
どきどきした。どきどきしてほっとして、そしてなぜだかほんの少しだけ、――淋しかった。
混乱を示して、長い尻尾がゆらゆらと揺れる。
赤い顔でへたり込んだ彼女をよそに、アーリグリフの漆黒団長とシーハーツのクリムゾンブレイドの喧嘩は、どんどんエスカレートしていく。罵詈雑言が行き交いものが飛び交い、お互いの得物がきらめく。
家の主人家族が、コトの一部始終をつぶさに眺めていた。
――たとえばそんなある日。
結局。
フェイトたち三人が帰ってこないままに日が暮れて、一晩経ってみれば予告(?)どおり全員元どおりになっていた。翌日の昼ごろ戻ってきた三人によると、鳥フェイトの翼状態の腕では、調合などという細かい作業はできなかったとか。
――あの時のアルベルの行動は、獣化したために本能が暴走したということで不問になって(フェイトたち一行にも色々あったらしい)。マリアとアルベルの間の妙な気まずさも、日が経つごとに徐々に落ち着きつつある。
ただし。フェイトとソフィアに言わせれば、あの二人もうすぐくっつくよね、といった方向に、だが。
余談として。その後もことあるごとに、薬の改良に熱意を燃やすこりないフェイトを、そのたびに全員でフクロにするのが一行の習慣になったことを付け加えておく。
