「……いつも思うんだけど。馬鹿よね、あなたって」
どこまでも冷え切った声に断言されて、否定するにも根拠がなくて。思わず認めてしまったので反論できなくなって。
ぐっと押し黙った彼に、マリアが心底呆れた息を吐き出した。
街入口にほど近い宿屋ソロンの導き亭にて。
床のラグの上にどっかと腰を下ろしたアルベルが、いかにも面倒臭そうに薬箱をあさっていた。左腕のガントレットの下、古い火傷痕の治療――ではなくて。きれいに整った顔に引っ掻き傷がいくつか、赤くミミズ腫れになっている。
その他にもよく見れば、身体中あちこち腫れていたり鬱血していたり。
とりあえずがさごその目当ては消毒液だったらしい。色のついたガラス瓶を探し当てたアルベルは、ふたをあけてピンセットでつまんだ綿の球をそこにひたして、
「……アルベル? どうしたのよこんなところでこそこそと」
ひょい、と部屋の入口から顔をのぞかせたマリアにその動きが止まった。見た目にはそう現れていないものの、思わず取り落としたピンセット、消毒液の水面にぷかりふよふよ漂う綿の球。
力いっぱい動揺してしまったらしい。
――振り返るわけにはいかない、今のこの傷を見られたらきっといろいろ面倒なことになる。
一瞬で跳ね上がった心拍数をなだめながら、声を無視して再びピンセットを手にしたアルベルの、その正面。どれだけ動揺したのか、いつの間にかそこにいて彼をのぞき込んでくるマリアの姿があって。
まじまじと見つめてくる、そのいつもは冷淡な顔に。珍しく驚きの色。
「……何よこれ」
「気にすんな」
とりあえずそう言ってみて、きっとそんなことは聞かないマリアを。
アルベルは、よく知っていた。
相手は誰だとか、さては一人か普通に複数なのかとか、まさか反撃してついうっかり殺したりしてないでしょうねだとか。矢継ぎばやにくりだされる疑問質問を完璧に無視していると、やがてあきらめたのか彼女の声が止んだ。
それでも気配は変わらずそこにあって、ここではじめて顔を上げれば。むすっといかにも不機嫌なマリアが、顔を上げたアルベルに白い手のひらを向ける。
「?」
「ピンセット、貸しなさい。鏡も何もないじゃない。見えてなければ治療は、」
「できなかねえよ、多少いい加減になるだけで」
「分かってるならなおさらよ。いいから、貸して」
お互い頑固さではかなりのところまで競うものの、こういったときのマリアに逆らうと後に響くので。惚れた弱みでどのみち逆らいきれないわけだし、つまり意地を張っても無意味なことは分かっていたから。
おとなしく手の中のそれを渡せば、きっと見よう見まねの危なっかしい手つきが。色付き瓶の中、消毒液に浮いた綿の球をつまんだ。必要以上に吸い込んだ分の液を慣れないピンセットで不器用に絞ると、真剣そのものの顔がアルベルに移る。ミミズ腫れはじめ傷口ひとつひとつを、消毒液を含んだ綿の球で丁寧にぬぐう。
そのあまりに真剣な顔に、思わずアルベルが笑いの吐息を漏らせば。ぎっと、きつい目付きがにらんできて。
――別に多少手つきが乱暴になったところでどうということはない、というかあまりやわやわ優しくされるとむしろそちらの方が居心地が悪い。
フン、とさらに馬鹿にする笑みに。アルベルの目論見どおり、マリアの手つきが攻撃的なものになっていく。
傷口を消毒して、次にガーゼと包帯でカバーしようとするマリアをアルベルは止めた。
本当は、消毒さえするつもりはなかったのだ。けれど大して深い理由があるわけでもなく、たまたま救急箱が目に付いたので少しは怪我をかまってやろうかと。その程度のつもりで箱をあさった。マリアをはじめ、誰かに手当てしているところを見られるなどまるで考えていなかったし、たとえこうして見付かったところで考えを改めるアルベルでもない。
「……まあ、本人がそう言うならいいことにするわ。痩せ我慢がどうとかって言うような大怪我でもないし」
「うるせ」
別に変な成分が入っていたわけでもないだろうけれど、消毒液が乾くにつれ微妙なくすぐったさというかむずむずしたかゆみを皮膚に覚えて。痛みよりもきっとタチの悪いそれに顔をしかめているアルベルを、小馬鹿にしているようなそのくせ心底心配しているような、複雑な笑みめいたものを浮かべたマリアが静かに見つめて、
そのままやけに子供っぽい仕草で、
ちょこんと小首をかしげた。
「本当に、何があったの? ええと……私がつけたってわけじゃ、ない、わよね……??」
「……今朝俺を叩き起こしたのはてめえだろうが。その時こんな傷あったか?」
「なかったと思うけど……そもそもそうだとして、今ごろ手当てしてるのもおかしいわね……、
うん、まあそれは良いわ。
でも実際、本当に気になるんだけど。ヒーリング使えるのに自力で手当てなんて」
「こんな程度、術使う方が阿呆だろうが」
「分かってるわよ……だったらどうして普通に手当て?」
「細かいことつつくな……気分だよ気分」
「…………ふうん」
なげやりに、いい加減にしろとつぶやけば。治療というほどでもない用がすんで下に降りていた、マリアの細い手がむしろ持ち上がる。持ち上がってゆるりと伸びて、アルベルの頬に今もぷくりとふくれる、ミミズ腫れに触れるか触れないか。
「細かいこと、ね。目のそば、頬に。誰かの引っかき傷を作ることが、あなたの性格知ってるから変に思うことが、」
「……どうでもいいことじゃねえか。
いいから、もう忘れろ」
つっけんどんに命じられて、元からむくれていたマリアの表情がさらに不機嫌になる。それでも怒ってどこかに行かないあたり、彼女の頑固さにもう苦笑するしかない。
……阿呆。
胡坐をかいた状態で、これから特に用事があるわけでもなくて。起き上がるのも面倒でごろりとそのままラグに――手近な彼女の膝を枕に横になって。ぺちり、苦笑まじりにしかるように額を叩いてくるのがうっとおしいので。
手を伸ばして彼女の後頭部を引き寄せて。
文句ばかりを紡ぐその唇を、
――大したことではない、というよりも。説明しきれないだけだ。
なぜそうしたのかそうなったのか、自分でも自分に説明ができない。「ただ何となく」が山ほど重なって、この、「どうということはないけれど数が多いとうっとおしい」怪我を盛大に負うハメになった。ハメになったけれど、一応知ってはいる簡単な治癒の術まで使って癒す気には、なぜかなれなかった。
総合すれば、それはやはり「どうでも良いこと」だと思う。
だから、きっと好奇心ではなく純粋に心配してくるマリアには「なんでもない」と言うしかない。
語彙の乏しいアルベルには、他にちょうどいい言葉が見付からない。
