その日。
マリアに叩き起こされて、朝食をすませるやいなや掃除のためにとかなんとか宿を追い出されて。シーハーツの首都を、漆黒団長の彼は適当にぶらついていた。
たとえばパーティリーダーたちのように、クリエイションなどで建設的に時間をつぶす気にはなれなかったし。たとえその気になったところで、技能に偏りがあるアルベルが一人で作れるものなんてたかが知れている。だったらと誰かクリエイターを引き込もうにも、そんなに彼は扱いづらいのか、ことごとく視線を外されるだけ――まあ、それはどうでもいいけれど。
だから、あくまで偶然その路地に入り込んで。
そして彼は、――一人の少年に、出会った。

―― Trauern 2

アルベルは偶然その路地に入り込んだに過ぎないし。向こうもきっと目的があってそこにいたわけではないだろう。
というか、ありていに迷子になっているようにも見えた。きょろきょろあたりをうかがっては、見覚えのあるものがまるで存在しなくてそれを思い知らされて、それでも意地でも泣くもんかと目元をこすっていた。迎えに来る人間がいるのかいないのか、こういった裏道に詳しいガキなりの友人がいるのかいないのか、
そんなものはまるで分からなかったし、アルベルにとってはそれこそどうでも良いことだったけれど。
痩せぎすで小柄で、いかにも栄養の足りないひどい顔色をしていた。どんな経緯で負った怪我なのか、小さな身体のあちこちにぼろきれのような包帯を巻きつけていた。
どうでもいいなりにいまだにそんなことを覚えていて、そこからしていつもとは何かが違うと、アルベルは思う。
ともあれ。
きょときょとと頼りなげに周囲を見渡していた少年が、アルベルを見付けて。面倒ごとに関わり合いになりたくないとアルベルが顔をしかめるころには、一瞬浮かんだ安堵の、もしくはすがるような雰囲気は――少年から消えていた。
確かに一瞬浮かんだ歓喜の色は瞬時に消え去って、
憎々しく、ねめつけられた。

◇◆◇◆◇◆

そんな目に心当たりがないと言う気は、アルベルにはない。
何しろ、ここはシーハーツの首都、王都で、自分は隣国アーリグリフの三軍の長だ。さらに上げるなら、つい少し前までは両国の仲は険悪を通り越して戦争までしていたし、アルベルの左腕のガントレットも腰に下げた異国の刀も、シーハーツ人の血を散々吸っている。
たとえば隠密の上司、この国の女王はじめ王城の者たちのように。すっかり手のひらを返して歓待されるよりも、こういったマイナスの視線の方が、自分のしてきたことを分かっているアルベルには、だから心地いい。表でにこにこしてそのくせ裏で敵意の芽を育てたりしなくても、面と向かって罵倒すればいい。
――今だって。間違ったことをしたとは、アルベルは決して思っていないのだ。
あのとき。アーリグリフとシーハーツは戦争状態にあったし、軍を率いる者として軍事国家のトップにほど近い者として、敵対者を血祭りに上げない方がおかしかった。弱い者いじめには今も昔も興味がないアルベルだけれど、流した血にはそれなりに意味があったと今でもそう思っている。
もちろん、荒みきっていた彼自身が血を欲していたのもあったけれど。
それ以上に、あのときは、国家をあげて互いにいがみ合っていたのだ。

◇◆◇◆◇◆

だから。
「……よぉ」
だからむしろ親しげに、アルベルは敵意むき出しの少年に声をかけていた。
――ああ、こいつのこの目には見覚えがある。
――この、怒りをもてあまして憤りをねじ伏せることもできなくて、でも圧倒的に力が足りない自分を誰よりも熟知して、そんな自分に歯噛みしている姿はよく知っている。
――明確な「敵」を目にして、いっそ憎しみの奥に歓喜の色を浮かべるさまも。
――そのくせ誰かに自分を止めてもらいたがっている、どこまでも弱いさまも。
その時、自分がどういった表情を浮かべていたのかアルベルには分からない。本当に親しげな笑みを浮かべていたのかもしれないし、無表情だったのかもしれないし、少年の感情が伝播して怒りの色に染まっていたかもしれない。あるいは血なまぐさい軍神の顔だったかもしれないし、生気をこそげ落とした死神の顔だったかもしれない。
多分、考えるほどにあまり楽しい意味ではない笑顔を浮かべたアルベルに。
少年は、見事なことに怯えなかった。
怯えずに、虚勢でも何でもなく脚も震えていなかったし声も震えていなかった。
ただ、どこまでも透き通った怒りの顔で、
「父ちゃんを、返せ……!」
幼い子供特有の脳味噌に突き刺さるような大声を上げると、つかみかかってきた。

まったく、おかしいにもほどがある。
引っぺがすのは簡単だし、あっという間に叩きのめすのも――それこそ「弱い者いじめ」になってしまうけれど、息をするよりも簡単だったはずだ。こかして、踏みつける。脚を二回動かせばこと足りるし、いっそそれは歩きの動作の延長でも十分だ。
むしろ、つっかかってくるガキなど最初から相手にしなければよかったのに。

◇◆◇◆◇◆

きっと思い付く限りの攻撃をしかけてくる少年だけれど、こちとら常に血に飢えたモンスターと戦っている身だ。まるで大したダメージにもならずに、攻撃疲れで肩で息をする少年に馬鹿にしたように息を吐く。
「終わりか?」
ハナから期待はしていなかったけれど、かなりのところで拍子抜けしていた。
あれだ、やはり栄養が足りないのが大きい。年齢分を差し引いても、動きが鈍いし腕力もない。腕力を底上げする体重もまるで足りない。逆に。それなりに食べて肉を付けたなら、もう数年すれば面白くなりそうだ、とも思う。
とりあえず、現状ではアルベルにとってやはりまるで価値のない相手としみじみ分かって、
「……出直してこい」
「っ、!!」
かあっと、少年の顔にさらに怒りの色が広がった。けれど変わらず彼を見るアルベルの目に、唐突に何かを感じ取ったのか。
そばかすだらけの少年の顔が、それまでまるでなかった怯えに一気に歪んだ。
がっかりしていたのがさらに興ざめして、アルベルがフンと鼻を鳴らせば。それでも逃げるのが悔しいのか、及び腰ながらまたアルベルをにらんできて。
――数年後、少年は戦士にでもなるかもしれない。そうなったなら、ぜひとも手合わせしてみたい。だから、見逃してやる、殺さないでいてやる。
「お前のせいだっ、この疫病神!!」
にたり、アルベルが笑いかければ、少年はぱっと身を翻した。嵐のように去っていく少年が最後にどんな顔をしていたのか分からなかったのが、少し残念だと思った。

◇◆◇◆◇◆

「……ガキに、あったんだよ」
長いキスのあと、酸欠から開放されてあえぐように呼吸をくり返すマリアに。アルベルはぽつりとつぶやくと、ゆるく目を閉じた。
「まさかマジで怒るわけにもいかねえだろ」
頬のひっかき傷がうずく。たかがひっかき傷、たかがミミズ腫れがもじもじうっとおしい。
「……いつも思うんだけど。馬鹿よね、あなたって」
どこまでも冷え切った声に断言されて、否定するにも根拠がなくて。思わず認めてしまったので反論できなくなって。
ぐっと押し黙った彼に、マリアが心底呆れた息を吐き出した。
いかにもわざとらしいそれにアルベルが片眉を跳ね上げれば、ぱちん、威力のないそもそも力がまるで入っていないマリアのでこぴんが、文字通り額をすべっていく。
「――同情したの?」
……たった一言で、よくもまあそこまで察するもんだ。
感心しながら、アルベルはその言葉を否定する。同情ではない、断じてそれは違う。ただ、無鉄砲で無謀な少年に、その無鉄砲さ無謀さに、
「――かつての自分でも見て、懐かしくなった?」
「……、そう、だな……」
そうかもしれない。意外性のまるでない、予想した通りの展開に。拍子抜けした反面、それが面白かったのかもしれない。
過去の自分、将来の好敵手に。少しばかり嬉しくなったのかもしれない。

「……馬鹿ね」
「あ?」
「その子の怒りは、きっと哀しみの裏返しよ。あなたが期待しているものとは、ズレてるわ」
「なんで分かる」
「その子が、あなたと似てるって言うから」
鬱血を、ミミズ腫れを。細い手がなぞっていく。
「ハタから見るからこそ、分かることも、あるでしょう」
――まったくの無駄、とは言わないけど。でも、期待するだけ無駄だと思うわ。
「……一番大切なことを、捕えながらずれて解釈するのよね、あなたって」
どういう意味なのかまるで分からないマリアの言葉に。アルベルは沈黙した。
はああ、彼女は心底深く息を吐く。

街入口にほど近い宿屋ソロンの導き亭にて。
床のラグに、マリアのふとももを枕に横たわったアルベルが。何かを言いかけて、しかし。
動きを止めた。

―― End ――
2005/08/02UP
アルベル×マリア
OFP
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Trauern 1 2
[最終修正 - 2024/06/21-10:39]