闘いが終わって、二ヵ月ほどが過ぎた。
「……元気そうだね」
二ヶ月ぶりに会った女の一声は、そんなありきたりな台詞だった。
シーハーツとの終戦直後の一番あわただしいときに留守にしていたため、それをネタにアルゼイやらウォルターやらからあれこれ用事を言いつけられ、それが一息つくまでにそれだけかかっていた。
別にアーリグリフから消えていた間、遊んでいたわけではないのだが。
まともな説明ができるほど事態を理解していたわけではないので、おかげでアルゼイを説得することすらできない。それでも戦争で人材がごっそりやられたのは確かで、王自身目の下のクマの濃い状態にあるのを見てしまえば、忙しく動き回るウォルターが何だか一気に老け込んだのに気付いてしまえば、仮にも三軍の長として動かざるをえなくて。
自分もずいぶん丸くなったものだと思う。
ともあれ。そんなわけでそうそう出歩けなかったし、そもそもまともな休みすらほとんどないし、やたらと疲れる仕事ばかり回されるおかげで、時間があれば少しでも寝て体力を回復させないとやってられないしで、散々だった。
やっとの思いで数日間の休みを取って、何を血迷ったかシーハーツの方、アリアスに足を向けた。つい癖で領主屋敷にまで出向いてしまえば、いつもの応接間にたたずむ赤毛の女。
「……元気そうだね」
二ヶ月ぶりに会った女の一声は、そんなありきたりな台詞だった。
「てめえも……いや、なんか顔色変じゃねえか?」
さらりと揺れる鮮やかな赤に触れ、そのまま柔らかなラインを描く頬に手を滑らせる。まっすぐにアルベルを見上げる強い紫は、二ヶ月前、別れたときとまったく変わらず、しかしその顔色はやけに白かった。微熱でもあるのか触れた肌は少し熱くて、それなのに血の気の引いた顔色が妙な違和感を抱かせる。
「てめえが体調崩すとは、思わなかった」
「……どういう意味だい?」
半眼でつぶやくとふっと目を伏せて、ゆるく首を振ってアルベルの手を外す。そのまま数歩離れると、机の上に投げ出してあった封書を手に取った。
「タイミングがいいね……こっちから行こうと思ってたのに」
「あ?」
何のことか分からなくて顔をしかめるアルベルに、小さく笑ってみせる。
「個人的なことだからさ、国の書類と一緒に、誰かに運んでもらうってのは気が引けて、さ……ほら」
もてあそんでいたそれを手渡してくる。疑問が顔に出ていたのか、少しだけ離れたその場所でいつもの気の強い笑みを浮かべて、
「とりあえず、読みな。全部そこに書いてある通りだから」
「あぁ?」
「質問なら、それ読んだ後に答えてやるよ」
言われて、手にした封書に目を落とす。飾り気のないそれはネルの私物なのだろうか。ひっくり返せば封蝋にやけに立派な印が押してあって、そういえばこの女の家系は代々女王に近い位置で仕えていたとかいうことを思い出す。
目が促すので、封を開けて中身を取り出した。これまた飾り気のない紙の、流れるような読みやすい、しかし書いた人間の性格通りのどこか堅い字に目を落とす。
「…………おい」
「なんだい?」
読んだ。が。何をどう言えばいいのか、言葉がまったく浮かんでこない。
「……なんだ、これは……? どういうことだ」
「どういうことも何も、書いてある通りだって言っただろう?」
呆然としながらかすれた声でうめけば、視界の先で肩をすくめてみせる女。別にからかっている風でも、面白がっているようにも見えないが。
ふるふると紙を握り締めた手が震えているのは、余計な力が入っているからだ。……多分。
「書いてある通り……ったって、てめえ……」
――その紙に書いてあることは、曰く、
「ガキ……が……できたのか……?」
「二ヵ月だってさ。最後のあのときのじゃないかと思うんだけど」
――ああ、顔色が悪いのは悪阻とかのせいなのか。
やけに冷静に頭の片隅がつぶやくのを、首を振って追い出す。そうじゃない。
「聞いてねえぞ、んなこと……」
「だから今、こうして教えたんじゃないか。間違いがないように、正式に書類にして」
呆れた口調の女の腹部は、じっと凝視しても別の生命が宿っているようには見えないが。……まあ、これからまだ半年以上かかるわけだし、当然なのか。
「父親は……」
言ってから、わざわざ怒らせるような台詞を吐いた自分を呪いたくなった。が、言われた方は少し目を細めただけで、口の端に笑みすら浮かべて淡々と告げる。
「残念ながら、あんた以外に心当たりがないんだ」
「残念、なのか……?」
――それはそれで、何だか哀しいものがある。
いや、言いたいことはそうではない。そうではなくて……真っ白だった脳裏に、アルベルはようやく言葉を見つけた。
一つ、大きく息を吸って――
「――養育費うんぬんは言わないから、父親面するなってどういうことだてめえ!!」
「どういうことだってあんた物分かりが悪いね! そのまんまだよ!! ちょうど戦争が終わった直後なんだ、子供には父親は戦死したって伝えるからあんたはこの子に関わるなって言ってんだよ!」
「だからなんでそんなことになるんだよ!! あァ!?」
「うるさいね、そんな声出すな! 子供ができるなんてこと何も考えずにヤってた男なんかに、闘いが終わったらもう用済みとばかりに顔すら見せなくなった男なんかに、父親面して欲しくないんだよあたしは!!」
「顔を見せなくなったって、そりゃ王やらクソジジイやらにあっちこっち用事言われてこの間の戦争の尻拭いしてたせいだろうが! ここしばらくまともに寝てねえんだぞ、俺は!!」
「そんなこと知らないよ! 大体、忙しくて息も付けなかったのはあたしだって同じなんだ!! いや、まだ仕事の区切りすら付いていないのに、いきなり体調崩すわ、気持ち悪くて仕事に集中できないわ、なんかイライラして部下に八つ当たりしちまうわ、よく分からない不安に襲われるわ、情緒が不安定になるわ、いきなり泣けてくるわ、……今だって、……あたしは、怒ってるのに……っ!」
言っているうちに感情が高ぶったか、女の、そうそう見たこともない涙にアルベルは少なからずぎょっとする。ぽろぽろと頬を伝う涙を手でぬぐって、ずっとひとつ洟をすすって、いつもの気の強い瞳だけはそのままで、
「別に、そのあてつけってわけじゃ、ないんだ……あたしなりに色々考えて、これがベストだと思った。クレアや陛下にも相談して、その意見だって聞いてある。
これから、さすがにそうそう気軽に動けなくなるから。だからって人任せにしたくないし、こんなことのために漆黒団長をこっちに呼び付けるのも気が引けるから、……だから休暇をもらって、こうしてアーリグリフを訪ねようと思ったんだ」
息を一つ吐いて、額に手を当てる。元から白かった顔色が何だかさらに青褪めて見えて、あわてて近寄ろうとするアルベルを手で制して、
「悪いね……ちょっと休む。クレアに話は通しとくから、あんたもしばらくこの村でのんびりすればいい」
彼女はそのまま少しふらつきながら部屋を出て行き、後には困惑するアルベルと彼に宛てた封書だけが取り残された。
アリアスにいるシーハーツ兵は今では数えるほどになっていたが、そのすべてににらまれながら、アルベルは村の中をあてもなくふらついていた。
――とにかく落ち着いて考えたかった。
子供ができた、などと言われてもまったくぴんと来ない。来ないものの、できるようなことをネルにしたのは事実だ。まあ、できたなら生めばいいと思うし、その責任から逃げるつもりなどない。とはいえ生むのは女だから、女が望むなら堕ろすのもまた自由だと思う。堅苦しい形式は大嫌いだが、彼女を娶れと言われればそれを拒否する理由はないし、元より、そんな気持ちで商売女以外の女を相手にできるほど彼は器用ではなかった。
そこまで考えて、アルベルは息を吐く。
分からないのは女の考えだった。今も手に持つ封書には、必要最低限のことが理路整然と並べられているだけで、彼女が何を思ってその答えを出したのかには一切触れていない。言われたことにただうなずくのも、向こうが言い出したからと責任を放り出すのも、納得できなければただ腹立たしいだけだ。
ぐしゃぐしゃと髪を掻き上げて、ふとペターニ方面に開かれた門のあたりに人影を発見して目を細める。銀髪とオレンジと紫の、黒装束の女が三人。銀髪が馬をなだめながら残りの二人に何かを言い、言われた方は真面目な顔でうなずいている。
……女の分からない考えが、分かるかもしれない。
