「あら、アルベルさん」
銀髪の言葉に、オレンジと紫が振り向いた。オレンジは分かりやすい憤怒の形相でにらみ付けてくるが、紫は何も考えていなさそうなぼんやりした笑みを浮かべていて、銀髪は見事なまでのほがらかな笑顔。
その笑顔はむしろ、悪寒を誘う。
「ネルにはもう会いました? 私は小用でここを離れますけど、どうぞゆっくりしてらしてくださいね」

―― Immer nahebei 2

「……ここ、を離れる?」
少なくとも二ヶ月前までは、ここの統治はこの女の仕事だったはずだが。
アルベルの呟きににこにことうなずく銀髪。
「ええ、クリムゾン・ブレイドがこの村に両方揃っている必要はありませんから。ネルはしばらくここで療養しますし、その間彼女の仕事は私がしようと思って。やらなければならないことは山積みですからね。タイネーブとファリンは彼女の補佐で残りますけど」
私のかわりにアリアスの統治はネルに任せて、ちょうど仕事の交換です。そう笑いながら、しかし言われた内容と目の笑っていない笑みにアルベルはげっそりする。
「――お前らは知ってるのか?」
「なにを、ですか?」
「……あいつの……腹に、ガ、――」
オレンジが無言で掴みかかって来るのを紙一重で避ける。そんなものは見えていないと言わんばかりに、紫がおっとりとうなずいた。
「もちろんですよぉ。おめでたいことですよねぇ」
「もちろん、相手の方が誰かも存じていますよ」
避けたのが癇に障ったのか、さらに激怒したオレンジが殴りかかって来るのをこれまたひょいひょいと避けながら、にこやかな銀髪とほがらかな紫に心底薄ら寒いものを感じる。
二ヵ月に別れた青髪の青年の顔が頭を過ぎった。タヌキぶりで、この二人は彼にタメを張れそうだ。
とりあえず。
「……あいつ、ネルは……一体何考えてやがるんだ?」
オレンジの攻撃がウザくなってきたので、あきらめずに殴り付けてきたその腕を無造作に固めながら続ける。
「あの女のことだ、責任取れとか言ってくるならまだ分かるんだが、……ガキの件では逆に、俺にはまったく関わらせようとしねえ。……何なんだ?」
「……その封書には、何と?」
「事情の説明と、俺のサイン待ちの、親権放棄書類」
ため息を吐いてオレンジから手を離すと、言われた封書を銀髪に投げ渡した。失礼します、などとつぶやいて銀髪が中身を開き、固められていた腕を痛そうにさするオレンジと紫が、二人してそれをのぞき込む。
しばらくして顔を上げた銀髪の顔からは、笑みが消えていた。

「……あなたは、……ネルの考えを聞く前に、あなたはどう考えているんですか?」
静かに訊ねられるのに、彼はがりがりと頭を掻きながら先ほどまとめた答えを口にする。
「あいつに手を出したのは事実だし、ガキができたなら生みゃいいと思う。まあ、生むも堕ろすも最終的にはあいつの勝手だが。……ただ、そうなった責任を取れってんなら、俺は別に逃げも隠れもしねえ。女もガキも、引き取るだけの覚悟はできてる」
「義務感、からですか?」
まっすぐなまなざしは件の女と同じ強さで、なんとなく居心地が悪くなりながらアルベルは首を振った。
「……そんなんだったら、手なんか出すか。ギムとかじゃなくて、俺がそうしたいんだ」
「それを、彼女に……?」
「いや。言う前に一方的にまくしたてて、気持ちが悪いとかで青い顔して引っ込んでった」
銀髪が息を吐く。堅い顔のオレンジと、何を考えているのかやはり分からないのほほん顔の紫も、どこか呆れた色を浮かべていた。
「……まずは、それをネルに伝えてください。あなたの口から。それでも彼女が何も言わなかったら、全部説明します。私がいなくても、タイネーブとファリンが」
ただし、と続ける口元に、先ほどまでとは違う好意のやわらかい微笑。
「あの娘は、私たちに……この国にも、必要な人間なんです。それは、それだけは覚えておいてくださいね?」

◇◆◇◆◇◆

何だか腑に落ちないままに、また領主屋敷に逆戻りする。
二階の手前側の部屋、フェイトがよく泊まっていた部屋にネルはいた。足音に反応したのかベッドから起き上がっていたのが、アルベルと目が合いそうになると気まずそうに視線を逸らす。短時間であれ休んだためか顔色はいくらかマシになっていて、アルベルはらしくないことにほっとしていた。
軍人で武人の彼は、妊婦の扱いなど分からない。
「……何の用だい」
堅い拒絶の声に顔をしかめて、とりあえずベッド脇に寄ると顎を掴んでこちらを向かせる。
「さっきの書類なら、……」
「――阿呆が」
アルベルは息を吐いた。行動にか言葉にかため息にか、むっとしたネルがきつい目でにらんでくる。その目を合わせたまま顎の手を滑らせて、柔らかな頬を包み込んだ。
「俺の、子供なんだろう……? 責任くらい取らせろ」
「さっきはあんなに狼狽しておいて、それでそんな台詞言うのかい?」
「……青天のヘキレキってやつだ。驚いてなにが悪い」
ネルが何かを言おうと口を開いたのに、気付かないふりをして抱き寄せる。
「女一人とガキを養う程度のことが、俺にできねえとでも思ってやがるのか?」
「殊勝なことを言うじゃないか、珍しい。……明日は槍が降るね」
「ほざけ。自分勝手な理屈で突っ走ってる奴が吠えるんじゃねえよ」
腕の中の女がどこかおどおどと抱き返してきたのに目を細めて、
「――そばにいろ。……てめえくらいしか、俺に付いて来れる女はいねえ」
「命令、……」
「ネル」
耳元に低くささやけば、ぴくりと震えの走る身体。
「……てめえじゃなきゃ、駄目なんだ」
「っ、ばか……! そんな、殺し文句……っ、口にするんじゃ、ないよ……!!」
多分そのつもりなのだろうが、こう抱き合った状態ではその顔は見えない。けれど多分耳まで、髪に負けないほど真っ赤になっているのだと思うと、自然アルベルの口元が緩む。
そのまま細い腕に力が入って、儚い強さで締め上げられた。

◇◆◇◆◇◆

ややあって。
「……アーリグリフは、どんな感じだい?」
「――相変わらずだな。戦争でごっそり人材がやられて、ジジイの人使いがますます荒くなった」
ため息。意味が分からないアルベルを、少し身を離した上目遣いの紫が射抜く。
「気付いてないみたいだから言うけど。……シーハーツも似たような状態で、あたしはここから離れられない。あんた、こっちに来る気なんだね?」
「……あ?」
ぴくりとアルベルの眉が跳ね上がる。

「何阿呆なこと言ってやがる。無理に決まってんだろーが何聞いてたんだてめえ」
「即答かい? ……まあそんなことだろうと思ったけどさ」
「てめえがこっちに来い。カルサアならシーハーツもすぐそこだろうが」
「すぐそこだってんならあんたがこのままアリアスに住みな。家くらい手配してやるから」
「ふざけんな。なんだってこの俺がシーハーツなんぞの施しを受けなきゃなんねえんだ」
「それ言うならあたしだって同じだよ。大体、そっちにはドラゴンっていう便利な脚があるじゃないか。とっとと捕まえて契約でもなんでもして、それでアーリグリフに通うくらいの甲斐性、見せてみたらどうなんだい」
「あァ……? 物騒なこと気軽にほざくなクソ虫」
「物騒? あんたの貧困な語彙の中にそんな単語があるとはね。こりゃびっくりだ」
「……てめえこそお得意の施術の中にあるんじゃねえか、場所移動できる便利なやつ」
「あったら使ってるさ。牢に捕まってる男二人連れ出すときとか、囮になって挙句とっ捕まった部下二人を助け出すときとかに」
「そりゃそうか。まあ、案外使えるもんじゃねえよな施術なんぞ」
「言うじゃないか。……何度も何度も何も考えずに敵に突っ込んでって、何度も何度も何度も死にそうな大怪我負ってたのはどこの誰だい? 回復の術がなかったら、今こうして生き残ってなんか絶対にいなかったくせに」
「過ぎたことをぐだぐだ言うんじゃねえよ。そんなのはどうでもいいからカルサアに来い」
「嫌だって言ってるだろ。妊婦にあの荒れ地を歩けってんのかい」
「俺がこうしてアリアスに来なかったら、勝手に来るつもりだったんだろ。大体、いまいちピンと来ねえんだ。……どっかの嫁き遅れて焦った女が、仲間と口裏会わせてるんじゃねえかって気がしてきた」
「……っ!! このあたしがそういう下品なウソ付くとでも言うのかい!?」

◇◆◇◆◇◆

河岸の村アリアス、戦争に巻き込まれて命を落とした領主のその忘れ形見の少年は、その日一人静かに応接間で本を読んでいた。
後日、彼は達観した目で淡々と語ったという。
曰く。
――戦争よりも星の船の攻撃よりもふわふわ浮かぶよく分からない化け物よりも、ずっとずっと怖いものがこの世には存在するんですね。……ところでいつになったら接収が解除されるんですか、あの人たちまたここに居座るつもりなんですか。

彼らの新居がどこになったのか、そもそも話がまとまってくっつくまでこぎつけたのか。
――それは誰も知らない。

―― End ――
2004/01/30執筆 2004/05/31UP
アルベル×ネル
OFP
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[最終修正 - 2024/06/21-11:14]