心が、記憶が、愛しさが、淋しさが、哀しみが。
――そんな涙が、珠を結んだ。
その日、一行はカルサアの町にいた。今ではすでに恒例、この街に来るとネルは領主の屋敷に挨拶のために出かける。
王都との往復をくり返す多忙な風雷の長は、その日幸運にも屋敷にいた。似ても焼いても食えないタヌキにして、尊敬すべき老獪な策士にして、彼女の父の最期を見取った熟達の武将は。いつものように彼女の訪問を心から喜んでくれた。心から喜んでくれて、勘ぐったならどこまでも勘ぐれそうな曖昧な情報をくれて、感謝の気持ちと手強さへの冷や汗を相変わらず煽ってくれて。
充実したのは事実でも、なんだか魂が吸われたような疲労困憊のその帰り。
「……?」
すっかり見覚えのある男の、なんだかとてつもなく似合わない姿を遠目に見てしまって、ネルの考えていたすべてが一瞬にして蒸発した。
「……クソ虫がっ! なんで俺がこんなもん抱えて……」
目的地に着くまで延々愚痴る男を、延々エンドレスで同じ愚痴を吐き続ける哀しいくらいに語彙が乏しい男を。なぜか何となく物陰に隠れながら追いながら、ネルは何回も目をこすった。頬をつねった。
どうしても醒めない夢の中にいるように思えるのに、やはりこれは現実だと。そう悟るころには男はどうやら目的地に着いたようで、
「いい加減出て来い阿呆。隠密が気配まき散らしてんじゃねえよ」
「っ!?」
ばれていた驚きで息を詰めて、三回瞬いてからネルは当然のことだと一人納得する。
闘いの連続で、必然的に限界以上に神経が研ぎ澄まされた男に。通常でさえそんな男に対して気配を隠し切ることは困難なのに。対好々爺との攻防で疲労しきった上、驚愕で動揺している自分の存在など、男にばれない方がきっとおかしい。
そうして納得して、ばれているなら今さら誤魔化すのも馬鹿げている、と。隠れていた物陰から何事もなかったような顔をして出てみれば、「それ」を肩に担ぎ上げてこれ以上ないほどに人を馬鹿にした笑みを浮かべる男――アルベル・ノックス。
「……言っとくけどさ。花抱えてすごんでも迫力ないよ馬鹿」
「うるせえ阿呆」
いつもの挨拶のように軽く貶し合って、ネルはこれで最後だとアルベルと彼が持っている「それ」――花束を一歩引いてじっくり見比べて、
「似合ってない――あんたほど花束似合わない男もそうはいないよね」
ある意味心からの賛辞をもらせば、ものすごい目付きでにらまれた。
まあ、見た目としては何も問題ないかもしれない。
本人は気付いていないのか気にしないのか、鋭利な刃物そのものの鋭すぎるほど鋭く整った美形だし。抱えている花は、どことなく不吉さをまとっているもののコントラストのはっきりしたきれいな花だし。どこか異国風の雰囲気は男にも花にも共通していて、何となく血の生臭さを帯びた美しさも共通していて。
だから、見た目だけなら、そんなに変ではないかもしれないけれど。
アルベルの本質を、大して深くもない底を知り尽くしてしまったネルは、そんなことをぼんやり思う。
――見た目はともかくやはりこの男と花は合わない、と、しみじみ思う。
そのまま男の行動を眺めていれば。
あれほど文句を吐いていたのに、なんだか手馴れたように。手伝おうか、というネルの申し出を「邪魔だ」の一言でざっくり断って、一つに掴んでいた花束は、実はふたつの花束だったらしい。
――そのまま、それは本当に手馴れているように。
片方は、重厚で素朴で飾り気のない、大きさとそれがある場所さえ考えなければこの町の北西にある墓地に並んでいるものと、そっくり同じにさえ見える墓石に。
もう片方は、白く、どこまでも白く。圧迫感さえ抱かせるほど完璧に磨かれ続けた、けれどそれだけの手をかけられ続けながら、名前も何も刻まれていない墓石に。
ふたつの花束をふたつの墓へ、対照的な墓へまるで投げ出すように供えて。
……これ、は。
ネルはゆっくりと瞬く。
アーリグリフの重鎮、カルサアを治めるウォルターの屋敷の、広大な敷地のすみ。二つ、「隣り合う」というほどには近くもなく、かといって「そうでもない」とも言い切れない遠くはない位置に。屋敷のメイドか庭師かの手によってだろう、いつだってきっと完璧に手入れされた二つの墓。
花束こそウォルターが用意させたにしても押し付けたとしても、ぐちぐち文句をこぼしながらもアルベルがそれなりに真面目に墓参する相手。たとえ手つきは乱暴でも、こうして二つの墓に花を供えることにすっかり慣れてしまうほど、きっと何回も何回もここに来た。
この男が。
――片方は、分かる。飾り気がない方の墓の主は、そこに眠るひともアルベルの態度の理由も、そちらの墓は分かるけれど。
――では、もう片方は……?
