――この女は。
一体いきなり何を、

―― Tappen 2

脇の気配が薄くゆっくり殺気をまとって、アルベルはおや、と思った。
この気配はそういえば覚えがある。ような気がする。やたらと霞がかかる頭をなんとかかき分ければ、やはり覚えがあるような気がする。
少しずつ大きくなっていく不吉の影、女がふりまく空気に瘴気が混じって黒く染まる。鉄を呑むような味と感覚、頭の芯に冷えたカタマリが生まれて、つられて身体中の血が騒いで不吉な気配がアルベルには面白い。
けれど。
「……阿呆」
「――そうだね」
けれど、どんなに殺気が大きくなっていったところで、この女が実際に手を出すとは思わなかった。アルベルはまったく思わなかった。結局今も働かない頭は女の正体を思い出さないくせに、そんなところだけ断片的に確信していた。
……迷惑な。
ともあれ、ぼそりとつぶやけばあっさりした同意。霧散する殺気。二度ほど瞬けば、そういえば階段の中ほどにいる自分をアルベルは発見する。
まだどこか緊張していた頭がいきなり弛緩する。
そういえば揺れる世界は相変わらずで、いい加減酔いそうだ。酔う……、
アルベルははっと目を見開いた。瞬間、まぶたの奥からぶわっと膨れた鈍痛にやられてうめいていた。うめきながらゆるく首を振れば三半規管が振り回されてくらくらする。くらくらしたと思ったらぐらりと視界がかしいで彼はあわてた。
あわてたところで、うまく女が彼の腕を引っ張った。
――とりあえず、思い出したことではない別のことをアルベルは言ってみる。
「俺を殺したかったのか?」
「なんだったら今すぐ殺っても良いけどね」
彼を支える女の腕にぐっと力が入って、すぐにだらんと弛緩して、今度こそアルベルは本格的にバランスをくずし、
「――冗談を間に受けるなクソ虫!!」
大声で罵倒したあとにほんのかすかに謝ったなら、間一髪危ういところで、酔っ払った彼にもどうにかなるように細い腕が力をかけた。落ちそうになったまま階段の手すりを背に感じる。冷や汗にぬめった手がそこに爪を立てる。
――どうやら、一から十まで助ける気持ちはあまりないらしい。

◇◆◇◆◇◆

階段でのどたばたのあたりで、どうやら八割がたつぶれていたアルベルは六割くらいつぶれているに回復したらしい。先ほどまでよりまともに自分で歩いてくれるようになって、ネルの苦労もだいぶ減った。
……とはいえ時々よろよろやってくれるので、苦労はあまり減っていないかもしれない。
それでもなんとか、どうにか階段を上りきって。酔いの回復程度はともかく、やっぱりぐでんぐでんはどうにもならないアルベルを引きずって、時々自分で歩こうとしてはバランス感覚がおかしいせいでどこかに行きそうになるアルベルにつられて、筋力というよりは単に体重の差に振り回されて宿の壁にぶち当たりそうになりながら。
それでも、平らなところはとても歩きやすい。

目当ての部屋のドアが目に付いて、ネルは今度は安堵の息を吐いた。
目敏く聞きつけたアルベルの気配が何か変わったような気がしたけれど、今のネルにはかまう気力がない。先ほどまでは精神的に疲れていたけれど、今のこの疲れは単純に肉体労働の結果だ。
重くてかさばるものの運搬は、思ったよりも疲れる。
とっととお役ごめんといきたくて、目当ての部屋のドアを蹴り開けた。まさか蹴っただけで開くとはネルは思っていなかったのに、開いてしまった。中途半端に足を出したまま、ネルは呆然と脇に目をやる。
「……泥棒入ったら困るのはあんただよ」
「ほっとけ」
――どうやら性分とかではなく、単に鍵をかけ忘れただけらしい。
まあ、いい。
当初の予定通り抱えてきた荷物ことアルベルを部屋に蹴りこもうとして。しかしネルは動きを止めた。
がっちりとアルベルの腕がネルの肩に回っている。なんというか、力の込めすぎで痛かったりすれば気付いたはずだけれど。けれど痛くない程度にがっちり肩をつかまれて、どうしても痛くなかったので。
荷物運びに夢中になっていたネルは気付かなかった。

◇◆◇◆◇◆

てのひらに簡単に包み込んだ細い肩に、酔っ払いアルベルは内心びっくりしていた。
なんだか、この女は「守らなくてはならない」しちめんどくさい他の女どもとは違うように思って。しつこくいまだに記憶は吹っ飛んでいるものの、そこだけはくっきり覚えていて。それなのに、手に掴んだ肩は細くて脆くて、だからびっくりだった。
――いや、ここでゴリラみたいな肩でも困るけれど。
ともあれ驚いているアルベルの耳に、超特大のため息が聞こえる。顔を上げれば、怒るや呆れるを通り越してなんだか悟ったような目がある。
「……何だ」
「何だ、じゃないだろう。はなしな」
「……」
言われたことに素直に従っていれば、誰も「歪」などとは呼ばない。歪んでいるアルベルは、酔っ払いアルベルは意地でもこの手をはなすものかと思った。
歩を進める。体勢と体格と体重の関係で、女も引きずられるようについてくる。手の甲に何か痛みを感じて目を向ければ、力いっぱいつねり上げられていた。
でも、あまり痛くない。
「っ、この、……酒呑みすぎて感覚馬鹿になったってのかい!?」
「かもな」
口元ににやにや浮かぶ笑み。いかにも悔しそうに歯噛みする声。かすんだ視界は、ついでに光源もない暗い部屋でモノを見る努力まで放棄した。見えないので適当に歩こうとして、やはり酔っ払っているので足元が危うくて。
何もないところでこけそうになって、女がつっかい棒になった。

「あんたは、!」
「……いいにおいがする」
「っ!?」
噛み付かれかけたとき、思ったことを口にしていた。ふわりと鼻腔をくすぐるにおいは、どこから来ているのか。
分からないから、アルベルはとりあえず手近なところに鼻を近付けてみた。
それは、ものすごい悲鳴を押し殺して力いっぱい暴れようとするので。ムキになって今度は両腕で抱きしめた。そのまま鼻から空気を吸い込む。
うっとりするようなにおいがふわりとする。
アルベルは上機嫌になった。
「はなしなっ!」
ごいーん。
頭突きを食らってくらくらしながら、でもアルベルは幸せそうだった。なぜかものすごく嬉しかった。
ハタから見れば単なる酔っ払いで変態だ。
ともあれ、さらにもがく細い身体を力いっぱい締め上げて、部屋のベッドにもつれたまま倒れこんだ。深い意味はない。単に足がもつれただけだ。
本当に。
まあ、倒れ込んで痛くなかったので、アルベルは深く考えるのはやめた。そういえば多分いいにおいの元は、腕に抱いてもさわり心地がいい。調子に乗って撫で回そうとしたら、陸に上げられた魚よろしく元気に跳ね回ので、撫で回すのは止めることにした。
ふわり、また散ったいいにおいにさらに嬉しくなる。
「はーなーしーなー!」
地の底から響く声も何のその。
「はなせー、この変態っ!」
「……るっせえ枕だな」
「誰が枕だ!!」
ごーん。
今度の頭突きはかなり効いた。目の前の星が散って、衝撃に息が詰まる。どこかが痛いはずだったけれど、どこが痛いのかよく分からない。ただ、がくんといきなりアルベルの意識が黒に染まって、

◇◆◇◆◇◆

翌朝、大方の予想通りアルベルは何も覚えていなかった。
朝イチで彼を叩き起こして、二日酔いらしい彼にわざわざ大声で詰め寄ったネルはそれを確認すると、
にっこりと、にこにこと微笑むとばきりと腕を鳴らした。
昨夜と違って次の展開が読めたアルベルがさすがに逃げようとすると、むんずと尻尾髪がつかみ止められる。容赦なく引っ張られて痛みに涙が浮かんで、涙目のアルベルが恐る恐る彼女の方を向いたなら、
これ以上ない美しい笑顔がそこにはあった。
これ以上はない不吉な予感に彼の肌が全身あわ立った。
かわいげのない男の悲鳴に、これまた二日酔いらしい青髪の腹黒男がベッドで丸くなっていた。金髪筋肉男は二日酔いではなかったけれど、上がる悲鳴にびくびく震えていた。

――多分、朝を迎えた時点で彼の結末は決定していたに違いない。
合掌。

―― End ――
2005/09/28UP
アルベル×ネル
OFP
中国語・無断転載禁止 ハングル・無断転載禁止
Tappen 1 2
[最終修正 - 2024/06/21-11:17]