久々にアーリグリフに行ったので、とりあえず王城へ向かった。彼の顔を見た瞬間、門番が王が呼んでいるとか抜かすので、仕方なく執務室に顔を出すことにする。途中玉座を見てみたが、予想通りカラだったので。
――忙しいのも分かる気がするが、たまには温めろよここ。
彼の呟きに思わずうなずく兵士、ぞんざいな口調に顔をしかめる兵士。まあ三下の反応などどうでもいいと、目的の扉をくぐる。
アルゼイは彼の顔を見るや、開口一番言った。
「アルベル。お前もそろそろ結婚したらどうだ」
口うるさいウォルター老ではなく、まがりなりにも自分が忠誠を誓う相手にそんなことを言われて、しばらく固まった挙句アルベルはうめいた。
「……あぁ?」
まがりなりにも自分が忠誠を誓う相手に向かって。
「――久しいな。調子はどうだ?」
双方しばらくの無言の後、何事もなかったかのようにアルゼイが口を開いた。例によって書類の山に埋もれながら、まあ適当にくつろげと示される。先ほどのあれはいっそ何かの間違いなのかと、首をかしげたアルベルは、まあ素直にそのへんの壁にもたれかかった。
「調子、な……まあ、特にどうとか言えねえな。はっきり言って何がどうなっているのか俺には分からん」
「ほう」
「剣の腕に関してなら、少なくとも弱くはなってねえつもりだが。実感も沸かねえし、比較対象もアテにはならねえから、……ぼちぼちってとこだろ」
出奔してから新調した、アルゼイの目には見慣れないデザインのガントレットをがちゃつかせる。そこでアルベルは、なぜかアルゼイが肩を震わせていることに気が付いた。眉を寄せた瞬間、それが笑いをこらえているのだと分かってそのまま顔をしかめる。
「……何笑ってやがる」
「いや……ずいぶん丸くなったものだと、感心してな。あの「歪のアルベル」が」
「うるせえ」
何がどうツボにはまったのか、アルゼイの笑いの衝動はさらにひどくなったらしい。書類を置いて腹を抱えて、しかし声にだけは出さずに笑っている。涙まで浮かべた目でちらりとアルベルを見上げて、
「兵たちが言っていたぞ。ずいぶん近寄りやすくなったと」
「……んなこと言うために呼び出したのか?」
吐き捨てて部屋から出ようとすると、違うと手を振られた。まだ収まらない笑いを何とか噛み殺して再び書類に目を落とし、ふと思いついたようにそのまま、
「――その棚にある農作物の資料を取ってくれ」
立っているものは親でも使えという言葉そのままに、アルゼイがこう言ってくるのはいつものことだった。たとえばそれはウォルターやヴォックスでもそうだったし、そういえば父もこき使われていたような気がする。
半眼を「その棚」に向けて、しかしアルベルはさらに眉間のしわを深くした。
「……どれだ」
彼の目には、ちょっとつつけば雪崩を起こしそうな紙の束も乱雑にまとめられたファイルも丸められた書類も、何が何だかよく分からない同じようなものにしか見えない。こんなモノをすべて把握しているのはそれこそこの部屋の主しかいないと思う。いや、主でさえ多分「あのへんにこういう資料がある」くらいしか分かっていないか。
アルベルが資料を探す間に、別の書類に手を伸ばしたアルゼイをちらりと見る。
「確か右の方に置いてあったはずだが。青いファイルだ」
「……ねえよ」
「ええと、上から二段目か三段目あたりに」
「だからねえっつってんだろ、青いファイルなんて」
言われたあたりのファイルを数冊、机の上に放り投げる。確かにその色は黒とグレーばかりで。だがアルゼイはちらりと見ると、中から一冊を抜き出しぱらぱらとめくりはじめた。
「……それのどこが青だ」
邪魔そうに押しやる残りのファイルを、乱暴に棚に戻す。
「あまり雑に扱うな。一応それも重要機密だぞ」
「うるせえ。文句があんなら俺に触らせるんじゃねえよ」
ぱらり。目的のページを見つけたか、それを指でたどりながら、アルゼイが薄く笑った。
「青、だ。……ラベルがな」
メモに何かを走り書きし、それで用が済んだのかそのファイルをアルベルに投げ渡す。
雑に扱ってるのはどっちだ、ぼやきながら背表紙を見れば、確かに縁が青で彩られたラベルが貼ってあった。――ただし。特に何も書き込まれていないそのラベルは、日に焼けて白は黄色に、青は緑に変色している。言われなければ「元は青いラベルが貼られていたファイル」などとは分からない。
「……こんなんで分かるか」
うめけば、裁決済みの判子を押したアルゼイが、今度は声に出して笑っていた。
「……で、だ。話を元に戻すが」
あっちの資料をよこせだのそこの引き出しの判子を取れだのこのへんの資料を綴じろだのと散々アルベルを使っておいて、ようやくアルゼイは一息つく気になったらしい。廊下を歩いていた女官に茶を持ってくるように指示をして、しかしまた新たな書類に目を落とす。
話の続きはまだのようだ。
いい加減雑用仕事にいらいらをつのらせていたアルベルが、今度こそ部屋を出ようとノブに手を伸ばしたところで、タイミングがいいのか悪いのか頼んでいた茶が来た。
運んできたのは女官ではなくて。質素だが洗練されたデザインのドレス姿の、何となく見た覚えがある、しかし知らない女。ワゴンで乗り込んできて、アルベルにはよく分からない道具を流れるような手さばきで扱って、琥珀色の茶と茶請けの菓子が差し出される。
「どうぞ、アルベルさん」
「……ああ」
誰なのかと尋ねるより早く、女がアルゼイに同じように茶を出して、
「陛下。あまり無理をなさらないでくださいね?」
「悪いな、ロザリア。……おいアルベル。お前、自分の国の王妃にくらい頭下げたらどうだ」
なるほど王妃だったのか、そういえばクリムゾンブレイドが何かぎゃんぎゃん言ってたな、ダブルで、と思ったところで、上品に笑った王妃はさっさと部屋を出ていった。アルゼイの持っていた書類を見たときに、少しだけ首をかしげてから。
ちょうどいい温度の茶を含み、ガラにもなくいい香りに目を細めるアルベル。同じように書類に目を落としながら茶をすすったアルゼイが、やはり小さく微笑んでいる。
美味い茶だった。
そしてカップの中身があらかたからになったところで、アルベルが息を吐く。
「……王。いい加減本題に入れ」
「最初に言っただろう。お前いい加減身を固めろ」
アルベルは吹き出すかと思った。少しだけ残っていた茶が気管に入って涙目になって、思わずむせながら平然とペンを取るアルゼイを睨み付ける。最初のあれは、どうやら間違いではなかったらしい。
「いきなり何言いやがる……」
「いきなりではないだろう。最初に言ったのに、無視したのはお前だ」
最初のは質問で、今のは命令じゃねえか。
今まではアルゼイ自身が独身だったこともあって、そういう話題を振ってくるのはウォルターやヴォックスで、むしろアルゼイとアルベルはお互い協力して二人を牽制していたのに。
それが結婚した途端にそれか、この裏切り者。
殺気すら伴った目つきで唸っても、アルゼイはまったく動じない。
「――てめえもあれか、クリムゾンブレイドの赤毛を口説き落とせとか抜かすクチか?」
黒衣に赤毛の女隠密は、なぜかウォルター老のお気に入りらしく。カルサアに顔を出すたびにぐたぐた言われて、そのたびにブチ切れそうになるアルベルだった。
たしかに顔立ちは整っているしシーハーツの重役だし、強すぎるほどに強いその技量も精神も、誇りの高さも、アルベルの好みといえば間違いではない。しかし――
「ああ、彼女でもいいな」
思考を中断させた呟きに、なんとなく墓穴を掘ったことを自覚する。黙っているアルベルをどう解釈したのか、アルゼイが穏やかな、しかし付き合いの長いアルベルには悪寒を呼ぶだけの笑みを向けた。
「お前の仲間で、青い髪の……マリアとか言ったな、彼女などどうかと思うのだが」
「――阿呆なこと抜かすな」
条件反射的にうめく。
腰までの青い髪をなびかせて、銃を構えて不敵に笑う女の姿が脳裏に浮かんだ。強くて脆くて厳しい女は嫌いではないが、あれはアクが強すぎると思う。外見は一級、頭のよさは極上だが、そもそもなんだか反りが合わない。
――向こうの勝手など考えないのがアーリグリフの男の特徴なのか。
「第一なんで王があの女のことを知ってるんだ」
うめくと、茶請けの菓子をつまんだアルゼイが口の端を歪めた。
