陽も傾いた今周囲はひんやり涼しいはずなのに。
今は、身体全部が今にも発火しそうなほど、熱い。

―― 清和

喪失の森で、ほぼ立て続けに不死者たちと戦った。追われるように先を急いで川辺に出て、そこには徒歩でディパンに渡る唯一の方法がぽかりと黒い口を開いて待ちかまえていた。
そして、

「……先を急ぐ、つもりだったのに」
小さなナイフでじゃがいもと格闘しながら、アリーシャは細く息を吐き出した。適当な流木に腰を下ろす彼女の左手には一見なんでもない自然の洞窟をよそおった、その実ディパン王族のいざという時の脱出口がある。
急がなくてはならない。
故郷に帰りたくないわけではない。
父に、母に会いたい、声を聞きたい。……そしてもしも叶うなら、
魔物憑きと恐れられ、追い出されたはずの故郷はそれでもアリーシャにとって唯一の故郷だった。民を統治する王として、特に後半は王としてしか接してもらえなかった記憶はあっても、それでも父王はアリーシャにとって父だった。
恋い慕う気持ちはその手段が確保された今一瞬ごとに大きさを増し、自然そわそわと落ち着かない。
――いけない。
――ただでさえ慣れていないのに、さらに考えごとをする余裕なんて、
理性は思うのに、ごつごつしたじゃがいもは不器用に中途半端にどんどん不細工になっていく。

◇◆◇◆◇◆

「――調子はどうだ?」
「ルー、……ファ、ス……」
がさがさと落ち葉を踏みつけながらやってきた青年に声をかけられて、アリーシャはとたん気まずさいっぱいで一瞬は見上げた視線を足元に落とした。ごつごつと不器用なまま三回りほどみすぼらしくなったじゃがいもを、両手の中に隠そうとする。
「周囲を一通り見回ってきた、ここいらに不死者はいないみたいだ。……水の流れのせいか?」
「……わたしには分かりません。今、シルメリアは休んでいます……マテリアライズは、どうやらかなりの負担になるみたい」
「……そうか」
何気ないふりを装ったその実互いに緊張感のはりつめた会話。見回りをする前にと火にかけておいた鍋の湯が煮立っているのを確認したルーファスが、そしてうつむいたまま動かないアリーシャをさりげなくうかがう。
「そっちの塩梅は?」
「え、あ……! ご、ごめんなさい……あの、まだ……」
「まあ、そんなこったろーとは思ったが」
「ごめんなさい……」
口癖のように謝って、しゅんと小さくなるアリーシャに。果たして彼はどんな顔をしているだろうか。

◇◆◇◆◇◆

ここまでたどり着き、川辺に転がっていた朽ちかけた杖でアリーシャの――シルメリアの中にいたエインフェリアが一人、マテリアライズされた。どこか希薄な存在感の魔術師は次の瞬間には再びシルメリアの内に姿を消して、あとには気まずさと懐疑とその他もろもろでいっぱいになったルーファスと、何も知らないアリーシャが残された。
話題を空気を変えたいために先を急ごうとしたアリーシャに、ここで一泊しようと提案したのはルーファスだ。
確かに陽は傾きはじめていて、昨日の今ごろにも似たような会話があったことをアリーシャはぼんやり思い出した。行こうとする先、王家の脱出口となれば安全は確保されているかもしれないけれど、ディパンの王女と名乗る彼女を疑っている彼をうすうす察してもいる。それに、くり返された戦闘で慣れない徒歩での移動で、アリーシャの体力も本当は心もとない。
――分かりました、そうしましょう。
数拍考えをめぐらせて、うなずいた。決まりだな、ちょっとこのあたり見回ってくると手早く火を起こした彼もうなずいた。では火を見ながら食事の用意をしていますと名乗りを上げたのはアリーシャで、……まあがんばれよと、微妙な空白を置いてルーファスは歩き去った。

敵はごつごつでこぼこしたじゃがいも、昨日はかたち的にまだマシなにんじんにさえ手こずったアリーシャに、かなりの無茶だった。内にいる女神はマテリアライズの疲れからかいくら話しかけても反応がないし、大体、反応してくれたところで戦乙女ヴァルキリーが料理上手な根拠はどこにもない。
分かっていた、けれど昨日ルーファスが言ってくれた。
こんなもの慣れだ、と。
練習する暇はなかったけれど、だからがんばろうと思ったのに。……ディパンへのはやる心はその気持ちさえすっかりなかったことにしてしまった。

◇◆◇◆◇◆

「……まあ、予想どおりだよな」
マテリアライズの一件以降、どこかよそよそしかったそのルーファスが息を吐いている。責めるものではないはずなのに、居心地が悪いアリーシャはここから逃げ出したい。
「昨日の今日だ、期待はしてなかったさ」
――呆れられている?
――それとも、
ため息の調子にどくんと心臓が沸き立っていても立ってもいられずに持ち上げた視界。予想よりもずっと近い場所に青年がいて、どうやらうつむきっぱなしだった彼女を心配していたようで、いきなりの動きとその距離に互いに硬直する。
「……あの、」
「謝るなよ! ……もう、十分だから。ええと、」
――ナイフを、渡した方がいいのだろうか。
――いいのだろう、多分。
――そうして、昨日のように任せてしまったほうが。きっと。
口を開けばあふれそうな謝罪の言葉は、先制攻撃で封じられてしまったから。他にどうしようもできずにうろうろと視線をさまよわせていると、そんなアリーシャに、そうだというつぶやきと軽く手を合わせる音がした。何かいい考えでも浮かんだのだろうか。思うアリーシャの背後に、ルーファスが移動している。

……え?

「ようはナイフと食材の持ち方の問題だろ。いいか、」
「あ、の……ルーファス……!?」
背後から、すっぽりと覆いかぶさるように。包み込まれて、右手も左手も彼の手に包み込まれて。どんなつぶやきも聞き逃がしようのない近距離、耳につきそうな位置に彼の口がある。
座るアリーシャに対して、中腰になったルーファス。その姿勢の関係から密着状態は上体だけですんでいるものの。
これは。
「いいから、覚えろよ。ナイフの持ち方はこう、食材は……」

◇◆◇◆◇◆

彼は気付かないのだろうか。それとも、彼にとってはなんでもないのだろうか。
同性なら、勘当同然でも王女として育ったアリーシャなので同性の侍女あたりになら散々世話を焼かれていた。着がえ一つに侍女の手をわずらわせてきた、湯浴みともなれば数人が付いた。同性なら、だからこれはどうということもないけれど。
けれど男性に声をかけることにさえ慣れていないアリーシャが、包み込まれるようなこんな姿勢に耐性のあるはずもない。

――落ち着いて。
――だって、彼に他意はないのよ。
――変に意識してはだめ、だって親切で教えてくれているのだもの。
――ちゃんと、覚えなくては。

彼の手に包み込まれた自分の手が、先ほどまでがうそのように器用にナイフを操っている。手元で皮をむかれつつあるじゃがいもは、スープを作ろうと用意した最後のひとつだ。座りが悪いからと今までアリーシャが腰を下ろしていた適当な流木にルーファスが腰掛けていて、気が付けば全身背後から包み込まれる体勢になっていた。
「……分かるか?」
「…………っ」
「まあ、理屈じゃないよな」
訊ねられてもろくな返事ができるはずもないアリーシャに、ルーファスが勝手に結論付けてあははと笑っている。皮をむいたジャガイモと、いつ用意したのかにんじんと。今は、細かく切り分けている。
「今度はひとりで作ってくれよ?」
耳元の声は、なんでもない。包み込まれているアリーシャの不審さは、きっと触れ合う身体から伝わっているはずなのに彼は何も気にしない。

陽も傾いた今周囲はひんやり涼しいはずなのに。
今は、身体全部が今にも発火しそうなほど、熱かった。

熱いけれど、
身体が、動かない。

―― End ――
2007/07/26UP
ルーファス×アリーシャ
OFP
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清和
[最終修正 - 2024/06/27-10:30]