くいっ、と服が引かれる抵抗があって。
次の瞬間、まるで体当たりするようにぶつかってきたものは。

―― 芙蓉

ふわり、鼻に届いたのはどこか甘いような香りだった。それにひとつ瞬いて、そして。ふと今の事態を認識したルーファスは血液が逆流するような、そんな感覚を味わった。
見下ろせば癖のない金の髪におおわれた頭がある。
その持ち主は、色気もなにもないただ全力でしがみついている。
――自分に。
「……っ……!?」
たぶん落ち着こうと思ってだろう、箇条書きにはじき出したその内容に、改めて息を呑んだ。むしろ必要以上に動揺している自分に対してめまいさえ覚える。

今まで文字通り一心同体だった半身を失って、故郷も親も何もかも喪って、不安定真っ只中にある少女が何かにすがりつくのは、冷静に考えれば理解できる。そうしたいと思う気持ちは、幸か不幸かそんな感情やら感傷やらに縁遠いルーファスにもなんとか想像ができる。今ここには自分と少女しかいないから、必然、ただ自分がすがりつかれているだけで。たったそれだけなのに。
いちいち回りくどい思考をたどらないとすぐにもまた頭の中が真っ白になりそうな自分が、ひどく情けない。

◇◆◇◆◇◆

「……ごめん、……なさ……っ」
そうこうしているうちに、というかろくになにもできないでいるうちに、ふとなんだかつぶやきが聞こえて。それだけではなくかみ殺しきれなかったのだろう嗚咽に背を震わせている少女に、ことここにいたってようやく気がついて。
小さな手が握りこぶしを作って自分の服の胸元を握り締めているのをぼんやり眺めていることに気付いた瞬間、何をやっているんだオレはとルーファスは自分の頭を思い切りどつきたくなった。
悠長に動揺していてどうする。
いや、動揺してはいけないわけでもないけれど。
だからといって何の反応もしないでぼーっと突っ立っているだけなのはいくらなんでも。

気の利いた台詞も台詞以外の対応もなにも思いつかないけれど、何かどうにかとかなりテンパりながら停止状態にあったルーファスの脳みそが動きはじめた。
大丈夫か――というのはよくない。少女は明らかに大丈夫ではないし、そのわりに大丈夫ですと応えてくるのは目に見えている。ものすごく無理をして大丈夫ですと応えてくるのが目に見えている。無理をさせたいはずがないので、却下。
がんばったな――というのもいいわけがない。やたら上から目線の上に、さらには過去形になってどうする。これからはじめるのだ、今まで逃げていたものに立ち向かうのだ――主に彼自身が。はじまってさえいないのに終わらせてどうする。却下。
残念だったな――なんてもっての他だ。そういうのは悪役の台詞に決まっている。同系列で「ご愁傷さまです」とかいうのもあるけれどもちろん以下同文。しかも後者はさらに他人行儀ではないか。大却下。
……ろくになにも思いつかない自分の頭にいっそ泣きたくなってきた。
見た目の年齢以上に生きているのに。外見上歳をとらないのは半分流れるエルフの血のせいだとしても、残りの半分の血は中身を成長を可能としているはずなのに。それなのにぼろぼろに傷付いたおんなのこにただ動揺するしかないなんて。無駄に長生きしただけだというのが丸わかりではないか。

――謝る必要はないのに。
――むしろ、被害者は自分だと。相手が主神だろうが、胸を張って言い切ればいいのに。
――それだけの権利が、彼女には絶対にあるのに。
それなのに、少女はただとぎれとぎれの謝罪の言葉をくり返すだけ。嗚咽さえかみ殺そうとして、それはいっそう哀れに映る。
――泣いてほしいわけではない。
大泣きをされた日には今以上になにもできなくなる自分を知っているから、決して泣いてほしいわけではない。できれば微笑んでいてほしいと思う。今まで強要された苦労の分、華やかに笑っていてほしいしその権利があるはずだと思う。
思うけれど。
泣きたいのを無理にかみ殺してほしいわけでも、なかった。
思い切り泣いて、それで少しでも感情が落ち着くのならそちらの方がいい。泣いてほしいわけではないけれど、泣かないでいてほしいわけでもない。無理をしてほしくない。どうせ、今は自分しかいないのだから。気がねなく素直に、思ったとおりのことをすればいいと――思う。
そうする権利がある。他でもないアリーシャになら、絶対に。

◇◆◇◆◇◆

長いようでいてその実大して長くもない間、けれど一緒に旅をしてきた。それだけの間、危なっかしくて目を離すことができないだけでも、けれどずっとずっと少女を見てきた。放逐された国のために、必死でがんばる姿を見てきた。
誰より旅慣れていないくせに、弱音だけは一度として吐かなかった。
何気ないことにひどく嬉しそうな顔をして、つまりそれが今までの彼女にとって当たり前ではなかったのだと、何回気付かされたのだろう。
無力感にくちびるをかみながら、肩すかしに少しだけ沈んだ顔を見せて、まっすぐ立つことさえままならないほど疲労をため込みながらそれでも歩こうとしていた。
少しつつけば血の流しそうな手で無骨な剣を握って、襲いかかってきた不死者さえ傷付けることをいやがりながら、それでも誰にかわってほしいとは一度として口にしなかった。
がんばるなよ、と何度も言いたかった。
無理をするな、と口癖のようにくり返した。
心配してくれてありがとうと返ってくれば、ああ、なんだか言葉が通じていないなあと思いながらも。それでも言わずにはいられなかった、思わずにはいられなかった。
それだけ、彼女はがんばっていた。

すべて、今から振り返ったならそのがんばりはすべて無駄になってしまったかもしれないけれど。
それでも。
国を持たない、故郷を捨てたルーファスには理解できない「王女」という重いだけの荷物を、今なら捨てることもできるのに。けれどむしろそれを矜持としながら、この期に及んでがんばろうとしている少女が切ない。謝ることなんてなにもない、もっとわがままになっていい、何度も口を出そうになるその言葉は、けれど決して通じないだろうと分かっていてそれがやるせない。
今ここに、自分以外の誰もいないから。
たったそれだけですがり付かれている自分の無力さに、反吐が出そうだった。誰でもいいからすがりつきたい、それを謝る少女に、謝る必要なんてないと伝えたかった。気の利いた台詞のひとつも出てこない、動揺するしかない自分なんて弓の的としてはりねずみにでもなればいいと思う。
けれど、どんなに真剣に自分をこき下ろしたところで、今はそんなことをしている場合ではない。

◇◆◇◆◇◆

意を決して、すっかり動くことを忘れていた腕を持ち上げる。ぎしぎしと音さえなりそうなほど緩慢に動くそれで、なんとか少女を囲い込む。
――ごめんなさい。
またひとつ、謝る少女を。
触れたところからこころが伝わればいいのにと、らちもあかないことを思いながらそっと抱きしめた。力がこもって苦しくなったりしないように、それでも自分はここにいるのだと出来る限り伝えたくて、無駄なことをと頭の片隅があきれ返ることだけを思いながら、細心の注意を配りつつ腕に力を込める。
ひくりと大きく跳ね上がった華奢な身体。
多分驚きで跳ね上がった顔、その蒼には大粒の涙がいくつもきらきらひかっていて。

どくり、身体のどこかが跳ね上がってじわじわとした体温の変動は気にしないことにする。
ただ、この場にいるだけですがりつかれたのだとしても、必要とされている限り応えたいと思った。ここにいるだけで、そばにいるだけでいいのなら少女の気のすむまでそれを叶えようと。
――こうしてふれることが許されるなら。
きっとそれだけで、十分だと思う。十分すぎると思う。

――苦しくないように、痛くないように。
ただそれだけを注意しながら、もう少しとじわり腕に力を込める。
せめて、そう、せめて。抱きしめた身体からふるえが消えるまでは。
こうしていよう、と。――……こうしていたい、と。

―― End ――
2008/05/29UP
ルーファス×アリーシャ
OFP
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芙蓉
[最終修正 - 2024/06/27-10:32]