自分ではない体温がそこにあること。
それに確かに、触れることができること。

―― 福壽草

「アリーシャ」
ふと名前を呼ばれて、きょとんと顔を上げた。視線の先には、今ではたった一人きりの旅の同行者、ルーファスがいてまっすぐ彼女を見つめていて、
「ほら」
声とともに差し出された手に、何気なく手をあずけた。あずけておいて、それは当たり前のように握りこまれて、そうして手を繋いで歩き出してから、数歩。
……え……?
足は止めないままペースは変えないまま、アリーシャにはずいぶん上の方にある青年の顔をうかがう。深い色の目はまっすぐに前を見つめていて、どうやらそうそうこちらに向くことはなさそうで、そしてちっとも不思議なんてないような、そんな顔をしていた。

◇◆◇◆◇◆

旅慣れないどころか歩き慣れてもいない、幼いころ故郷を追われてからずっと某所某城に閉じ込められていた、何も知らないお姫さまに。偶然と必然で旅の同行者になった半妖精の青年が、ことあるごとに何気なく手を貸すようになったのは、いつが境だっただろうか。
アリーシャ自身は、もう覚えていない。
ただ、足場の危うい場所を歩くとき、彼女の体力が尽きかけてふらふらしているときなどに。さりげなく差し出される手に甘えることが、いつか珍しいことではなくなっていた。どちらかというと、ひとりでがんばろうとする彼女の手を有無を言わさず引っ張っていくような、ある種ある意味善意の押し付けに過ぎないそれは。けれどそうされるのはいつだって彼女がいっぱいいっぱいになっているときで、断るような余裕が彼女にないときで、だから申しわけない気持ちでいっぱいになる。

――ごめんなさい、ルーファス。
――謝るのは違うだろ。オレが勝手に手を出してるだけなんだから。

いつか交わした、そんな会話。あのときのルーファスは果たしてどんな顔をしていただろうか。怒っていたような気がする、苦笑だったかもしれない。そっぽを向いていて顔なんてうかがうことができなかっただろうか、それとも。
けれど確かなのは、間違ってもやさしそうな顔やら笑顔やら、そんな顔ではなかったはずだ。

◇◆◇◆◇◆

「……ルーファス?」
現在地、見渡す限り広がる麦畑のどまんなか。畑の手入れで農夫が通いつめるだけでなく、街を行き来する旅人たちもよく利用するのだろう、舗装こそされていないにしろそれなりにちゃんとした道になっている道を歩いているのは、少なくとも視界の聞く範囲では二人だけだった。
世界の崩壊なんてまるで気のせいのように、空はきれいに晴れ渡っていて周囲の麦を揺らす風はさわやかで心地いい。故郷でのあれこれで一時は心身ともに疲労困憊だったアリーシャも、ある程度時間を経た今ではそれなりに回復しているし、そもそも二人旅になってからこちら、ルーファスは明らかにアリーシャに合わせてこまめに休憩をとってくれている。
いつもなら、今までなら、だから決して彼が手を貸すような場面ではない。その必要なんてない。
それなのに、手はつながれたまま特に会話のないままただてくてくと足だけが動く。ルーファスは黙っていてアリーシャは訊ねていいものか判断に迷って、何度も何度もそっと彼をうかがうけれど、やはりルーファスはアリーシャを見ない。
――だから彼女には、つながれた手の意味が分からない。

「このペースなら今日の夕方には街に着けそうだぞ」
つながれた手と、アリーシャを見ない涼やかな横顔と。交互に顔を行き来させるアリーシャに果たして気付いているのかいないのか、不意にルーファスがそんなことを言った。
「これでちゃんとしたもん食えるし、ちゃんとしたとこで寝れるし、汚れも落とせる。……明日は丸一日休養ってことにして、出発は明後日とか、どうだ?」
「ルーファスは……ルーファスが疲れているなら、そうしてもいいけど。わたしはできたら、先を急ぎたいわ」
「疲れてるのはオレじゃないだろ?」
――いい加減敬語はやめてくれ、二人なのに堅苦しい。
そんな風に、いっそ懇願されたのがつい先日で、なので少しばかりぎごちなさを自覚しながら返したなら、きょとんとした声が降る。そこに苛立ちが混ざっていないことをどうしても確認してしまうのは、周囲の目を気にして気にして生きてきたためのどうしようもない癖で、それもできたらやめろよと苦笑されたけれど、なにしろ癖なので昨日今日ですぐに軌道修正はできない。
いや、今はそうではなくて、
「……わたしも、別に、そんなに疲れてはいないけど……。自覚していないだけなのかしら。ああ、だから、手、」
「いやそれは違うから!」
無意識の疲労に気付いたからこうして手を繋いでくれたのかとアリーシャが納得しかけたところで、ものすごい勢いで声が割り込んだ。いつの間にか二人とも立ち止まっていて、けれど繋いだ手はそのままで、それを二人してじっと見おろす。
……ええと。
「……迷惑、だったか? そりゃそうだよな、動き制限されるし」
「そ、そんなこと……!!」
ルーファスの、つぶやきというよりはひとりごとに近いそれに手が引かれる気配が漂って、それに気づいた瞬間アリーシャが叫んでいた。同時にぎゅっと手に力をこめている。どちらも無意識に近くて、ふと気付いたアリーシャ自身が一気にあわてる。
「ち、ちが、……違うんです! わたし!?」
声を上げたものの、それ以上は何を言いたいのかわからなくなって変なところで言葉が途切れた。多分続きを待ってくれているルーファスに早く何か続けなければと焦るのに、焦るので言いたいことがみつからなくなってさらに焦る。
「……ええと、アリーシャ?」
「このままで!!」
再び叫んでしまって、というよりもその内容にアリーシャ自身が驚いた。驚きのあまり身を引こうとするけれど、繋がれた手はそのままなので、当然動くことなんてできない。
気恥ずかしさに、みるみる真っ赤になっていく顔が分かる。いや、そもそもきっともっと前から顔なんて赤かった。そこにさらに血が上って、きっと発火しそうに熱くなる。
――ど、どうしよう!?

◇◆◇◆◇◆

「…………ま、まあ。行くか」
ルーファスが絞り出した声に救われて、言うなり歩き出したのにつられて再び足を踏み出す。アリーシャの熱い顔は熱いままだったけれど、向かい合うわけでもなく隣り合って歩くだけなら、見ようと思わなければ顔色はきっと見られない。
「ええと、」
「……こっち見ないでください……」
「あ、ああ……。わかった」
そのままさくさく歩いて、
「――そういえば敬語やめてくれって頼んだよな」
「だ……! だ、って、仕方ないでしょう……驚いてそんなこと、考える暇なんて、」
「そうだよな……うん、わかってるわかってる。細かいことつついて悪かった」
「ルーファスが謝る必要ありません!」
互いに顔を見ないまま、見られないまま、そんな中身のないやりとりがあって、
「……そんなこともないだろ」
ぼそりと声が降ったのは、アリーシャがだいぶ落ち着いてからだった。え、と見上げようとしたなら、繋いでいるのと逆がわのルーファスの手が彼女の視線をさえぎる。
「見るなっつったのそっちだろ! ……こっちも見るなよ。頼むから」
「え、ええ……はい。ごめんなさい」
「謝ることじゃあ……。さっきもこんなやりとりしなかったか」
「したかもしれません。……しれないわね?」

自分ではない体温がそこにあること。
それに確かに、触れることができること。
それが、その相手が、このひとなら。
……多分これは、幸せという感情にきっと限りなく近い。

……なんとなく手を繋ぎたくなっただけなんだって、いつ言やいいんだオレ……?
そんなつぶやきが聞こえたりしたなら、きっとそれは、なおさらに。

―― End ――
2009/01/22UP
ルーファス×アリーシャ
OFP
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福壽草
[最終修正 - 2024/06/27-10:32]