見た目には、ただのヒトで通るくせに。――多少目鼻立ちが整っているからといって、それだけなのに。いや、いつも巻いているバンダナを外したなら、それに隠されている耳の先はとがっていたか。
けれど。
見た目にはいくらヒトと同じに見えても、男は確かに自分とは違う生き物で。
ヒトには通り抜けられない壁が、男には通り抜けることができた。
それなら、その話が確かなら、その話がそこで終わりなら。――ヴァルハラ宮殿で、彼は王女に会うことはできなかったはずだ。そうなると、今、ここに彼女がいるはずはなくて、
……では、なぜ……?
聞きたくない、聞かない方がいい。何かが頭の奥で警鐘を鳴らす。
ひょっとしたら今まで、この男は彼に気を使っていたのかもしれない。聞かない方がいい話を、だから聞かせなかったのかもしれない。
けれど、彼は訊ねてしまった。
男は、淡々と続ける。
「あそこを抜けられるのは、神と、エルフと、ハーフエルフ。……そして、不死者――まっとうに生きている人間を正しいとするなら、正しく生きていないモノ、輪廻の輪から外れたモノ、輪廻を超越したモノ。
さて。オレは肉体の時間を止める指輪を持っている。おまけにグールパウダー……あんたも見たんじゃなかったか? 人を不死者に変える薬がある」
「な、お、……おまえ」
「土壇場で、オレは怖気づいたよ。アリーシャと一緒にいたかったけどそんなのオレのエゴでしかなくて、薬飲んだらもう後に戻れない。散々神に人生もてあそばれてたアリーシャが、ようやくそういうのと縁がない、普通の人間になれたんだ」
けど、と息を吐いて、男が笑う。悲痛な目で、口元だけは笑みのかたちで、なんとか平気をよそおってよそおいきれなくて、その声はひび割れている。
「アリーシャの覚悟は、とっくに決まってたんだ。多分、全部分かっていたのに、彼女は躊躇なくグールパウダーを飲んだ。……あとは、まあ。オレにできることっていったら、壁抜けた瞬間に指輪はめてそれ以上の不死者化を止めるくらいだったからな。
ちなみにヴァルハラについちまえばオレの魂の消滅うんぬんは関係なくなるし。だから、リスク背負ったのはアリーシャだけだった」
聞こえる、けれど理解するのがひどく難しい言葉を耳に受け取りながら。彼の目が、昏々と眠り続ける王女を追う。その手に光る、ぶかぶかの、元は男の指に輝いていた赤い宝石の指輪を見つける。
――ああ、だからなのか。
――宮殿で二人と再会して以降、どこかざわざわ落ち着かない感じがしていたのは、彼女が半分不死者と化していたからなのか。
――英霊にとって不死者は敵だから。意識の外で、間近い不死者を感じ取って。それでずっと落ち着かなかったのか。
「……笑えるぜ。アリーシャにそれだけの重荷おっかぶせといて、オレは結局オーディンに負けた。アリーシャの力借りてさえ、歯が立たなかった。
レザードが出てきたのは、その後だ。あきらめたオレの身体がオーディンにのっとられて、その身体をヤツがさらってった。残ったのはあきらめなかったアリーシャと、身体から追い出された魂だけのオレでさ。
シルメリアがやってたのの見よう見まねでもなんでも、あのときアリーシャがオレをマテリアライズしてくれなきゃ、今ごろオレの魂、消え去ってたよな」
「…………そりゃ……確かに、なんつーか……無茶したな」
「アリーシャが疲労で倒れても、しょうがないって気になるだろ?」
聞かなければ気楽でいられた話を聞かされて、やっとの思いでうめいた彼に男は笑った。そのひどく凄惨な、まるで血を吐くような笑みの正体がやっと彼にも分かった。
そして、先ほどの問いかけの意図も。
「……でもそれ全部、嬢ちゃんが、アリーシャが自分で決めたことだろ? 本人にとっちゃ、現状で満足じゃねえのか」
「オレもそう思う。……だから救われねえんだよ」
「罪悪感から、シアワセにしてやりたいってか?」
「そういうとミもフタもねえっつーか、もっとオブラートに包むとかなんとか……」
「お前になんで気ィ使わなきゃなんねえんだよ」
「…………だよなあ」
本当は、分かっている。過去を振り返っても、選択を改めることはできない。未来を願おうとしても、魂の平静を求めるなら、全部終わった後に――現状の、中途半端な不死者もどきではなく、彼女に完全な死を与えてやるしかないだろう。
今もその細い指に光る、赤い宝石の指輪。ちっぽけなそれに頼ってこの闘いの後も現状維持を願ったとして――何かの弾みで指輪が外れれば、たちまち彼女は完全な不死者となる。今の意志を失って、生あるモノを憎むようになる。
多分、それは。誰よりも彼女が望まない。
たとえば、戦乙女に彼女の魂を取り込んでもらって――この際、協力的な戦乙女の存在は都合できたとする――マテリアライズしてもらうことは可能だろうけれど。正直、神だの不死者だのに関わらせ続けるのは、ぞっとしない。
多分同じことを思って、二人は重く息を吐く。
もしも手放しで応援することができたなら。努力次第で望む展開へ持っていくことができたなら。たとえばをいくら考えてみても、歯車がひとつかけていたなら現状はありえなくて、だからよけいにやるせない。
今もただ静かに眠る愛らしい王女。口も態度もよくないにしろ、見た目は美形以外の何者でもない半妖精の男。寄り添い生きていくのに、これほど似合いの二人もそうそういないだろうのに――片方は半分死んでいる状態で、もう片方は一度死んで生き返った状態。
やはりますますやるせなくなって、彼はもう一度息を吐いた。
「……とりあえず、だな」
「なんだよ」
「シアワセにしてやりたいって、そういう意志があるって伝えてやりゃ、嬢ちゃん喜ぶと思うぜ? シアワセの第一歩ってヤツじゃねえのか、それだって」
「な、バ……!!」
「……正直だんだん当てられてる気がして腹立ってきたんだよ文句あんのか、あァ?」
「誰もンな話してねえよ!!」
気が滅入ってきたので適当に軽い話を振ってみたなら、今まで、によく似た反応を引き出すことに成功して、彼はにやりと口の端を持ち上げた。
「事情は分かった、まあ乗りかかった船だ、今さら岸に戻りたいなんて弱音ほざいたりしねえさ。何より、俺らは岸に戻れても、嬢ちゃんだけはこの場に取り残されるわけだしな。てめえの勝手で、踏ん張ってる女子供切り捨てるのなんざゴメンだ」
「…………そりゃどうも」
「だから」
空になったまま握りしめていた酒瓶を、ごろりと転がした。新しいそれを、味なんて分からなかったけれど、やたらとかわくのどに流し込む。
「てめえはてめえのしたいことちゃんと決めとけ。
嬢ちゃんはもう決めてるし、俺はそれについてくと決めた。だが、人真似はやめとけよ、お前は。嬢ちゃんを大切に思うなら、なんだっていい。自分で自分の望みをつかんでろ」
歯車がひとつずれていたなら、この現状はなかったけれど。歯車をひとつずらしてこのお姫さまがシアワセになれるなら、この男は迷わずそうするだろうと確信がある。
世界も人間の命運も、どうだっていい。
そのめちゃくちゃな思考に乗ってやるさと、彼は無理にも笑ってみせた。
平穏で不穏なやり取りなどまったく聞こえないのだろう、ありふれた宿屋のありふれたベッドにもう一度視線を投げたなら。
眠り姫は、何も知らずに夢の中。
