河岸の村アリアス。
技術者二人を連れて何とかシーハーツの領内に入ることができて、しかしまだ兵器作製の約束は取りつけることができていない。領主屋敷に勤めていたクレアはネルのそんな簡単な報告にうなずいて、とにかくまずはと食事を用意させる。

―― 去不成 [一夜限りの休戦協定] 1

「強行軍で疲れておいででしょう。少し早いですけど、お二方はどうかゆっくりお休みになって疲れを癒してくださいね。足りないものは、屋敷の誰かに言っていただければできる限り用意しますから。
――ネル、ちょっと伝達事項があるからあなたは残ってくれる?」
「ああ、分かったよクレア」
いつでもにこやかなもうひとりのクリムゾンブレイドは、食事が終わると早々に二人を会議室から追い出した。村の中でなら自由にしてくれていいからと、いつもどおりの有無を言わせない笑顔の彼女にネルは小さく笑う。
ずいぶん久しぶりに笑ったような気がした。
――けれど「伝達事項があるから」という言い方は「良くない知らせがあるから覚悟しておいて」という符丁だった。鉛よりも重い何かを呑み込んだような気分が晴れるはずがない。

「――前置きはいいわよね。大体想像ついていると思うけど……アーリグリフから脅迫状が届いたわ」
「……やっぱりか」
「ええ」
男二人の足音と気配が遠ざかるや否や、クレアがそう切り出した。一瞬息を呑んでから、目を伏せてネルはうめく。
カルサアで二人が捕まったとの知らせを受けた時から、予想はついていた。
クリムゾンブレイド二人は揃って重い息を吐く。不吉な予感にひどく喉が渇いて食事の名残の香茶のカップを傾けるネルに、クレアは近くのデスクの上に放り出してあった封書を差し出した。
「内容は、ひねりも何もないわ――あの娘たちと技術者二人の身柄の交換。
……確実に、罠ね。たとえ素直に技術者を差し出したところで、あの娘たちは殺される」
「そうだね……」
中を見る気にもなれない、手に持つことすら汚らわしい。ネルの態度でクレアがテーブルに投げ出した白い封書を、二人してぎっと睨みつける。――火でも点きそうな、ものすごい視線で。
「事情は聞いているわ。……あの娘たちは覚悟していたでしょう」
「全のために個を殺す。隠密部隊に入った最初に叩き込まれるから、覚悟してないはずがないさ。――でも、覚悟できていたって……」
「ネル」
血を吐くような言葉が遮られた。名前を呼ばれてクレアを見れば、彼女はやさしく淋しく微笑んでいる。
「――ネル、長いつき合いだもの、あなたの考えていることは分かるわ。一度決めたら絶対にそれを貫くあなたの性格も、分かってる。だからどの道を選ぼうと、私は口出ししない。
……でも、ひとつだけ言わせて」
いつもの微笑みが、泣く寸前の顔に見える。すっとネルの手をすくい取ったクレアの、その指先の冷たさにかすかに目を見開く。
「あなたの中の優先順位を、もう一度思い出して。そして、私にとってのあなたの存在を、みんなにとってのあなたの存在をもう一度しっかり考えてほしいの。
あの娘たちも確かに得難い人材よ。けれど、ネル、あなたはかけがえのない私のパートナーなんだから。
お願い。本当に決める前に、考えて――そしてあなたが決めたことには、私は何も言わないから。協力するから」
「クレア……」
いつものように穏やかに微笑んでいるのに、どんな悲痛な叫びよりも哀しい顔。ネルの手を包むネルのそれよりも小さな手が、かすかにかすかに震えている。
「お願いよ、ネル……私はあなたに死んでほしくない」
やさしい瞳が、普段見ることのない涙に潤んでいる。

◇◆◇◆◇◆

屋敷の屋根に登って、空を見上げた。
流れる雲はシーハーツもアーリグリフも関係ないのに。それにくらべて、土地に縛られ国に縛られている自分たち。あの雲からすれば、どれほどちっぽけな存在に映るのだろう。けれど目を下ろせば先の侵攻でずいぶん煤けてしまった家並みが嫌でも目に入って、焼け出された人々や怪我をおして動き回る兵士たちが嫌でも目に入って、口内ににじむ苦い味に歯を食いしばる。
ただ空を見上げる。
「勝算は……どれくらいだろうね」
ぽつりとつぶやいた。
カルサアの修練場に囚われているはずの二人を救出に向かって、生きて――二人とも、そして自分も無事にまたここに戻って来る確率はどれくらいあるのだろう。ネルが単身戻ったところで、彼女たちもネル自身も、確実に助かるとは限らない。むしろ三人とも死ぬ確率の方がきっと格段に高い。
……それでも、あの時もそうなると知っていて、それでも他に選択肢はなかった。
何より優先されるべきは「技術者の確保」で、部下を切り捨てることでそれが叶うなら、悩むことさえ許されなかった。死なせるつもりで連れて行ったわけではない、見捨てるつもりで行動を共にしたわけではない。全員――部下二人と技術者二人の全員が無事に助かる方法があったなら、たとえその対価がネル自身の生命だったとしても――ためらったりはしなかった。
「でも――」
今のまま放っておけば、あの二人は確実に殺される。今現在二人が生きている確証はどこにもないけれど、ここで放り出せば未確定の死が確定してしまう。
それが分かっていて、けれどクレアの気持ちも理解できる。彼女の言いたいことも痛いほどよく分かる。

思考が堂々巡りしはじめたその時。
かたん。
「!?」
小さな音に、ネルは大きく身を震わせるとあわてて気配を探った。ぐるりと周囲を見渡してから視線を下に落とせば、窓を開けて首を覗かせていた男の、その青い目と目が合う。
「……あ、んた……っ」
「よぉ。なんか面白いもんでも見えるか?」
――なんだか泣きそうになった。
せっかく忘れていたのに。男の姿を目にしたら、ここ最近こころにずっと抱えていた不可解なもやもやがまた復活してしまった。不安で占められていたはずの胸がいつの間にかもやもやにとってかわって、しかし結局苦しいことに変わりがない。息が、詰まる。
「――なんか悩みごとがあるなら聞くぜ? んなシケたツラしてんなよ。せっかくの美人が台無しじゃねえか」
「あっ、あんたには関係ない!!」
怒った顔ならまた別の魅力があるんだけどよ。
そう言ってにっと笑うクリフに、ネルは上から怒鳴りつける。
――まただ。クリフの口からぽろぽろ出てくる「美人」という言葉ひとつで、もやもやが細い鋼の糸に変わってネルの心臓を縛って締めつける。痛い。痛くて苦しい。苦しいけれど――嬉しい。
「あんたには……関係ないよ」
「そうか?」
あっさりした返事にずきりと胸が疼く。あまりの痛みに服の胸元をぎゅっと掴む。目を伏せる。

狭くなった視界のすみに、雲が流れて行く。

―― Next ――
2004/07/23UP
憎しみあう5つのお題_so3クリフ×ネル_
OFP
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一夜限りの休戦協定 1 2
[最終修正 - 2024/06/14-14:46]