顔を赤くして噛みつくように歩くネルの後ろを、かすかに口元をゆるめたクリフがのんびりとついて行く。ペースは違っても脚のリーチから歩幅が違うので、ネルが突き放したりクリフが遅れたりといったことはない。
なかった、のが、
「……どうした?」
不意にネルがぴたりと脚を止めた。追いついたクリフが彼女の横で首をかしげると、そちらには目を向けないままに低く唸る。
「――なんで、助けた?」
「あん?」
「何だって、修練場なんかに来たりしたんだ。
協力するしないに関わらず、シランドまで行って陛下に謁見すれば、あんたたちは自由になれたんだ。アリアスからなら、シランドもそう遠いわけでもなくて――すぐに自由になれたのに、何でわざわざあたしを追いかけてきたんだ」
ずっとネルが不機嫌だった理由。
言われたクリフが何かを言いかけるのを、しかし遮るようにしてネルが続ける。
「結果的にタイネーブとファリンは助け出せた。あたしもあんたたち二人も無事だった。
……けど、あそこで死んでたかもしれない、漆黒のやつらにとっつかまってたかもしれない。そうなれば……アーリグリフのために兵器を作らされるか、尋問とか言って拷問くり返された挙句おっ死ぬか……そうなってたかもしれないんだよ!?
知らなかったわけじゃないだろう、一体何で……!!」
「けど、あそこでオレらが追いつかなきゃ、おまえこそ殺されてただろ?」
苦笑混じりの台詞に、まっすぐ前を向いていたネルがクリフに身体ごと振り向いた。襟首を掴んで、上背のあるクリフの顔を引き寄せる。
「結果論はいらないと言ってるだろう!」
ネルの剣幕に思わず引きかけるクリフを許さないで、さらに引き寄せてにらみつける。クリフは居心地悪そうに、自由な方の手で前髪をかき上げながら、
「……フェイトが、おまえを助けに行くって決めたから――」
「それについて行くのを決めたのはあんただろうっ? フェイトを諌めようとしなかったのも!!
あれほどあたしたちとは、……フェイトにだってどこか一歩引いてたくせに、何であんたがあんなとこに来たのか訊いてるんだ!」
「……」
「……」
双方しばらく動きを止めていたのが、やがてクリフがすっと目を細めた。
たったそれだけで雰囲気が――明るく陽気なものから、冷たく凄惨な何かに一気に変化して、ネルはぞくりと鳥肌を立てる。
「危険を冒してまで修練場に行った理由、な。
おまえがいなくなったと知った時、――いや、その前か。おまえがあの夜、ただ頭下げるためだけに部屋に来た時。オレはフェイトの意見についていこうと決めたんだよ。
おまえを助けることと、オレたちが早く自由になること。オレ自身にゃどっちも同じだけの価値があったからな。だから、フェイトがどっちを選ぼうと、オレはかまわなかった」
ネルの手から力が抜けて、襟首を取り戻したクリフはやれやれと肩をすくめた。それから何となく困ったように、ネルを安心させるように笑いかける。
「言っとくが。自由ってのがオレの中でかなり価値があるだけで、人命が軽いとかんなつもりはねえぜ。
犬死にするだけなら止めるし、手伝えるなら手を出す。……人間としてそりゃ当然だと思わねえか?」
「……っ、だからってシーハーツの……」
「ああ、さっきフェイトにも言ってたな。
ま、何とかなると思ったんだよ。捕まるとは思わなかったし、捕まったところでどうにかなるってな。死ぬってのは論外だ。
――ま、全部カンだったけどよ。けど結局はどうにかなっただろ?」
そう言うと、クリフはいたずらっぽく片目をつぶってみせながら、何気なくつかまえたネルの指に軽く唇を当てる。
「――美人の救出なら、それだけでやる気アップするしな」
「……っ、か、軽々しくそういうこと……っ!!」
怯えて青かったネルの顔が一気に赤くなった。力任せに手を取り戻すと、悔しさだろう、かすかに視界が潤んだのは無視して再び男をにらむ。
にらまれたクリフはいつものように明るく笑うと、すぐ近くでこぶしを握り締めているネルにアイテム入りの袋を軽く放った。思わずネルがそれを抱き止めると、そのすきに一歩近寄ってひょいと横抱きに抱え上げる。
「……!? 何するんだい放しなこの変態馬鹿オヤジっ!」
わめきながら全力でもがくネルは、しかし彼女の部下たちがあしらわれた時のように簡単に受け流される。悔しくて視界の潤みが少し増したころ、位置的にちょうど彼女の耳元で、クリフがぼそりとつぶやいた。
「――脚、」
「離しなって言ってるだろちょっとクリフあんた聞いて……」
「さっきから――つーか修練場で……合流したあたりからずっと引きずってるよな。フェイトが治すとか言いかけるたびに誤魔化して。
てわけだから、いいから大人しくしとけよ。別に取って食やしねえからよ」
食われてたまるか、言い返そうとしたネルはふと動きを止めた。正直な反応に低く笑われるけれど、それよりも、
「――いつ、分かったんだい……?」
「あ、おまえオレの観察眼馬鹿にしてるだろ。
修練場で合流したあたりからっつっただろ? 単独行動で無茶やらかしゃ、怪我のひとつやふたつやみっつやよっつ、負わない方がおかしくねえか??」
「……っ」
言われた瞬間、自分でも忘れていた右のふくらはぎが不意に痛みはじめた。あの時狼に食いつかれた傷が疼きはじめた。
同時に、彼女のこころもざわめきはじめる。簡単に彼女を包む大きな熱に、顔の火照りがおさまらない。
唇を噛んで、ネルはアイテムの入った袋に顔を埋める。
大人しくなった彼女を改めて抱え直して、クリフが歩き出した。
いたずらな風に、砂埃が舞い上がる。
