「アルベルさん、大丈夫ですか?」
いかにも心配そうな声と共に、閉じた目蓋にひやりと冷たいものが乗せられた。身体中燃えるような熱に包まれていたのが、その一点だけ冷やされるような感覚。
「……すみません」
何とか押し殺しているものの息が荒くて、心臓がものすごい勢いで血を送り出している証明のように、耳元でどくどくいう音がうるさくて周囲の音がひどく聞き取りづらい。熱を持った身体はやけに重くだるく、意地だけで手にしている右手の刀をしかしいざという時に引き抜けるのか扱えるのか、実のところ自信がない。
「本当に、すみません……わたしが、わたしのせいでこんな……」
見ていなくても分かる。叱られた小犬のようにうなだれている少女の姿が、見ていなくても脳裏に浮かぶ。
「――気に、すんな……阿呆……」
――やっとの思いで吐き出した声は、情けないほどに掠れて弱々しいものだった。
現在地、モーゼル砂丘の一角。とあるオアシスに間近い岩陰。ぎらぎらと照りつける太陽に陽炎が揺らめき、露出過多の長身細身の男と冒険にはいかにも不向きなミニスカート姿の少女の他に――人影は、ない。
湿度が極端に低い砂漠にいるせいであっという間に乾いてしまったハンカチを、ソフィアはアルベルの額から取り上げた。そろそろと周囲をうかがいながらオアシスに近づいて、モンスターを警戒しながらハンカチを濡らす。水が滴り落ちない程度にゆるく絞って再び岩陰に戻って、バテているアルベルの顔に乗せる。
声をかければ何とか返事をするものの、アルベルの反応は鈍い。癒しの術は使うな、精神力を無駄にするなと釘を刺されていて、それができない。アイテム袋はパーティリーダーが持っていて少なくとも今この場にはないし、陽は相変わらず高く強く、この中を単身さまようのはいかにも自殺行為だ。
ため息を吐く。
そもそもは。この砂漠の一番奥にあるというモーゼルの古代遺跡に向かっている途中、他でもないソフィアが砂に足を取られたところからはじまった、……と思う。
元々さらさらした砂地で歩きづらかったのが、一度バランスを崩したとたんずるずると流されていって、平地ではなくどうやらすり鉢状の穴にゆっくりと落ちているのだと気がついて、その中心に当たるところに目をやったなら。いかにも鋭い角のような牙が生えていて――いわゆる蟻地獄の大きいものだと半ば本能的に悟った。
悟った瞬間背筋を這った冷たい予感に思わず全力で悲鳴を上げて、パーティメンバー全員が、あるいはソフィアの救出やらあるいは穴の中心のモンスターに攻撃やらであわただしく動いて。もがいてももがいても自由になれずに、むしろ砂に飲み込まれていく感じがして、周囲の人間が何をしているのかを認識する余裕のないまま一気にパニックに陥った彼女は――知っている中で一番強力な呪文を放っていた。
ろくに集中できなかったのに術は発動して、何とか仲間は巻き込まずに、肝心のモンスターすら巻き込まずに砂に吸い込まれた。それがどう作用したのか。刀を手にしたアルベルがそのままその場にへたり込んでいたソフィアの手首を取ったところで地面が爆発して、――あとは彼女にはよく分からない。
気がついたらこの岩陰に倒れていた。アルベル以外パーティの誰の姿もなくて、きっと彼女をここまで運んでくれたのだろうアルベルは、見事に熱中症にかかっていた。しばらくここで休め、術は使うなと念を押した直後、ぐったりと倒れてしまって今はこんな有様で。
ソフィアはさらにため息を吐く。
「アルベルさん、癒しの……」
「うるせえ」
何度目かも分からない言葉にざっくり返して、アルベルは深く息を吐いた。
……だいぶ楽になってきた。体温もずいぶん下がってきたし、地面が波打っているような感覚も身体のだるさも少しずつ治まってきている。
「あの、」
「術は使うな。……何度も言わせんじゃねえ。ほっときゃ回復すんだよこんなもん」
はぐれたメンバーにこの姿を発見されるかもしれないのは癪に障るが、何が起きるか分からないこんなところで、少女の精神力を無駄に使わせるのも腹立たしい。この時ばかりは補助呪文を覚えていない自分を斬り刻みたくなるが、そういったことを全部把握した上でのんびり待っていられる場所を探してこの砂漠をほっつき歩いたのはその自分だ。
しかし何やら不満そうな気配。薄目で見やれば、予想通りぷくっとふくれた不満そうな……いや、唇を噛んだ哀しそうな顔。
「――なんだ」
「わたし、やっぱり弱いままですか?」
「あ?」
すっかり乾いてしまった布を取り上げてぱたぱたといなくなったと思ったら、すぐにまた帰ってくる。
「足手まといですか、お荷物ですか? ――パーティに一緒にいない方が、いいですか……??」
目の上に乗せられた布のせいで、少女がどんな顔をしているかが見えない。濡れた布の冷たさは気持ちがいいのに、視界をふさいでいるそれがやけに邪魔だった。
鉛のような重さが抜け切らない手で何とかそれをどければ、うつむいた細い肩が細かく震えている。多分、自己嫌悪にでも陥っている……そんな気がした。
――しかし、どうすればいいのか分からない。
しばらく迷った挙句、アルベルはゆっくりと身を起こした。視界は揺れているものの我慢できる程度で、立ち回りはまださすがに無理だろうが、……もう大丈夫だろう。
そうして、いまだ細かく震えている頭に手を乗せる。ため息まじりにぺふぺふと軽く叩いてみる。……泣いてはいなかったものの、かなり潤んだ翡翠色が見上げてくる。
「――阿呆」
言ってから、アルベルは後悔した。いつもの台詞ではあるものの、何もこんな時にまで出す単語ではないだろうと自分にツッコミを入れたい。思わずフォローしたいのにその言葉が浮かばなくて、仕方がないので何事もなかったかのように続けることにする。
「俺とてめえじゃ、剣士と施術士じゃ強さの意味が違うじゃねえか。てめえがいくら努力しようと俺と同じ強さが身につくはずがねえし、俺が何しようとてめえみてえに術を山ほど使えるようにはならねえ」
ぽろり、ふっくらした頬にこぼれた涙に内心ぎょっとしていると、本人もあわてたようにてのひらでそれを拭った。――泣くつもりは、なかったのだろうか。
涙が完全に消えたのを確認して、再び口を開く。
「……得意分野ってのがあるだろうが。駄目なとこばっか見て落ち込むより、得意なところ伸ばす方がよっぽどマシじゃねえのか、阿呆」
「アルベルさん……」
遠く揺らめく景色に見覚えがある人影を見たような気がして、アルベルはそれ以上言うのを止めた。彼の視線に気づいたソフィアが背後を見やって、立ち上がると大きく手を振り回す。
――てめえは、てめえなりに強くなればいい。俺を目指さなくていい。俺なんかを、目指すもんじゃねえ。
確かに近づいてくる人影に息を吐くと、アルベルもゆっくりと腰を上げた。
