「あのさあソフィア」
ある日フェイトが言った。珍しく眉を寄せて、珍しくいかにも「不機嫌です」という顔を前面に出して、言いに来た。
「? どうしたの、フェイト」
「お前……何だってあいつなんかに懐いてるんだ……?」
モノのように指差された先に。不穏な空気を感じ取ったらしいひょろりと長身の男が、その空気をまき散らしているフェイトに対して、いかにも凶悪にガンたれていたりした。
「……理屈じゃないのよね」
とととととととっ、すばらしく軽く整った音を立てながら、ソフィアの手にあるナイフがタマネギを薄く薄くスライスしていく。
「うーん……理屈じゃないのよ」
角度を変えてもう一度。たたたたたたたっ、小気味のいい音が厨房に響いて、彼女の手でタマネギが姿を変える。
「うーんうーん……やっぱり理屈じゃないんだから」
ととととととととととんっ! 今までナイフを入れていたのとは垂直の方向に刃を入れれば、見事に大きさのそろったこれでもかというほどに細かなみじん切りの出来上がり。ボウルに移して今度はニンジンを手にとって、そこでソフィアはふと気づいた。
「――あ、今日はシチューにするつもりだったのに……」
山になったみじん切りのタマネギ……シチューはやめてハンバーグにでもしようか。どうせだから人参もみじん切りにして混ぜてしまおう。
メニューを瞬時に変更して、ニンジンにナイフを入れる。再び厨房――聖殿カナンの一角にある工房に、軽くリズミカルな音が響く。
――なんだってアルベルに懐いてるんだ?
顔をしかめたフェイトの顔が、ソフィアの脳裏に浮かび上がった。
――仲間にしといてなんだけど、あいつ無愛想だし目つき悪いし趣味悪いし、ソフィアの一番苦手なタイプじゃないのか?
フライパンでタマネギを炒めるソフィアの耳に、リピート再生される言葉。
――戦闘以外の何にも興味持たないし、気が利かないし使えないし関わり持とうとすらしないし。一体なんでだ?
タマネギの粗熱をとる間に今度はスープの準備をする。
忙しく動き回る彼女の他に、工房に人影はない。――時間つぶしにちょっとモンスターを倒しに行くとかで、彼女以外のメンバー全員が出ていったのは――それほど遠くはないがしばらく前で。その中には当のフェイトと件のアルベルなんかもいて。
今度は、挽肉を放り込んだボウルの中身をこねながら。フェイトに言われてから延々ソフィアは悩んでいる。
先ほどそう訊ねられたときは、「なんとなく」と答えておいたものの。ぼろくそに言われたアルベルが、そこに込められた悪意はともかくその言葉が指す内容はそのとおりで、フォローできないのは確かに事実だと思った。おかげでフェイトの疑問はソフィア自身の疑問になっている。
ふと気づけばいい具合にこね終わっていたボウルの中身を、焼いていくことにする。
――どうしてだろう。
鋭く、指すように鋭く尖ったきれいな緋色の瞳。下手な俳優よりもよほど整った、いっそコンプレックスさえ引き起こしそうな、普段は無愛想にしかめられた顔。まるで針金みたいに細い、けれどしっかり筋肉をまとった身体つき。周囲に撒き散らしている、戦闘にはいまだ「素人」の域を出ないソフィアにさえ感じられる、血のにおいに似た凄惨な空気。
――どうしてだろう、確かに最初は怖かったのに。血に飢えた不機嫌な猫科の大型動物のような、触れたらすべてを切り裂く刃物のような、そんなアルベルが怖かったのに。戦闘のたびに引きつれた壊れた笑い声が上がって、なんだか尋常ではないそれにひどく怯えていたのに。
こねたそれを適当な大きさにまとめて、熱して油を引いたフライパンに形よく並べていく。食欲をそそるにおいが立ち込めて、このにおいでモンスターがやって来たらどうしよう、ああここにはそういうのに惹かれるような生身のモンスターはいなかったっけ、そんなことを考える。
――強いことが第一の彼に、最初は歯牙にもかけられなかったのに。邪魔者は、お荷物はとっとと尻尾巻いて帰れと、無言の圧力を感じていたのに。好意的とは決していえないその空気に、確かに怯えていたのに。
強火で両表面を焼いておいて、フライパンにフタをして火を小さくして、じっくり中まで火を通す。スープの味を調えて、レタスの葉をちぎって水にさらして引き締めて、トマトも洗ってからまな板の近くに転がして、別の鍋でゆで卵を作っておく。
――一見そうと分からない、けれど目を細めて薄く笑った顔。無謀な勢いで敵に突っ込んでいって、それをソフィアに叱られて不満そうにすねた顔。治癒の紋章術をと言い出す彼女に向ける、やけにバツの悪そうな顔。長いまつげにはっと気づかされる、無心な分やけに幼く見える寝顔。
思い返してなぜかどきどき苦しくなってきた胸元に、小さくソフィアが笑った。きゅぅぅ、音を立てて縮こまった心臓に、その痛みに苦笑しながら、それでもはにかんで笑った。
人数分の皿にフライパンの中身を移して、少しだけ別にしておいたみじん切りタマネギの炒めたものをフライパンに戻す。きのこも放り込んで火を通してから、数種類の調味料をさらに入れて少しだけ煮立たせ煮詰める。
――いつからだろう、ほんのちょっとした表情の変化がソフィアにも読めるようになっていて、きっとそのころからアルベルのソフィアに対する態度もずいぶん軟化した。フェイトとはまったく違う、けれどどこか安心できるアルベルに、確かにそれは「懐いている」ような、そんな態度でソフィアは接していた。多分最初は戸惑っていたのに、苦笑して「仕方ねえな」と言わんばかりに、そんなソフィアをアルベルは許してくれた。大きな手で軽く頭を叩かれても、アルベルが相手なら「子ども扱いしないでください」と怒ろうとは思わない。
――どうしてと疑問に思うのに、今では戦闘中のアルベルさえ怖いとは思えない。刃物を手に凄惨な笑みを浮かべていても、彼は決して仲間を、ソフィアを傷つけることはないと知っているからだろうか。
出来上がったソースをいまだ熱々のハンバーグに添えて、スープもよそって大皿にサラダを盛りつける。瓶にドレッシングの材料を放り込んで、パンを軽く熱して温める。
――「どこが」と言われてもやはり分からない。それでも、ソフィアはアルベルを「好き」だし、アルベルもソフィアを――少なくとも「嫌って」はいないだろう。
バターとジャムを取り出してバスケットに温めたパンを入れて、……部屋の入口あたりが騒がしくなったのに、ソフィアは目を向けた。
「いいタイミングですね。ちょうど出来上がったところです」
「いや、こいつが腹減ったとかなんとかうるさくてよ。悪ぃな嬢ちゃん、任せきりにしちまってよ」
「……うるせえ」
クリフに顎で示されて憮然とつぶやくアルベル。子供っぽいすね方がなんだか可愛く映って、ソフィアの顔がほころぶ。
「ハンバーグです。冷めないうちに食べてください……の前に、手を洗ってくださいねっ!」
「分かったよソフィア。……うん、いい匂いだ」
「ありがとフェイト」
彼女を射た緋色の瞳に、小さく笑みを返す。戦闘中は今でも大して役に立たないけれど。それでも癒しの術を使える身として、どこか怪我をしていないかさりげなく、けれど真剣に目を走らせる。
――どこがいいとか、いつからかなんて、やっぱりよく分からない。それでもやはり、このひとが「好き」なのだと思う。どういう「好き」かは分からないけれど、ただ「好き」だと思う。
言葉にできないどこかで、アルベルのそばでは妙に安心してしまう自分に。
ソフィアも皆と同じテーブルに、さりげなくアルベルの横の席に陣取ると、花もほころぶ極上の笑顔を浮かべた。
