アルベルは……しばらくむっつりと黙り込んだあげく深く息を吐いた。よじよじと、てのひらからこぼれ落ちそうになる小猫たちに気を取られているソフィアを見て、さらに息を吐いて、
「……阿呆」
心底呆れきった声でうめく。
「――もう良いですほっといてください!!」
大声で叫ぶと、ソフィアは小猫を抱えたままその場を後にした。悲鳴めいたそれに道行く人々が注目しているのを無視して、子猫を大切に懐に抱きしめたままあてもなく走る。
鼻の奥が目頭が、つんとした痛みに襲われて先ほどから涙で視界が潤んでいる。それでも。意地でも泣きたくなくて、半泣き状態にあることをアルベルに知られたくなくて、ソフィアはただずかずかと道を行く。
その少女の耳の奥によみがえる、たった今言われた言葉。
――阿呆が。弱っちいだけの生き物なんかにかまけてる暇があるのか。
少女自身、まだまだパーティメンバーの足手まといでしかないのに。
――親の庇護があろうとなかろうと、生き残るやつは生き残るし死ぬやつは死ぬんだよ。
親が死んだ時点で、この猫たちの運が尽きたことを理解しろ。それで生き残るかどうかは、個々の生命力と運次第だ。
――分かってるんだろうな。三日後にはここを発つんだろう。
それとも、殺す覚悟で旅に連れ出すつもりなのか。
――大体な。戦争が終わったばっかで、この町どころか国全部探したところで、余裕のあるやつなんかいねえんだよ。すぐに役に立つ特技を持ってるならまだしも、手間かかるだけの荷物抱え込む余裕なんか、どこ探してもねえんだ。
お前の住んでいた世界ではどうだか知らないが、少なくともここはそういう国だ。
――いいか、中途半端なやさしさを向けるな。責任取れねえことに手を出すな。それが相手のためになる。目先のことに捕らわれるんじゃねえ。
当の猫たちにとって、ソフィアの存在がどれほどの不幸になるか考えろ。やさしくされてから突き放されたら、その絶望はどれほどのものか想像してみろ。
全部が全部正論で、まったく言い返すことができなくて。思い返した言葉にとうとう涙が頬を伝う。珠を結んでぽろぽろと落ちていく。
「……っく、」
みぃ
不思議そうに見上げてくる子猫たち。嗚咽をこらえて服の袖口で涙を拭って、何でもないよと微笑もうとするのに、あとからあとからこぼれる涙にそれもできない。
ソフィアは立ち止まると唇を噛んだ。
全部、分かっていた。そう言われることが分かっていたから、皆の目を盗んでこそこそ世話をしていた。町の子供たちと協力して、飼ってくれる家を探していた。――今日まで、その成果はまるで現れていないけれど。
ソフィアはさきほどのような建物の隙間を見つけると、きょときょとと周囲を見渡してからそっとそこに入り込んだ。先ほどたらふくミルクを飲んだため、ぽんぽこりんになった腹を抱えてうとうとと子猫たちがまどろんでいるのを見て、まだ止まらない涙を拭いながら口元だけで笑う。
嬉しかったのだ。
最初にこの町に着いた時、大きな腹をした猫を見つけた。すぐに妊娠した猫だと分かって、戦いの毎日で知らずすさんでいたソフィアの目に、それはまるで生命の象徴のように映った。ろくに餌がないらしく痩せ細っていた母猫に、小遣いで買った栄養価の高そうなものを食べさせて少しずつ慣れさせて。ようやく――まだ触れはしないけれど近寄っても逃げなくなったころに、子猫が生まれた。
その母猫は、今はもういない、それに関してソフィアに何か責任があるわけではない。けれどそれでも、世界でもっとも新しい生命であるこの子猫たちを――この滅びに瀕した世界に生まれてきた新しい生命を、祝福したくて。自分できることなら何だってしてやりたくて。
全部、分かっている。矛盾にも気づいている。それでも、生まれてきてくれたことが嬉しかったから。世話を焼くことが、嬉しかったから。
「……よくよく狭っ苦しいとこが好きなんだなてめえは」
背後のため息に、ソフィアはびくりと身を震わせた。
どれほどそうしていたのか、あたりはいつしか薄暗くなっていた。涙もいつか止まっていて、しかしまぶたが腫れている感じがするし頬がつっぱっている感じがするし。
「出てこい」
「イヤですっ! そっとしておいてくださいっ!!」
こんな顔、誰にも見せたくない。
それなのに、舌打ちと共に伸びてきた手が彼女の二の腕をがっちりと掴んで、力ずくで引きずり出された。あまりのことに思わず頭ひとつは高いアルベルをにらめば、緋色の目がいらいら底光りしていて――逆にソフィアの方が怯えてしまう。
「それ、貸せ」
指差されたそれ――寝息を立てている毛玉。子猫とアルベルの組み合わせに事態が飲み込めなくて、狼狽しながらも首を振ると、再び不機嫌に舌打ちされる。
「……だったらてめえも来い」
「な、……っ、アルベルさん!? 何……」
「いいから、来い」
二の腕を掴まれたまま歩き出されて、ソフィアはアルベルに引きずられていく。
アルベルに連れられたソフィアは、やがて彼がどこに向かっているかの見当がついた。
カルサアの町の北東部、広大な演習所を抱える風雷団長ウォルターの屋敷。
「アルベルさ……、」
泣き腫らしたこんな顔ではウォルターに会えないと訴えるのに、青年は聞こえないフリをしてどんどんずるずるソフィアを引きずっていく。抵抗しようとしてもまったく無駄でしかなくて、困って落とした視線にぷすーぷすーと寝息を立てる子猫たちが映って、
「……」
混乱が収まらないうちに着いたのは、予想通りウォルターの屋敷。
門番が黙って門を開け、深々と頭を下げている。顔パスでずかずか歩くアルベルはそれに見向きもしない。結局今も困ったままのソフィアが助けを求めて周囲を見ても、そんな少女の存在を誰もが無視しているようで、
「……あの、」
「あのジジイはここの領主だ。ここにあるもんすべてに対して責任がある」
それは屁理屈ではないか。
けれど、どうやらアルベルなりにこの猫たちのことを考えてくれていると分かったソフィアは、いまだ腕を捕らえている男の、むっつりした顔を見上げて小さく息を吐く。
「この子たちが幸せになるなら、それでいいんです」
玄関のポーチで、いつもの好々爺然とした表情を浮かべて待ちかまえている風雷団長の姿があった。普段から眉とシワに隠れた目をさらに細めて、どうやらソフィアの手の中の生命を歓迎しているようで。
「わたしの手で幸せにできなくても、それでいいと思うんです」
「……そうか」
ぼそりと返ってきたその声に、どこか安堵の色を見つけて。
子猫を見下ろすと、良かったね、とソフィアはやわらかく微笑んだ。
