からん。
ロックの氷が溶け落ちて、澄んだ小さな音が響いた。カウンターに突っ伏してうつらうつらしていたフェイトは、酔眼をぼんやりとグラスに向ける。そうしてからふと気配に顔を横に転がせば、珍しく静かに酒を楽しんでいるクリフの姿があった。

―― 剛強 [好きだと言って]

「……うぅ……」
調子に乗って呑み過ぎたのだろうか。目を動かしただけで脳味噌に錐が突き刺さるような強烈な痛みを覚えて、フェイトは掠れたうめき声を上げると改めて突っ伏した。機嫌良くブランデーを舐めていたクリフが、その声でふと目線を彼に向ける。
「だから言ったろ。いい加減にしとけって」
「何のことだよ……」
力ない声に大袈裟に肩をすくめると、バーテンに何かを言った。すぐにカウンターをすべってきたグラスは、フェイトの額まで指一本という絶妙な距離でぴたりと止まる。

現在地、軍事大国アーリグリフ首都アーリグリフ、酒場ドラゴン・ブレス。大抵の騒がしい客はとっくに酔いつぶれたか帰ったかで、常連が静かにグラスを傾ける、そんな時間。
ふらりとやってきて延々呑んでいたクリフを探して、フェイトが店のドアを開いたのはいつのことだっただろう。てっきり、いい加減にしろもう帰れなどと催促しに来たとばかり思っていたのが。しかしクリフのとなり、ひとつ席をあけてどかりと座ると何も言わないまま無茶な勢いで呑みだして。クリフが呆れて色々忠告しても全部無視して呑み続けた結果、フェイトはあっさり沈没した。

「ほれ、水飲んで休んでろ」
「うるさい……」
気楽なクリフの声に腹を立てながら、フェイトはそれでも素直にグラスに手を伸ばす。静かな店内とはいえ客はそこそこいて、低く低く潮騒のような会話、ざわめきさえ今のフェイトの頭に響く。
胸がむかむかする、頭ががんがんする。
少し動いただけでかっと頭に血が上ってそれが痛みに変わって、腹を立てたまま水を呷ればその冷たささえこめかみを抉った。叩き付けるようにグラスをカウンターに戻す。と、新しい水入りグラスがまたそこにある。
「……」
「あーゆー無茶な呑み方したあとにゃ、とりあえず吐くほど水飲んどけ。――てよりもな。ガキじゃねえんだろ? もうちっと考えて呑めや」
飄々としたクリフに腹が立つ。いつだってフェイトには到底かなわない、どっしりかまえた大人の男に腹が立つ。余裕しゃくしゃく口出ししてくるおせっかいが、その言葉の正しさが腹を立てる反面その優しさにどこか安堵している自分が、ことあるごとに思い知らされる器の差が懐の深さの差が。フェイトにはひたすら腹が立つ。
「……さて。何かオレに言うことでもあって、酒で勢い付けようとしてたんだろ?」
違うか?
からかうように細くなった鮮やかな青、全部全部見透かしているその深い色に。
――腹が立った。

悔しいけれど、男であるフェイトすら憧れるクリフだ。そんな人間が身近にずっといたなら、誰だって知らず目が肥えてしまうと思う。どうしてもハードルが高くなると思う。
しかし、頭が理屈を理解したとしても、感情が納得するとは限らない。
フェイトは半眼になった。
「……お前のせいだ」
「あん……? 何がオレのせいなんだよ??」
言われたクリフが器用に片眉を跳ね上げる。
「マリアが僕になびかないのは、全部全部お前のせいだ」
「――……はぁ!!??」
さらりと言われた台詞に固まったクリフが、やがて素っ頓狂な声を上げた。

「……マリアの口から「好きだ」って言わせたいのに」
突っ伏したままグラスをとって、水を口に含む。顔をしかめる。
「何言ってもどう話を向けても、絶対に言ってくれないんだ」
無言で瞬くクリフをちらりと見やって、一体何が面白くないのか、ふん、と鼻を鳴らす。
「頭の良いマリアのことだから、分かっていてはぐらかしてるのかもしれないけど。こういうことには疎そうだから、分かってないのかもしれない」
「……」
からからから、グラスを回して涼やかな音が上がって、やはりその音すら酔った頭に響くらしい。ひとつ舌打ちをしてから、
「――けど、とにかくお前みたいのが常にそばにいたから、変な意味で免疫できてるんだよ。だから、お前のせいだ」
だいぶ減ったグラスの中身をフェイトは一気に飲み乾した。

◇◆◇◆◇◆

はじめて会った時、なんてきれいな人だろうと思った。まっすぐに前を見る瞳と、たとえ自分が悪役になったとしても、言わなければならないことは躊躇なく口にする潔さにその凛々しさに、憧れた。
どこまでも強くて挫けることのない精神と、華奢で脆い整った身体と。そのアンバランスさ気付いたのは、はじめて一緒に戦ったときで。気付いた瞬間心を絡め取られて、以来彼女から目が離せなくなった。
――ここまで一人のひとに捕らわれたのは生まれてはじめてだと、フェイトは思う。ここまでほしいと焦燥感に駆られたことは、ヒトでもモノでも今までなかった。獣よりも凶悪な独占欲にはじめて気付いて、自分にそんな衝動が眠っていたなんてはじめて知って、それに怯える心よりもなお強く――彼女が、ほしい。
駆け引きを楽しむ余裕なんてない、他に目を向ける余裕なんてない。今こうして生きているのは、言動のひとつ呼吸ひとつすら、すべて彼女のためなのだと本気でそう思う。マリアのためなら彼女を手に入れるためだったら、悪魔にだって喜んで魂を売り渡してやる。誰を犠牲にしてもかまわない。
この衝動が独占欲が、世間から見れば間違ったものだと分かっているから。マリア本人が知ったら、眉をひそめて彼から距離を取ろうとするだろうから。だからおくびにも出さないけれど。
こうしてクダを巻いている今も、フェイトの心を占めているのはマリアただ一人で。

ゆっくり緩慢に瞬くフェイトが、いまだ呆けているクリフをにらみ付けた。言われた台詞が消化しきれないまま、その強い視線でとりあえずクリフが復活する。
「……本気でマリア口説くつもりか」
「冗談ならお前に言ったりしない」
きっぱりと言い切る姿に、無駄に男らしさを感じて目眩がする。
「回りくどく言っても分かってくれないから、さっき「好きだ」って告白したんだ。
そうしたら、「嬉しいわありがとう」って返ってきて……単なる「好き嫌い」の「好き」みたいに流されて、その時のショックがお前に分かるか?」
「いや……それは確かにショックだろうが……オレは関係ねえじゃねえか」
「お前がミラージュさんとかに「好きだ」って言いながら別の女性口説いてたりするの、目の前で見てきたせいに決まってるだろ!? 男にとっての「好き」って言葉はその程度の価値しかないんだって、絶対マリア思い込んでるんだよ!!」
新しい水入りグラス片手にわめくフェイトに、店内の視線が集中する。居たたまれなくなったクリフが席を立とうとするのに、逃げると思ったのかフェイトが胸倉を掴み止める。
「何でだよ!? なんでクリフの方が先にマリアに会ったんだよ!!?? ずるいじゃないか!!」
「フェイト、お前な……」
興奮と、わめいた自分の声で脳味噌を揺さぶったせいで、フェイトは思い切り顔をしかめるとぽろりと涙をこぼした。男の涙そのものは、クリフにとってどうでも良いものの。フェイトのその顔は、出会った当初の幼いマリアの泣き顔と重なって――扱いに困る。
「何でだよ……っ」
つぶやくと、クリフの胸倉を掴んだままフェイトはいきなり脱力した。ぎょっとして覗き込めば――何と言うことはない。醒めきらないうちに騒いだせいで、先ほど呑んだアルコールが再び回っただけのようだった。
「ハタ迷惑なやつだな……」
クリフはため息を吐いた。いまだ襟首を掴んだままの右手と水入りグラスを握りしめたままの左手を、それぞれ乱雑にはずす。そうしてから改めて腰を据えて、新しく注文したブランデーをまたちびちびと舐めはじめる。

フェイトの意識がかすかに覚醒する。
身体中まるで力が入らない。意識はまだ半分暗いところに落ち込んだまま、起きようと思うことすらできない。そのままぼんやりと、思う。
――マリアに、好きと言ってもらいたかった。
――自分のことでなくてもかまわない。花とかアクセサリとか、食べ物とか。そういうモノが対象でもいい。「好き」という言葉を聞きたかった。
――あの魅惑的な唇からその言葉が滑り出る瞬間に、その場に居合わせたかった。
カウンターに突っ伏したまま、ただ、思う。
――ありがとう。
にこりと微笑んだあの時のマリア。銃の整備の途中で磨いている部品に目を落として、ほころんだ唇がゆっくりと動いた。
――このパーティは家族みたいね。すごく安心するわ。
異性として見ることはできないと、そう言われてしまって。一世一代の告白は、どこかずれた答えに玉砕して。けれど彼女の笑顔は変わらずきれいで、恨むこともできなくて。
フェイトは薄く目を開くと緩慢に瞬く。碧の瞳は夢を見るようにぼんやりしたまま、焦点を結ばない。
――なぜ今ごろ出逢ったのだろう。
幼馴染なら、マリアが良かった。……ソフィアがどうとかではなくて、マリアだけが今の彼には特別だから。
――なぜ誰よりも先に、彼女に出逢えなかったのだろう。
マリアの前にクリフが現れるより早く、彼女と出逢いたかった。誰も誰かの代わりにはなれないけれど、きっと今より情けないところをさらけ出すだろうけれど、けれどそれでも彼女を守りたい。他の誰の手でもなく、フェイトの手でマリアを守りたい。過去も未来もずっとずっとそばにいて、彼女の騎士は自分だけであってほしい。
――なぜ……。
運命の神が存在するなら、恨み言の一つでも吐きたい。
両親が亡くなって、その両親も実の親ではないと知らされて、動揺が収まりきる前に宇宙を漂流するハメになって。助けてくれた反銀河勢力に所属して、偶然自分の特異性を思い知らされて。
話に聞いたそのどれか一つでも大変なのに、立て続けにそんな状況が重なって。なぜ彼女にばかり、そんな過酷な出来事が重なったのだろう。フェイトがのほほんと平和な世界にいる間、彼女はどれほどの修羅場をくぐってきたのだろう。くぐらなくては、ならなかったのだろう。
――それでも、彼女は強い。
マリアはどこまでもまっすぐに前を見る。運命に巻き込まれた悲劇のヒロインを気取らずに、運命すらねじ伏せ切り拓いていこうとする。拗ねずにひねくれずにあきらめずに、真っ正面から立ち向かおうとする。
かなわない、思う。思うけれどそばにいたい、守りたい。……守らせて、ほしい。

剛強 [好きだと言って]

――好きだと言ってほしかった。
――……幸せだと、笑ってほしかった。
――強い彼女の弱いところを、見せてほしいと心底思った。
とりとめのないことを考えながら、フェイトはまたゆっくりと目を閉じる。
かろん。
ロックの氷が溶け落ちて、ただ澄んだ小さな音が響いた。

―― End ――
2004/09/05執筆 2004/09/06UP
好きだと言って / 恋愛に関する15のお題_so3フェイト×マリア_
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剛強 [好きだと言って]
[最終修正 - 2024/06/14-15:08]