彼は女性に親切だ。
年齢も身分も容姿も関係ないらしい。女性と見れば丁寧に扱うし気を利かせてくれるし、常にやわらかで爽やかな笑みを絶やさない。……その分男には厳しいぜと養父がいつかぼやいていたが――まあ今はそれはどうでもいい。
問題は、親切だということだ。分け隔てなく、女性に優しいということだ。
ある日。大陸南部アーリグリフから同北部サーフェリオはモーゼルの古代遺跡まで、ろくに休まずに一気に移動しようとした結果。
女性陣が全滅した。
マリアはペターニのベッドの上で、ぼんやりと天井を眺めていた。
ソフィア、ミラージュ、ネルの順で体調を崩して、遺跡やらサーフェリオやらではろくに休養できないということでペターニまで戻って来たのだが。移動途中から少し身体が重いと思っていたマリアも、どうやら倒れた……らしい。町に到着したところまでは覚えているけれど、一度意識が途切れて次に我に返った時にはこうしてベッドに横になっていた。
「……情けないわね……」
つぶやいて――誰がやったのか、くつろげてあった襟元をいじる。腕が自分のものでないようにやたらと重い。そもそも身体全体がまるで思うように動かない。寝間着に着替えたいのに自力ではとても無理そうだと思い知って、またひとつ息を吐く。
体調不良は自覚していた。町に着いたならクリフあたりにそれとなく伝えて、一晩ゆっくり休めば回復すると思っていた。そうできると踏んでいた。それなのに結局は休む前に倒れてしまってそれをメンバーに見せてしまって、不甲斐ない自分に怒りすら感じる。
「……情けないわ……」
「――そんなことないよ」
さらに吐き出した言葉には返事があって、驚いたマリアは飛び起き――ようとしたのに身体は動きを忘れたようで、どうしても動いてくれないのでとりあえず翠の目を見張った。
両手に荷物を抱えた青年がいつの間にか部屋にいた。水を張った洗面器と水差しらしきものを、彼女の枕元のサイドテーブルに落ち着ける。ごめんね、とつぶやくと手が伸びて、彼女の額に柔らかく触れる。
「――ん、……まだだいぶ高いな……大丈夫かい、マリア?」
「フェイト……?」
その言葉どおり熱が高いのだろう。揺れる視界に現れた彼は小さく笑うと、ちょっと引っ込んで水のはねる音がして、次に現れた時には濡れた布を持っていた。さらりと前髪がかき上げられてぬれた布が乗せられて、そのひんやりした冷たさが熱に浮かされた身体に心地良い。
「ディプロまで運べれば良かったんだけど。さすがに病人かかえながらモンスター撃退しながら、ってのは無理そうでさ。ごめん、こんなアナログな看病しかできなくて」
――そんなことはない。
言おうとしても、声が出てこない。喉が詰まったような感じがして声が出せない。いつの間にか胸に大きなカタマリが生まれていて、痛くて苦しくてとても切ない。
「――ああ、やっぱり女性の看病を男がやるって変かな」
――違う。
声は相変わらず出てくれないので、眉を寄せたまま首を振って意思表示をする。ほっと息を吐いたフェイトに、たまらなく申し訳ない気持ちになる。
「そう? ならいいんだけど。
ああ、ソフィアはもうだいぶ回復して、やっぱりほとんど全快したミラージュさんと今料理のクリエイションやってる。もう少ししたら何か持ってくると思うよ。ネルさんは――まだ完治しきらないから、クリフとアルベルを置いてきた。まああの二人が看病なんて気の利いたことするとは思えないけどさ。あの人はちゃんと見張っておかないと、こういう時でも無茶してベッドから逃げようとするから」
くす。小さな笑い声。マリアの熱が移った布を取り上げて水に晒して絞って、丁寧な手付きでまた額に戻す。
マリアは目を閉じた。ずきんと、目蓋の上あたりとこめかみのあたりと――胸の奥が痛い。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ?」
先ほど襟をいじったなごりで、外に出ていた手をこわれものを扱うように取り上げて、布団の中に戻してくれる。
「せっかくあそこまで行ったのに……」
「最初に体調崩したのはソフィアだし、そもそもそうさせたのはリーダーやってる僕の采配ミスだよ。だから、怒られるのは僕の方」
「だって、色々迷惑かけて、」
乱れた青い髪をきれいにまとめて、横に流してくれる骨張った手の感触。
「マリアが倒れたのは町に着いた後だから、全然迷惑とかじゃないよ。さすがにモンスターが襲ってくるところだと困ったかもしれないけど。町に着くまでは、マリア、自力で歩いてたじゃないか」
「でも……」
「いいから、とにかく休んでくれよ。今までずっと強行軍だったから、その疲れが大きいんだと思うし。性別が違えば根本の体力差ってのがあるから、どうしようもないことで悩んでも意味ないだろ?」
ぽふり、布団を軽く叩かれて、子供扱いされているのに腹が立つよりそれが心地いい。
「――マリアが眠るまでここにいるから。何かほしいものがあるなら言ってよ。そりゃマリアから見ればずいぶん頼りないと思うけどさ。こういう時くらい僕を頼ってほしいんだ」
ぽふ、ぽふり。なだめるようなその手付きが、閉じたままの視界にとても優しい。
「……フェイト……」
「――な……?」
穏やかな声がとても落ち着くのに、胸のカタマリを逆に大きくさせる。
フェイトは女性に優しい。
下心があるとかそういう理由からなのかもしれないが、とにかく女性と見れば物腰やわらかに親切になる。悪意のない爽やかそのものの笑顔はどうやら対女性専用らしいし、男にはいくらそれが目上年上の人間でも基本的にタメ口を利くのに、それが女性となると特に年上には確実に丁寧語になる。
そうして「女性である」だけで分け隔てなく優しくするから。マリアの胸の内、呑み込んだ冷たいカタマリは日に日に大きさを増していく。痛くて苦しくて切なくて、どうすればいいのか分からない気持ちがぐんぐん膨らんでいく。
「優しさ」は美徳だと思う。それなのに、フェイトの優しさはマリアにやるせなくて。
熱で頭が朦朧としているせいだろう。だから――普段は押し殺しているその言葉を、マリアはつい口にしていた。幼い子にするように、ぽんぽんと一定のリズムで布団をたたいてなだめるように微笑んでいるフェイトに、目を閉じたままつぶやいた。
「……いで……」
「何、マリア?」
「やさし……ぃないで……」
「……え……??」
閉じた目からこぼれた涙が、ぽろり、こめかみを伝ってすべり落ちていく。
――やさしくしないで。
他の人に優しくしないで。見ていると切なくなるから。フェイトが私じゃない誰かを好きになるところなんか、本当は見たくないから。
――やさしくしないで。
私に優しくしないで。ずるい心は自分が特別なのだとすぐに思い込んでしまうから。私がフェイトの「特別」なのだと、うっかり信じ込んでしまうから。
――やさしくしないで。
私も他の誰かも、同じくらい優しくなんかしないで。心が痛いの。痛くて切ないの。あなたの特別になりたいのに、あなたはみんなに優しいから。私だけに優しいなら誰かにだけ優しいなら、あなたの「特別」が誰なのか分かるのに。分け隔てなく優しいから、期待するたびに裏切られて……だから心が痛いの。
熱に浮かされて、情緒が不安定なせいだろう。ぽろぽろと涙がこぼれる。おろおろとした気配に申し訳ないと思うのに、涙はいっこうに止まってくれない。
困らせたくはないのに。「優しさ」は美徳だと心底思うのに。
……それなのに。
そうしてどれほど経ったのか。意を決したフェイトがマリアの頬に、頬の涙におずおずと手を伸ばしたころには、彼女はどうやら寝入ってしまっていたようだった。
指を濡らした透明な水滴を眺めたフェイトは少し考えて、きょときょとと周囲を確認してから彼女にそっとかがみ込む。ついばむように優しく優しく、涙の痕を舐め取っていく。
「――一応、区別はしてるんだよ?」
泣き疲れて眠ってしまった、無防備で無邪気な寝顔を見下ろして苦笑した。彼女の枕元に手を付いて、額の布を取り上げると――羽のようなキスを落とす。
「女性には確かに親切にしてるけど、ここまで甘いのは、優しくしてるのはマリアにだけなんだよ??」
発熱のために熱く乱れた吐息を感じながら、その耳元にそっとつぶやく。そのまま薄く染まった耳たぶに噛み付きたいのを、病人相手だからと衝動を押さえ込む。水に布を浸して絞って、額に乗せる前にもう一度祝福のようなキスをして、
「僕が本気になったら、きっとマリアは困るから。今はそんなことにうつつを抜かしてる暇なんかないって、マリアならきっと言うから。だから我慢しているだけなんだよ?」
ささやくと――ひそやかに笑う。
一度踏み出してしまえばもう戻れない、立ち止まることすらできない自分を知っているから。誰よりも大切にしたいから、この騒ぎが終わるまでは我慢することに決めた。命のやり取りをしなくてすむようになって明日の心配をしなくてもすむようになって、全部が全部「日常」に戻るまでは我慢しようと決めた。
それでも性格から女性に優しくしてしまうけれど、マリアには特別甘い自分がいるけれど。
「幼馴染やってるソフィアには気付かれているのにな。……妙なとこに鋭いクリフとやたら目敏いミラージュさんにもバレてるのにな」
隠密という職業柄、人間観察が癖になっているネルにも。理屈ではなく本能で生きているアルベルにも。人生経験が豊富なアドレーにも。――つまるところ、パーティメンバー全員に知られているというのに。
マリア本人だけは、どうやら気付いていないらしい。
「優しくするのは性格だから仕方ないよ。今さらどうこうできるほど、僕は器用じゃないんだ」
――だから、マリアには特別優しくするから許してほしい。いつか想いを告げるまで、どうかそんな僕を許してほしい。
ぬるくなってしまった水を取り替えて、あとは彼女が目を醒ました時に飲んでもらうように解熱剤でも用意しておこうか。暴走しかねないから着替えさせることはできないけれど、身体が拭けるように湯とかタオルとかを用意するのもいいかもしれない。
考えて、もう一度ぽふりと布団を叩いて。フェイトは静かに立ち上がった。完璧に殺しきることはできないものの、なるたけ足音をひそめて静かに部屋の外に向かう。
![鉄臉 [優しくしないで]](04.png)
ほろり。
遠ざかる足音に、気配に。静かに寝入るマリアの頬を、――涙が一粒伝い落ちた。
