自分が周囲からどう見られているのか、知っていた。それに文句がなかったから、そうと見えるように自分から振る舞った。「自分」を演じることに抵抗を感じなかった。
後悔したことなど、――なかったのに。
現在地、スフィア社オーナーのいる「エターナルスフィア」内特別空間、螺旋の搭。
もうどれほど上がってきたのか、あとどれくらいでルシファーのいるところに出られるのか。果たしてこの世界が崩壊する前にたどり着けるのか、たどり着いたところで話し合いで――それが無理なら力ずくでも、ルシファーの暴挙を止めることが可能なものなのか。
いくつもの不安と戦いながら。とりあえず周辺のモンスターを一掃した一行は、交代で仮眠を取ることにした。
マリアは床に座り込んで手近な柱にもたれかかって、ぼんやりとしていた。
本当は今のうちに休んでおかなくてはならないのに、休んで体力と精神力を回復させなければならないのに。頭ではそう理解しているのに、先ほどからいくら頑張っても眠気はまるで訪れない。それなりに搭を上がってきて、その分ルシファーの元に近付いているはずで。だから自覚している以上に興奮しているためなのだと――眠れない頭の中の冷静な部分が分析する。
諦めのため息をひとつ吐くと、彼女は目線を天に向けた。
変な空間だと思う。昼もなければ夜もない、光源もないのに常に明るくて。こうして見る分には天井らしきものはどこにもないのに、階段を上がれば次の階にいる。空気はあるけれどやけに無機的で、彼女の持つ銀河連邦あたりの知識では、柱やら床やらの材質すら分からない。
なりゆきで未開惑星のエリクールから連れてきてしまったあの二人は、たとえばディプロ内でこの違和感と戦ったりしていたのだろうか。FD界のことは今一体どう捉えているのだろうか。
――とりとめのない思考が泡のように膨らんで、そのままはじけて消えていく。
「……マリア、大丈夫かい?」
そうしてしばらくそのままぼうっとしていて、やはり訪れない眠気に何度目かも分からないため息を吐き出した時。不意に右背後から声をかけられた。思わずびくりと身を震わせて、けれど動揺を押し殺して目をやれば――青髪の青年が、穏やかな笑みを口元に浮かべて立っている。
――足音と気配を殺すのが、ずいぶん上手になったものだ。
「となり、いいかな?」
そんなことを考えているうちにそう訊ねられて、断る理由も思い付かないのでマリアはこくりとうなずいた。フェイトはさらに笑みを濃くすると、彼女のとなり、拳一つ分くらいあけて静かに腰を下ろす。
「なんだか顔色悪いよ?」
「――眠れないのよ」
はあ、とわざとらしいため息を吐いてみせれば、碧の目が困ったように細くなる。
「無理しなくていいよ? 今さら焦ってもきっとそう大差ないだろうし。全員回復するまでここで……ここが落ち着かないんだったら、何だったらどこかの町まで戻ってもいいし」
「馬鹿言わないでよ」
マリアはむっと唇を尖らせた。
「大差あるに決まっているじゃない。たとえ一分一秒だって無駄にできないわ。……なるべく早くオーナーとやらに会わないと」
すっぱりと、いつものように鮮やかに言い切る。
まったくいつもと同じように、どこまでも強気なマリアに――フェイトは心から大きな息を吐いた。かちんと来たのかきつい目付きでにらんでくるのを、何と言えばいいのか考える時間稼ぎのつもりで、最近だいぶ伸びた前髪を掻き上げる。
「……あのさ、」
「何よ」
きっとあの高圧的なきつい目でにらんでいるのだろうマリア。目を合わせないのはなんだかフェアではないような気がして、フェイトは手を下ろす。目線を上げれば、果たして身体ごとこちらを向いて、怒りにだろうわなわなと全身震えさせていた。その迫力に、一度は決めたはずの覚悟がぐらぐらと揺らいだ。
フェイトは一つ息を吸う。
「無理、しなくていいんだよ?」
「……何のことよ」
憮然とした表情。鋭かった目付きが瞬時にすねたものに変わって、怖かった顔が一気に幼くなった。それを目にして――今度はためらいなしにフェイトが続ける。
「今のパーティのリーダーは僕で、マリアじゃない。別にそれを威張るつもりはないんだ。ただ、せっかく重荷がなくなったんだから、わざわざ肩肘張る必要なんかないんじゃないかって」
「……だから、それってどういうこと?」
唇を尖らせた不満たらたらの質問。いつも何事につけ勘が鋭く思考の早いマリアは、けれど自分のことに関しては哀しいほどに鈍い。フェイトは苦笑して、
「弱音を――吐いてもいいんだよ? それに関して僕に何ができるのか、たとえ何もできないんだとしても。話を聞くだけで違うなら、僕に弱音をぶつけてくれていいんだ」
ふっと目を伏せる。
「世界の命運が第一だってマリアは言うかもしれないけど。でもいつもそうやって無理しているだろう? だから、たとえばたまに自分の体調を優先することくらい、僕はかまわないと思う」
それから、瞬く翠の目をまっすぐに見つめて、
「僕たちが倒れたらあとがない。……それだけじゃなくて、たまには愚痴のひとつくらいこぼしてほしいんだ」
淡く笑った。
――フェイトが何を言いたいのか、分かるのに分からない。
マリアはただ瞬きをくり返す。
――無茶をしている、無理を重ねていると――少なくともフェイトの目には、マリアの姿はそう映っているのだろうか。自分のことは自分が一番よく知っていると、だからそれは間違いだとそう思うのに。けれどその反面、身近すぎて見えていないものが、自分ではないフェイトには見えているのかもしれないと思う。
ゆっくりじんわりと心にしみ込んでくる先ほどの言葉、その意味。理解するには時間がかかるのに、それなのに勝手に顔が熱くなっていく。勝手に心臓が激しく打ちはじめる。
――弱音を吐いてもいい、愚痴をこぼしてもいい。何もできなくても、聞くことはできる……考えただけでうんざりする、自分のどろどろした部分を聞いてくれる。受け入れて、くれる。
マリアはあえぐように息を吸った。いつの間にか止まった呼吸は、無理にそうしようと思わない限り、無理にそうしようと思っても、なかなかその方法を思い出せない。
「……ぁ……っ」
「馬鹿にしているとか差別しているとか、そういうのじゃないよ。
でも、マリアは――クォークのリーダーやっていようがアルティネイションの能力を持っていようが、マリアはまだたった十九歳の女の子じゃないか。「普通の」ってくっつけるには「普通じゃない」部分が大きすぎるかもしれないけど。でも……だからって、いつも無理して強くなきゃいけない理由なんか、どこにもないじゃないか」
まっすぐマリアを見つめる、優しくて強くて深い碧。
「マリアが強いことは知ってるよ。誰よりも強いことは、よく知ってる。
でも――時々、怖くなるんだ。強いから、強すぎるから、いつか……切れ味の良すぎるナイフみたいに、自分を傷付けてしまうんじゃないかって。鋭い分脆い刃みたいに、いつか折れて壊れてしまうんじゃないかって」
こぶしひとつ分あったはずの距離がいつの間にかゼロ近くになっていて、フェイトの手がマリアの頬を包み込んでいた。宝物に触れるような奉げ持つような繊細な動きで、大切に大切に両手で包まれる。さらに近くなる距離が怖くてマリアが目を伏せたら、こつんと額と額がぶつかった。
呼吸の方法が思い出せない。身体の動かし方が思い出せない。視界も思考もフェイトでいっぱいになって、苦しくて切なくて恥ずかしくて怖くて――消えてしまいそう。
――「女の子」扱いされた。フェイトに女の子扱いをされた。
ずいぶん久しぶりのその感覚は、ひょっとしたらはじめてかもしれないその感覚は、知らない「何か」を連れてくる。それは、ひどく心地がいい反面とても居心地が悪くて、ふわふわしてどきどきしてぐるぐるしてきゅんとする。
苦しくて苦しくて苦しくて、一生分の鼓動を打っているのではないかと思うくらいに痛みを訴える胸を、いっそこの手で抉ってしまいたい。心臓に引き金を引いて、この息の根を止めて楽になりたい。
しょせんは女だからと馬鹿にされたようにも聞こえるのに。怒るべきかもしれないのに、そんなことできない。マリアを案じてくれる、どこまでも真剣な碧がそれを許してくれない。
だから何かを言い返さなければと焦るのに、焦るほど脳裏は真っ白になっていって。
――「女の子」扱いされた。フェイトに女の子扱いをされた。
たったそれだけで、小さな心臓は激しく脈打っている。かあっと顔に頭に血が上っていって、視界が白く染まっていく。
――気が、遠くなる。
「っ、マリア?」
がくん、といきなり体重をかけられて、フェイトが思わず声を上げた。頬を包んでいた手を離してあわてて身体を支えて、その見た目の華奢さよりも、さらに細くて脆い身体に眼を見開く。
「……?? そんなに、……体力不足だったのか」
こわごわ支えた身体が完全に脱力しているのを知って、マリアが気を失っていることを知って。的外れのことをつぶやきながら、フェイトはさらにしげしげと、マリアの完璧なまでに整った顔を見下ろした。
「……」
何かを言いかけて口を開いて、しかしゆるく頭を振ると口の端に笑みを浮かべる。
「――今じゃなくてもいいから、僕を頼ってくれよ? 今じゃなくても、いつかマリアが頼れるような男に……僕はなるから」
静かに頬――というか目尻近くにキスを落として、おひめさま抱っこに抱き直してすべるようにそっと歩き出す。
![酸麻 [思い込み]](08.png)
「……これで終わりなんてないよ。絶対に「いつか」を呼び寄せるんだ」
つぶやきは、風のない塔の中にゆっくりと消えていって。さらさらと流れる髪に隠れながら、ふっくらとしたやわらかな唇がかすかにほころんだ。
