あ、と思った時には敵のあぎとがすぐそこにあった。顔よりも大きく開かれた赤く暗い洞には腐臭によく似た口臭がたち込めていて、よりにもよってこんなやつに食われるなんて最悪だ、などといっそのんびりとそんなことを思った。
そして体当たりのような衝撃を感じてそのころにはぎゅっと目を閉じていて。
――いつまで経っても訪れない痛みに自分の死すら疑いながら、恐る恐る開いた目が――映したものに凍り付いた。

―― 絶色 [涙]

現在地、野生のドラゴンが我が物顔で歩き回る、エリクール二号星バール山脈はバール山洞。
「フェイト、フェイト!?」
悲鳴のような鋭すぎる声――ぶれた声が洞窟内に響く。
青い髪を乱して半泣きになって、マリアが一心不乱に呼びかけていた。いつになく取り乱した養女の様子に、厳しい顔をしたクリフが細い肩を包んで落ち着けとなだめていて。抜き身の刀をかついだアルベルは周辺の見回りに出かけていて、先ほどからマリアに呼びかけられている青年のかたわらで、ネルが呪文を紡いでいる。
冷たい洞窟に毛布一枚を敷いて横たわる、完全に脱力弛緩したフェイト。髪にも負けず顔色が青白いのは、……決して光量が足りないためだけでは、ない。

「……フェイト……っ」
息が詰まって声が声にならない。マリアは自分の服の胸元をぎゅっと押さえ付けた。
蘇生アイテムが足りない今、頼るは紋章術だけなのに。しかし彼女は――攻撃の術のうちいくつか簡単なものを知っているだけで、治癒の術を知らない。医療機器がなければ治療の方法も分からないし、応急処置の知識も万全ではない。
何もできないことが悔しくて、いくら大声を張り上げてもぴくりとも反応しないフェイトが哀しくて。泣きたいなどとは決して思わないのに、視界は先ほどからずっと揺れている。息苦しさがまるで消えない。
「……キミは、馬鹿よ……っ。どうして……、」
地面にへたり込んだままフェイトに手を伸ばしかけて、触れる直前、しかしマリアは怖くなって動きを止めた。クリフの大きな手が肩を包んでいて力強いそれは温かいのに、しかし瞬間ごとに爆発的に大きくなる不安は一向に薄れてくれない。
ぎしり、奥歯が軋みを上げる。

「……馬鹿よ……」
「――マリア」
何度目かも分からないつぶやきが、泣きそうな声が聞こえた。
聞いていられなくて――話しかける他の理由は確かにあったのだけれど、ネルは硬い声を上げる。潤んだ、それでも張り詰めた強さだけは失っていない翠の瞳が緩慢に瞬いて彼女を射て、ネルは悲痛な顔に再び口を開いた。
「ごめん……あたしの力じゃこれが精一杯で、もう、精神力がもたないんだ。
一応傷口はふさいだけど、これ以上は……」
声が掠れていて頭ががんがんして、果たしてマリアに聞こえているのか不安になる。
そこまで――限界まで治癒の術をかけても、フェイトの傷は癒しきれなかった。傷口こそ確かにふさがったけれど、内臓にはまだ深刻なダメージが残っている。専門外とはいえ、クリムゾンブレイドとして、シーハーツの誇る施術士として。もっと強力な効率のいい術を身に付けてこなかった自分が、今はひどく恨めしい。
泣きそうなのに泣かない、脆いけれどどこまでもぴんと強い、そんなマリアが。いっそ今死にかけているフェイトよりも痛々しくて見ていられなくて、ネルは視線を落とす。
「フェイトは……助かるの?」
虚ろな声が胸に苦しい。ネルはただ頭を振った。脳が揺れて視界が揺れて、めまいがして思わず目頭あたりを押さえる。
「――分からない。生きるか死ぬか、あとはフェイトの体力次第だ……本当に、すまない」
「……っ、……そう。
ネルが謝ることじゃないわ。十分よありがとう、休んでちょうだい」
「そうさせてもらうよ……」
無理矢理に、だろう。少しだけいつもの凛々しさでマリアがはっきりうなずいて。ネルは、こちらも意識してなんとか目元をゆるめた。
そのまま立ち上がろうとして――身体の動きに血が追い付いてこなくて目の前が真っ暗になる。ああ、こんな地面に倒れ込んだら青痣くらいできるだろうね。そんなことを考えながらも、身体はまるで動かない。
何かにふわりと抱き止められて、どうやら痣は作らずにすみそうで。
――フェイト、あんたマリアにこんな顔させてるんじゃないよ。不甲斐ないやつだね。ここで根性見せなくていつ見せるんだい?
最後に残った意識で、ネルはそんなことを考えていた。

◇◆◇◆◇◆

あの時。ドラゴンに食い付かれそうになっていたマリアをフェイトが突き飛ばして、そのまま彼は身代わりになった。腹部に牙が食い込み、ごっそりやられるよりも一瞬早く。炎を纏ったフェイトの長剣が、そのドラゴンの頭部を串刺しにして。狂ったようにのた打ち回るそれに再び剣の一突き。一声鳴いてドラゴンは倒れて、同時にフェイトもその場に崩れ落ちた。
腹部からの血は服を染めるだけでは飽き足らず、ばたばたと音を立てて湯気さえ上げて流れ落ちていて。傷口を押さえ付けていた彼の手も当然赤く染まっていって。
マリアは一部始終を、ただ見ていることしかできなくて。

◇◆◇◆◇◆

「……おい、マリア。……大丈夫か?」
「――平気よ」
血のにじんだフェイトの腹部の包帯をにらんで、唇を噛んだマリアが首を振る。
倒れ込んだネルを間一髪抱き止めて、毛布で包んで静かに横たえたクリフはやれやれと息を吐いた。
――どう見ても平気ではないくせに。
一度意地を張りはじめたら最後、マリアは倒れるまで痩せ我慢をする。長い付き合いだ、それくらい嫌というほど知っている。内心舌打ちをしながら昏々と眠り続けるフェイトに目を移して、思わず怒鳴り散らしたくなるのをぐっと我慢する。そんなことをしても、今はまるで意味がない。
――マリアは。両親、特に母親が死んだ時の影響だろう、――特に身近な存在に「かばわれる」ことをひどく嫌う。嫌うというよりも、怖がっている。かばった相手が犠牲に――死んでしまうのではないかと、相手の死を自分が招いてしまうのではないかと、ひどくひどく恐れている。
普段は誰よりも強く凛としたマリアだから、本人すら自覚していないのかもしれない。けれどたった十二歳で立て続けに両親を亡くした、特に母親を目の前と言ってもいい距離で亡くしたことは、幼い心にざっくり傷を残していて。本人はきっと自覚していないのだろう、七年経った今でもその傷は完全に癒えきってはいなくて。
相手がより身近になればなるほど。普段の冷静さ、冷酷さがどこかにいってしまう。先ほどの取り乱しようを見れば。――フェイトの存在がマリアの中でどれほど大きいのか、嫌でも分かるというものだ。
――起きたら、オレの「娘」を掻っ攫っていくやつとして一発殴らせてもらうからな。覚悟しとけよ、フェイト。
厳しい青い目で、意識のないフェイトをクリフはにらんでいる。
――だから、絶対に殴ってやるんだからな。……このまま死ぬんじゃねえぞ。
ただ、にらんでいる。

小さなドラゴンが一匹、近くをうろついていたのを。一撃で仕留めて、血払いをした抜き身の刀を再び肩にかつぎ上げたアルベルは、油断なく周囲を探りながらふと――脳裏に浮かんだ青い髪の娘の姿に舌打ちをしていた。
アーリグリフの地下牢で最初に会った時から、……妙な既視感を覚えていたのだが。ここに来て、自分と女は重なる部分が多いことにようやく気が付いた。
たとえば、かっとなりやすいくせに醒めている風を装っているところ。たとえばどれほど他者の反感を買おうと、自分が正しいと思ったことは推し進めようとするところ。たとえば、
――ごく近い肉親を、目の前で亡くしているところ。その心の傷。
生い立ちも性別もまったく違うのに、やけに似ているあの娘を。似ていることを認めざるをえなくて、だから見回りと称してあの場から離れた。あの場にいたくなかった。
まったく阿呆なことに、女をかばったことで敵の攻撃をまともに食らったフェイト。なんとか生きているものの、すぐにも死にそうなその姿。そんなフェイトにすがり着いて、泣きそうな顔で悲痛な声を上げる女に。――まるで、父の遺体にすがり付いてわめいていたあのころの自分を……嫌でも連想してしまうから。思い出してしまうから。
「……ちっ……」
――阿呆が。身代わりなんか弱ぇクソ虫がすることなんだよ。てめえは俺が認めてやっている強さの持ち主なんだ、勝手に死んだら許さねえ。いいかフェイト、……あの女にあんな顔をさせるんじゃねえよ。胸クソ悪ぃ。
とりあえず歩いていたら行き止まりにぶち当たったので。この道に他にモンスターはいないようだとアルベルは踵を返す。渋い顔で周囲を探りながら、思い付いた何かを追い出すように激しく頭を振った。

……誰かが呼んでいる。
白い闇の中に、黒い光の中に。浮き沈みしながら漂いながら、フェイトはぼんやりと思った。
……誰だろう、なんでそんなに哀しそうな声を上げるんだろう。
還りたくてたまらなかったところにやっと還ってきたような、そんな安堵感。絶対に来てはならないと全身全霊で拒否する場所に放り込まれてしまったような、そんな恐怖感。矛盾する気持ちの矛盾に気付かずに、フェイトは緩慢に瞬きをくり返す。瞬いている、つもりになる。
……そんな声を上げないでくれ。そんな哀しい声で僕を呼ばないでくれよ。
もがいてももがいても沈んでいく、潜っても潜っても浮かんでいく。前に進みたいのに後退して、後ろに進みたいのに前進する。まったく思うように動けなくて、それが苛立たしくて。
……哀しまないで、嘆かないで。
何もない空間に、いつからか現れていた「何か」に。精一杯手を伸ばす。焦る気持ちにもがきながら、手を伸ばす。掴み寄せようとする。
……泣かないで。どうか、笑ってほしい。
「何か」に手が触れた。そう思った瞬間――押し寄せてきた感覚に、フェイトの意識は薄れていく。

「フェイト……!」
「……まり……あ……?」
「フェイト!!」
何かに焦りながらフェイトは目を開いた。瞬間視界に飛び込んできたものに、その姿に。寝起きのけぶった視界が頭が、瞬時にクリアになる。
「……あれ、ぼくは……っ、ぁててててててっ!?」
脇腹と背中から身じろぎさえできないほどの激痛が急に襲ってきて、それでフェイトは全部を思い出した。アーリグリフで受けたいつかの拷問が生ぬるいほどの痛みに涙が浮かんで、それににじむ青に。フェイトは鉛よりも重い腕を伸ばす。
「――まりあ……ぼくを、よんだ……?」
声が出ない。ささやくような舌足らずな声しか出ない。懸命に絞り出したそれは情けないほどか細くて、しかし伸ばした手がやわらかな感覚に触れた。包み込まれた。
「ずっと呼んでいたわよ……!! フェイトが、起きないから!」
落ち着いたなら自分でヒーリングかけなさいよね!!
いつもの調子で、気の強い声を上げる青い髪の少女が。何もない空間で自分を呼んでくれた声が。気すら失えないのた打ち回ることさえできない激痛の中、ただじんわりした幸せをくれる。
「ごめん、ね……まりあ」
「謝る必要なんかないわよ! ……いえ、これからは人の身代わりになって攻撃受けるような馬鹿な真似、しないでちょうだい!!」
まろいラインを描く頬に触れた手。それを包んで支えてくれる、細くて小作りできれいな手。
――ああ、還って来たんだ、とフェイトは思った。
誰よりもきれいな少女の元に。どんな宝石よりも美しい涙のそばに。還ってくることができたんだ、と思った。
だから。
「……ありがとう」
だから、万感の想いを込めてそうささやく。ぼやけた視界の中にくっきりと浮かぶ少女の顔が、――泣き笑いにほころぶ。

絶色 [涙]

それはこれ以上ないほどに綺麗だと。見事だと。フェイトは――笑った。

―― End ――
2004/09/17執筆 2004/09/18UP
/ 恋愛に関する15のお題_so3フェイト×マリア_
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絶色 [涙]
[最終修正 - 2024/06/14-15:09]