ペターニに着いた。持ち回りのアイテム買い出し当番は今回マリアで、そんな彼女にフェイトが同行を申し出た。特に深く考えもせず、彼女はあっさり了解した。
うららかによく晴れた、爽やかな風の吹く日だった。
町になどたまにしか寄らないから、買い出しとなると自然かなりの量をまとめて買い込むことになる。フェイトが付いて来てくれて助かったと思いながら、マリアはよいしょと紙袋を抱え直した。袋の口まで目いっぱい――とまでは言わないが、かなりの量のアイテムが詰め込んである。もし袋を取り落としたり破れたりでもしたら、それなりに大惨事だ。
ともあれマリアの抱えている紙袋は、多少かさばっても軽いものしか入れていないけれど。
その他重いものは全部フェイトの抱えている袋の方に入れてあって、これにも助かったな、とマリアは思った。
「……ありがとう、フェイト。キミが付いてきてくれて助かったわ」
「お礼を言うのは僕の方だよ。デートの誘いに乗ってくれてさ」
マリアはぴたりと足を止めた。人の多い広場でいきなり障害物となった彼女に、少しだけまわりの人間が迷惑そうな顔をする。一歩先に進んで立ち止まって、不思議そうに振り返ったフェイトにマリアは堅い顔を向ける。
「……何?」
「いや、そう改まってツッコまれると反応に困るけど。
若い男女が二人きりで出かけて、あれこれ買い物したり散歩したりって、――デートって言うだろ?」
「……言わないわよ。というか今日のこれをそう言ってほしくないわ」
甘い夢を見ている自覚がありながら、マリアはそれでも今のこれを「デート」と認めたくない。それはもっとこう……色気のあるものであってほしい。こんな、何かの「ついで」をそれと呼びたくない。
だから唇を尖らせると、フェイトが小首を傾げた。
「相手が僕じゃ不服かい?」
「そうじゃなくて。
――目的が違うじゃない。今日のはあくまで「買い出し」が主目的でしょう。「二人で出かけること」は副どころか……別に私、キミ「だから」同行を承諾したわけじゃないし……。
だからこれは、そういうのじゃなくて。……とにかく、そういう風に言ってほしくないのよ」
うまく言えなくて焦っていると、フェイトがのんびりと逆の方向に首を傾げ直した。
「……そういうもんかな?」
「そういうものよ」
首をひねるフェイトともども、周囲の通行人の邪魔をしていることにようやく気付いて。マリアはとりあえず帰りましょう、と宿屋に向かおうとした。ら。
「……ちょっとフェイト、そこに立たれると邪魔なんだけど」
「うん、分かってる。デートじゃなくて――まあ呼び方はなんでも良いや。急ぎの用なんかないだろ? ちょっと一緒に来ないかい??」
「――どこへ」
宿とは反対方向、あまり治安のよろしくない町東部に向かおうとする青年に、マリアは半眼になる。声の冷たさを感じ取ったのだろう、フェイトがへらりと笑ってみせる。
「別に変なところじゃないよ。……むしろイイトコロ、かな」
――普段は爽やかな好青年のくせに、こういうときはとても胡散臭い。というかその言い方が、ものすごく胡散臭い。
とりあえずマリアは呆れの息を吐き出した。そうしてから、その表情のまま……爽やかに笑うフェイトの方へ仕方なく一歩踏み出す。
フェイトは意識しなくても女性に対して親切だ。並んで歩きながら、ふとマリアは思った。
コンパスが違うのは仕方がないとしても、クリフは元がいちいち大雑把なので、こちらから文句を言わないとそれに気付かない。アルベルは――あの自分本位な男にそんなことを期待するのは、最初から大間違いだと思う。しかし、フェイトの場合は多分、無意識に隣を歩く女性のペースに合わせている。特に急がなくても、フェイトと歩くときなら普通についていける。
「……誰かから、少しは聞いてると思うけど」
そうした思考が、フェイトのつぶやきでかき消える。
「何?」
「うん、この町にさ……一人の女の子がいて。身寄りを亡くした上身体が弱いのに、がんばって一人で生活してた。外見が僕の幼馴染にそっくりで、だから最初は勘違いして――彼女を困らせちゃったけど」
町の東部、西部に比べれば多少治安は悪そうではあるものの、実際に歩く分にはなんだか思っていたほど不衛生でも汚くもない。今は隣にフェイトがいるから、だろうか。前を見て穏やかに話している青年を見上げる。
「……ええ、聞いたわ。王都に幼馴染がいる話を聞いて、無理をして旅をして――元々身体が弱かったのもあって、亡くなった」
マリアの目には、ペターニとシランドはごく近い距離にある。けれど旅慣れない人間に、病弱な人間の目に、それはどれほど遠く映ることだろう。――それでもその距離を旅した彼女はそれだけ王都に行きたかったのだろうか。それほど幼馴染に会いたかったのだろうか。
「彼女の幼馴染の方はバンデーンの無差別攻撃が原因で。……あの時は腹が立ったよ。いろいろなものに腹を立てた」
「過去形?」
「――まあ、それなりに時間も経ったし。いろいろ経験して、僕も少しは成長できたかな」
西部に比べて道の幅が狭い。先ほどよりもフェイトとの距離が近い。それにマリアの心臓が跳ねて、しかしなんでもない風を装おうとして――、
「それでも、やっぱり簡単に忘れることじゃないし、忘れて良いことでもないし。だから……この町に来たときにはなるべくここに来るようにしてるんだ」
立ち止まった彼がふと身体の向きを変えた。今まで彼の身体が影になって見えなかったものが、不意にマリアの視界いっぱいに広がる。
「お参り、みたいなものかな。なるべくここに来るようにしてるんだ」
フェイトの言葉が耳に届いて、しかしマリアは何も返さない。
何も言えなかった。
――ただ息を呑んで、その小さな花畑に見入っていた。
「アミーナ……彼女は、花売りをしててさ。一生懸命花を育てて、それを売って生活してた。今は近所のおばさんが世話してくれてるみたいだ」
「……すごいわ」
それしか言葉が出てこない。
白や淡紅や赤や黄色、青、紫。大輪のものから小さなものまで、今を盛りに咲き誇る花々。広さはたいしたことがない。植えられている花も、アイテム回収であちこちをうろついたときの――ダグラスの森の最奥にあった、あの花畑には比べるべくもない。
けれど。それを植えた人間の、世話してきた人間の、世話を受け継いできた人間の愛情が――花に疎いマリアにさえ肌に感じられる。心に感じられる。
「きれい……」
「きっと、たくさんの人に見てもらえた方がアミーナも喜ぶと思って。でも……僕はケチだから、誰にでも教えたいとは思わないけど」
「……それは、ありがとう」
花壇の前にしゃがみこんで、マリアは花に手を伸ばした。風に吹かれて揺れている――なんという名前なのだろう、きれいな淡紅色の花。茎が細くて、葉まで針のように細くて。
「どうせ教えるなら、きれいだってちゃんと思ってくれる人じゃないと、とか思ってさ、」
マリアと同じようにその場にしゃがみこんで、フェイトが少しだけ言い淀む。それが少し気になりながら、しかしマリアの目は花に吸い付いて離れない。
「……実は、いろいろぐだぐだ考えすぎて、マリアが最初なんだ。僕がここを教えるのは。――隠してあるわけじゃないから、町の人たちとか知っている人多いと思うけどね」
「ありがとう。嬉しいわ」
優越感に小さく笑えば、フェイトがどこか居心地の悪そうな顔をした。伸ばした手に触れたオレンジの花を――多分照れ隠しに無造作に摘み取ろうとするのを、マリアが止める。
「……マリア?」
「摘まないで。……このままで、いいから」
「?」
驚きと疑問が半々の、きょとんとした顔。冒険生活もそれなりに続いて、最近はそこそこ精悍さを帯びてきた顔のフェイトは、しかしそういう表情を浮かべるとまだずいぶん幼く見える。マリアはさらにくすくすと笑う。
「――摘まないで。花はきれいだけど、摘んでしまったら実を結べないわ」
「あ、ああ……うん。そうだね」
ぱっと花から手を離したフェイトは――やはりなんだか居心地が悪そうだ。それを見て、マリアの口元の笑みは消えない。
……参ったな……。
本当は、先ほどの台詞は告白のつもりだったのに。こと恋愛ごとに関しては驚異的に疎いマリアに、それはまったく通じなかったようで。あわてて――花を髪にでもさして、きれいだよとかなんとか誉めようとしたのに、それも止められてしまった。
――仕方がない、か。
「……帰ろうか?」
「そうね」
二人して立ち上がって、そしてフェイトは内心大きく息を吐く。抱えたままの荷物にふと目を落とす。
これを宿に置きに行ったあとの方がよかっただろうか。でもそうするとクリフあたりに見つかりそうで、そうするとからかわれそうでそれはとてもウザったらしい。
ちらりと目をやれば、マリアはやさしい顔で再びじっと花々を見ていて。
……それが、この花を世話していた少女の、幼馴染とそっくりだった少女の――いつか見た、幼馴染とそっくりではないやさしい表情となんだか重なって、
「……マリア?」
懐かしさと淋しさと哀しさと、そういう感情につんとフェイトの鼻の奥が痛くなった。そう思った瞬間、不意にマリアの翠の目が揺れてフェイトは声を上げる。
「……あ、ら……?」
何、とフェイトに顔を向けようとしたマリアの頬を伝い落ちるもの。自由な片手で頬に触れて、マリアが驚いている。
どうやら自覚がなかったらしい。
「え……? 私、なんで……哀しいわけじゃ、ないのに。……どこか痛いわけでも、ない、のよ……??」
フェイトは脳内の情報を修正した。マリアが疎いのは恋愛方面に、ではなくてきっと自分の感情に、だ。喜怒哀楽の自分の感情に対して、きっと鈍いのだ。
――いや。
本当に疎いのは、自分かもしれない、と。フェイトはさらに訂正する。
ディオンが亡くなってアミーナが亡くなって、ほかにも知る知らないに関わらず、あの戦争でたくさん人が死んだ。フェイトが直接手にかけた人もいるし、バンデーンのやつらの無差別攻撃に巻き込まれた人もいる。
それはとても哀しいことで、フェイトの心は自覚している以上に傷を負っていて。しかし哀しみの涙を流すことができなくて、哀しみに、本当に哀しみに気付くことすらできなくて。……そんな自分の気持ちを無意識に感じ取ったマリアが、自分のかわりに泣いてくれたのかもしれない、と。
単なる思い付きだろうそれが、どうしようもなくいとおしくて、
「マリア、」
名前をつぶやいて、細い肩に手を置いて、
「もう、信じられない!! 何するのよキミは! いきなり!?」
「いやほら、荷物で手がふさがってたし……斬新な泣き落としかなと、」
「そんなはず、あるわけないでしょ!!!!」
ペターニの町を、一組の男女が歩いていく。女性の方は手ぶらで、ぷんぷん怒りながら噛み付くように先を歩いている。その後ろを歩く青年は、両手に荷物を抱えて女性に遅れまいと少し早足で。
女性の頬は怒りか恥じらいか真っ赤に染まっていて。青年の頬には痛々しい紅葉がひとつ、くっきりと浮かんでいて。
![哭泣 [泣き落とし]](10.png)
――唇で触れたマリアの頬の滑らかさを、思い出したフェイトがふと顔をくずした。自覚もなしにいきなり流れた涙に、予告もなしに唇を寄せられたマリアがさらに赤くなって回し蹴りを放った。
うららかによく晴れた、爽やかな風の吹く日だった。
