「おい、てめえ何してやがる」
彼は何の気なしに、細い背中に向かってそんな言葉を投げ付けた。数拍間があって、無視されたのかとむっとした時に、彼女が振り返る。腰までの髪がさらりと揺れる。
「……さあ? 何をしようとしていたのかしら」
「あぁ?」
わけが分からないことを言い出したのに顔をしかめれば、翠の瞳がふっと細くなった。
「何をしようとしていたのかしら」
「……阿呆」
いつもと違うやたらと存在感が希薄な姿に、うめく。

―― 寂寞 [私はもう寂しくないの]

ムーンベース。床も壁も知らない材質で作られた、空気までもがなんだか無個性で無機質でどこまでも人工的なもので埋め尽くされた町。
アルベルは何とはなしにその町をぶらついていた。
別に、目的があって探しものがあって歩いているわけではない。先ほどフェイトの父親とかいう男の研究室で何か信じられないことを知ったらしく、ひどくふさぎ込んでいたマリアを探してなど。避難施設に戻って一息ついて、そういやマリアどこ行ったなあ知ってるやついねえかと大騒ぎしだした金髪筋肉男の声に、思わず探しに出てきたなど。いつもどんな時でも強がっている、どこか危ういマリアが気にかかって仕方がないなど。
そんなわけではない。
そんなわけではないけれど――ぐるりと見回した視界のすみ、見覚えのある青を見付けて。アルベルの、苦虫をかみつぶしたような顔がかすかに緩んだ。ことに。――本人は気が付かない。

マリアは。代弁者の襲撃でだろう、途中で砕けて途切れた通路、ぎりぎりのところに立っていた。
高い位置に走るそこから一歩踏み出せば、数秒の空中遊泳のあと下にある別の通路に身体を叩き付けることになって、死ぬだろう。……いや。アルベルは少し考え直す。ひょっとしたら死なないのかもしれない。マリアがどうとかではなくて、「この世界」はアルベルにはわけの分からないことが満載だから。何かそういう仕掛けがしてあるのかもしれない。
しかし。どこか虚ろな雰囲気が、細いだけの頼りない背中が。いつもの凛とした空気を捨て去った、弱く脆いだけの女が。
……妙な不安を抱かせる。
だから。
「おい、てめえ何してやがる」
彼は何の気なしに、細い背中に向かってそんな言葉を投げ付けた。数拍間があって、無視されたのかとむっとした時に、彼女が振り返る。腰までの髪がさらりと揺れる。
「……さあ? 何をしようとしていたのかしら」
「あぁ?」
わけが分からないことを言い出したのに顔をしかめれば、翠の瞳がふっと細くなった。
「何をしようとしていたのかしら」
「……阿呆」
いつもと違うやたらと存在感が希薄な姿に、うめく。

「キミは……どうしたの? 避難施設の中じゃ息でも詰まったとか」
マリアの口の端がふとほころんだ。
整った顔立ちに浮かぶそれはとても美しい。たとえばアーリグリフの貴族の娘では、なまじな姫君では遠く及ばない、美しい笑顔だとアルベルは思う。口に出して素直に賞賛できる彼ではないが、無骨な彼にすらそう思わせる――静かな美しい笑顔は、
しかしいつものそれとはまるで趣が違う。
「……てめえ、そんなとこで何してやがった。こっちに来い」
美しいはずの笑顔がひどく不安を煽って、アルベルは彼女の言葉を無視するようにうめいた。右手に持っていた刀の鞘で床をがつんとやる。無人の町を占める、耳が痛いほどの静寂を――硬質な音が斬り裂く。
浮かんでいた笑顔が瞬時に消えて、怒りの色はなく――マリアは無表情になった。
「――命令しないで」
緩慢に瞬く瞳に光が消えて、まるで等身大の精巧な人形を相手にしているような気がした。もしくは、実体のない幻を相手にしているような。いつもは相手を威圧さえするような存在感が、今のマリアにはどこを探しても見つからなくて、
「……なんだ……?」
アルベルには、わけが分からない。

◇◆◇◆◇◆

話はそれで終わりというつもりなのか、マリアがふいと視線を逸らした。先ほどまでと同じように、今にも崩れそうな砕けた通路に立って虚ろな目でぼんやりと――アルベルには見えない何かを見つめる。
元々短気なアルベルは、それを目にしてかっとなった。
自分の存在を無視されたことに対してか、弱々しい彼女に対してか、マリアを――マリアだけではないアルベル以外のパーティメンバー全員を打ちのめした「事実」に対してか。……ひょっとしたら彼一人事態に丸きり付いていけない、そんな焦りや不安や苛立ちからかもしれない。
得体の知れない何かに衝き動かされて。足音も気配も殺して歩を進めると、華奢な身体を有無を言わさず掻っ攫う。いきなりの事態に一瞬きょとんとするマリアが我に返るころには、その足元の床からは亀裂もひび割れもなくなっていて。暴れもがく彼女を、掻っ攫った勢いそのまま手近な壁に――押さえ付けて逃げられないようにする。
「……、な、……っ離し……!」
笑えるくらいに儚い抵抗。力の加減を間違えたなら、折れてしまいそうな華奢な身体。真っ赤になって暴れて――アルベルが知るいつものマリアに少しだけ近くなった。

「答えろ。てめえ何してやがった? 何をするつもりだったんだ」
「……っ」
三回目の同じ言葉に、しかしマリアはやはり答えない。耳まで赤くして唇を噛んで、翠の瞳がそっぽを向く。
「おい」
「……ぁ、」
手にちょっと力を込めただけで、きれいなアーチを描く細い眉が寄った。痛みにだろう息が荒くなって逃れようとする動きはますます活発になって、しかしそれはアルベルにとってどこまでも無意味で。
「離しなさい……!」
「てめえが答えるのが先だ」
いっそキスでもしようかという間近い距離、どこまでも悔しそうな顔。アルベルは酷薄に笑ってみせる。
「この世の不幸を一身に背負ったようなツラしやがって、悲劇の主人公気取りか? 阿呆が。てめえに味方するやつはこの世に一人もいねえとでも言うつもりかよ」
きしり、軋む音はどこから上がったのだろう。彼女の身に付けたプロテクタと壁がこすれ合った音か、ねじり上げられたマリアの腕の悲鳴か、噛み締められたその奥歯からか。
「答えろ。……間違ってるのは俺か?」
至近距離の翠に、いつもの力強さが戻ってくる。

「……分かってるわよ」
アルベルはゆっくりと腕から力を抜いていく。見た目だけ形だけ、相変わらず壁に縫い付けられたマリアがきつい目で長身の彼を見上げる。
「分かっているわよ。悪いのは私、間違っているのは……子供っぽくすねているのは私だわ。
死ぬつもりなんかないくせに、自殺の真似をしてそのそぶりを見せて、誰かに心配してもらおうとした私は、――最低よ」
虚ろだった瞳に光が戻る、希薄だった存在感が増す。先ほどまでのマリアとはまるで別人のように、無駄な抵抗を止めてぎっとアルベルをねめつける。
「――……キミは、事態を分かっているのかしら」
「いいや。……別にんなもん知らなくても戦えるしな」
形だけマリアに覆い被さったアルベルは、そのまま器用に肩をすくめてみせた。開き直るアルベルに目を細めて、マリアも口の端を上げる。
「単純で分かりやすいわね」
「誉め言葉だな」
――理由も状況も大して関係がない、ただ強い敵と戦えるならそれでいい。
「……てめえも単純に考えてみろ。小難しい理屈こねて、どうにもならねえ状況に勝手に絶望してるんじゃねえよ、阿呆」
「そうできたなら、楽でしょうね」
「そうしろと言っているんだ」
覆い被さるアルベルを、その胸板をマリアが押した。そうして彼を押し退けながら、まったくいつもどおりの強気な目が――笑う。その笑みの理由が分からなくて、まあかまわないかと。
アルベルもにやりと片頬を緩めてみせる。

◇◆◇◆◇◆

彼の目に、鮮やかな青がさらりと流れている。先ほど虚ろなマリアがたたずんでいた、壊れた通路は振り返ったところでもう見えない。すっかりいつものマリアが颯爽と通路を行き、アルベルはだらだらとその後に続く。
互いに特に言葉はなく、しかしその沈黙はどこか心地良くて。なぜか上機嫌な自分を、アルベルが自覚することはなくて。
「――お礼を、言っておくわ」
「あ?」
角を曲がれば避難施設が見える、そんなあたりまで来た時に細い背中が言った。意味が分からないアルベルが怪訝そうに瞬くと、背中越しに振り返った翠が一瞬ちらりと笑って、また前を向く。
「悩んでいるのが馬鹿らしくなったの。そんな風に思えたのは、きっとキミがいたから。だからお礼を」
「……阿呆」
素直な言葉が――なんとなく失礼だとは思うけれど。それ以上にこそばゆくて居心地が悪くて、背中すら見るのが気恥ずかしくてアルベルはそっぽを向いた。いつものように毒づけば、風に流れるくすくすという笑い声。

「一体、何があんなにショックだったのかしら」
「知るか」
角を曲がる。視界が開ける。
「それこそ世界に一人きりの気がして、すごく不安だったのよ?」
「……それで自分から誰もいないとこに行ってりゃ世話ねえな」
「まったくね」
檻の中の熊よろしく、うろうろとそこらを歩き回っては落ち着きなくきょろきょろしていた金髪筋肉男が、ものすごい勢いで近付いてくる。駆け寄って来た養父に呆れたマリアがきついことを言って、芝居よりも大袈裟に頑丈な肩が落ちる。
間抜けな姿に、アルベルは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
――何か達成感めいた気分にどこか浮かれていることには、結局気付かなかった。

―― End ――
2004/10/01UP
私はもう寂しくないの / 創作さんに15のお題_so3アルベル×マリア_
OFP
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寂寞 [私はもう寂しくないの]
[最終修正 - 2024/06/14-15:14]