後方で守られるだけの、ただのそんな「姫」だったならきっと悩む必要はなかった。
でも、少なくとも私はそうじゃない。そうなりたくない。安全なところに隠れてただ震えているだけなんて、真っ平ごめんだわ。そんな自分なんて、誰よりも私自身が許せない。
「フェイト、その「歪のアルベル」ってどんな人間なの? アーリグリフ王の話では、かなりの手練みたいだけど」
大陸南部、アーリグリフ。真っ白な吐息を眺めるように、やや目を伏せてマリアが訊ねた。訊ねられたフェイトはうーん、と上目遣いに考え込んで、その間にも脚は動いて。さくさくと雪を踏む音だけが続く。
「――口じゃうまく説明できないな。事前にあれこれ聞くんじゃなくて、実際会ってみた方が早いしきっと分かると思うよ」
「そうそう。……第一あれこれ説明できるほど、オレらもヤツと親しいわけじゃねえし。ネルに至っては――いまだに憎んでるんじゃねえか? いまだに、ってよりも、つい最近までドンパチやってた仲だしな」
「……そう」
雪を踏むさくさくきゅりきゅりという音だけが続く。降り続く雪が肩に薄く積もって、そっと払いのけたらふるりと身体が揺れた。
「……チッ」
「おいおい無理すんなよ今の今までとっ捕まってたんだからよ」
「うるせえクソ虫がっ! 親切めかして腹ん中で笑ってんじゃねえ、バレバレなんだよ!!」
石壁に繋ぎ止められていた男は呆れるほど軽装だった。そして、やたらと細い。――からかいの種を見つけたクリフが面白がってそばにいる、その比較対象のせいかもしれないが。
つくづく男に厳しいフェイトは、さあとっとと行こうとすでに階段に姿を消していて。突き刺すような視線を残して、珍しく嫌悪をあらわにしたネルもフェイトのあとを追って姿を消していて。適当にからかって気が済んだのか、ややあってクリフもいなくなって。
ぶつぶつと文句を言いながら手早く装備を身に付けるアルベルと、そんな彼にあれこれ言っては噛み付かれているウォルター老と、そしてマリアだけがそこに残って。
変な色合いの髪は長く、比較対象がいなくなってもやはり細い長身。薄暗いランプの明かりでは確証はないけれど、多分端正な顔立ち。突き刺すように鋭い、切れ長の瞳は真紅。軽鎧に、武器は左腕に鉄爪、あとはウォルターが先ほど壁に立てかけた刀。その物腰は――触れたら斬れそうなほど、鋭い刃。鋭いけれど、折れやすい細身の刃。
ひとしきり観察して、マリアも階段に向かった。男が装備を身につける、乱暴に鉄のぶつかるがちゃがちゃいう音が、その反響が彼女の耳に残る。
変な、男。
――それが第一印象だった。
石を積み上げて作られた、暗く狭い階段を登りながらマリアは思う。外見はこの際どうでもいい。ただ、口が悪いのはよく分かった。多分牢に捕らわれていただけではないすさんだ雰囲気から、周囲が三軍の長として扱っていなければ、そこいらのちんぴらと間違えていたかもしれない。
自己中心的で、我が道を行くタイプ。得意とする分野では、たぶん並みよりもはるか上。あの男の場合は――多分戦闘。
「アルベル・ノックス……「歪のアルベル」……ね。お手並み拝見といこうじゃない」
つぶやきは石壁に反射して、すぐに消えていく。
「――あァ? てめえもこいつらに同行してんのか」
「……ええ。キミと会うのははじめてだけど、しばらく前からこのパーティにいるわ。
マリア・トレイターよ」
「……フン」
そうしてアイテムを揃えたりなんだりして。街を出る段になってようやくマリアの存在に気付いたらしい、アルベルは彼女が差し出した手をわざとらしく無視する。そっぽを向く彼にうすうす予測していた彼女は、さりげなく手を引っ込めると嫣然と微笑んでみせた。
「よろしく」
「……」
ちらりと向いた真紅に浮かんでいた表情に、笑みを崩さない。
「ハジメマシテ」の挨拶は、そんな感じで。そして一行はそのままバール山脈に入った。
想像していたよりもさすがに強い、とマリアは思う。
基本は正式に習ったらしいきれいなもの、そのあと我流で磨いたのだろう、時に変則的な動きをする。刀使いとなると当然近距離戦が主力だが、闘気を練って放つ技で、中距離くらいの敵ならば攻撃できる。
けれど。
「……防御にやや難あり、ね。大丈夫? さっき派手に攻撃食らっていたけど」
「余計な世話だ……っ」
むき出しの腹に牙を受けて、苦しそうに息をしながらも強がっている。そんなアルベルにマリアは息を吐くと、ぐるりと周囲を見渡して、結局そのそばにしゃがみこんだ。
先ほど数匹のドラゴンと対峙して。多少時間はかけたものの、何とか勝利して。
付き合いが長いクリフとフェイト、ネルの三人がなんだかかたまって治療している。射程距離ぎりぎりから攻撃していたため、マリアの体力は満タンに近い。
「……貸しなさい」
傷口に包帯を巻こうとしているらしいのに、何しろ左腕のガントレットを外さないものだから動きが鈍いアルベルを見ていて焦れた。言うが早いかぐちゃぐちゃになっている包帯を取り上げて、マリアは傷口に当てたガーゼが動かないように包帯を巻きはじめる。
ひょっとして無理にも彼女を振り払うかと思ったアルベルは、意外にもそのままで、
「――てめえ、なに考えてやがる……?」
「何が」
「人のことモノみてえに観察していたよな。さっきの戦闘の時も、まるで俺を試すようにほとんど動かなかった。
――ふざけた真似すると、その首へし折るぞ」
「あら、怖いわね」
喉の奥で唸るアルベルに、にこりと微笑んでみせる。何しろ至近距離だ。もしもアルベルが言葉どおりのことをしようとすれば、避ける間はない。
分かっていて、しかしマリアは動じない。
「……できたわ。きつかったりしないかしら」
「フン」
端正な顔が鼻で笑って――そしてマリアの視界がぶれた。
「……?」
「脅しかと思ったか? てめえ程度のクソ虫、片手が動きゃ十分だ。
……答えろ。てめえはなに企んでやがる」
伸びた右腕に捕らえられたマリアの首。息が苦しくて、しかし痛くはない程度に締め上げられる。吐き気がこみ上げて、マリアは眉を寄せる。
「てめえ程度の小娘が、何をどう考えてんな偉そうにしてやがるんだ」
「……小娘、ね……」
「答えろ」
想像していたよりも短気だな、とこの期におよんでそんなことを考えながら、マリアは口の端を持ち上げてみせる。喉を絞める手に力が入って、ぐらぐらする。
「……久々に聞いたわ。「小娘」だなんて」
「――てめえ、本気で首の骨折るぞ」
「凄まないでよ、怖いわね」
位置の関係で、クリフたちには見えていない。ちらりと確認して、マリアは微笑んだ。
「気に障ったなら悪かったわ。職業柄どうも他人を観察するくせがあって、」
「……質問に、答えろ」
低い声、危険な響き。気道が完全に絞められたのか、一気に苦しくなる。耳元がどきどきいう。思考がまとまらなくなって視界に赤い斑点が生まれて広がって、少しまずいかも、などと悠長に思った。
――恐怖や絶望や、そんなものは浮かんでこない。
「……何も、考えて、いないわ……。キミの、実力を、知って……外見性格、趣味思考、そんなものを把握したい、それだけ……よ……」
不意に手が緩む。呼吸が楽になって、肩で息をしながら男を見やる。
「私は……リーダー、やってきたから……ダメね、はじめて会った相手の能力を、どうしても把握したいの。仲間か味方か敵か。私の指揮一つで人が死ぬこともある」
荒い息はまだ収まらない。不機嫌に顔をしかめる、その頬に手を伸ばす。
「後方で守られるだけの、ただのそんな「姫」だったならきっと悩む必要はなかった。
でも、少なくとも私はそうじゃない。そうなりたくない。安全なところに隠れてただ震えているだけなんて、真っ平ごめんだわ。そんな自分なんて、誰よりも私自身が許せない。
だから銃を取って立ち上がって……背中を預けて良い相手なのか、どうしても知りたいの」
にこり、いつものように不適に微笑むことができただろうか。
「私は、確かに小娘よ。非力で若い、そんな私がリーダーを務めようだなんて、無理があるわ。今まで何とかなったのは、クリフたちのサポートがあったから。それは分かっている。
――分かっているから、背中を預けて良い相手なのか、そういう見極めだけは私の力でやりたい」
最初にクォークのリーダーになったとき、クォークリーダーとしてある会合に出席したとき。投げ付けられた台詞も「小娘が」だった。脇にいたクリフが、自分の後継者だと胸を張って宣言したからその相手は引き下がったものの。その視線は和らぐことなく、風当たりも相当強かった。
周囲に無駄な苦労をかけているな、という自覚はある。
マリアは、だから笑う。どこまでも不敵に、間違ったことなど何もしていないと、――笑う。
「……キミを不快にさせたことは謝るわ。きっとそうだろうと思いながら、でも隠さなかったのも悪かったと思っている。全部こちらの都合だし、キミには不快なだけでしょう。
――思ったよりも強くて、驚いたのは事実よ」
「――てめえも、細っこいだけの足手まといじゃねえな」
「ありがとう」
首元の手が離れた。力が出なくて支えがなくなって、へたりこみそうになるのをアルベルが支えた。その腕の力強さに、この男になら背を預けても良いと、改めて思った。
「よろしく、アルベル。クロセルに協力を認めさせるまで、協力を頼むわ」
「……殊勝なのは口先だけだろうが。クソ虫が。一応認めてやるが、足手まといになったら斬り捨てるからな」
「怖いこと言うもんじゃないわよ」
――早く昔になればいい。
――こんな可愛気のない自分など、早く消えうせてしまえばいい。
思いながら、マリアは微笑んだ。
ただ微笑んで、みせた。
