最近よく感じる視線がある。包み込むようないとおしむような、ただひたすらに穏やかで優しい視線。今まで彼に向けられたことは――ないとは言わないもののここ数年は確実になかった、そんな居心地の悪い視線。
けれど、確かに鬱陶しい反面どこかくすぐったくて何か嬉しくて。
嬉しいと思う自分が、何より救えないと思う。
その日。アルベルはサーフェリオ村長宅のベッドで腐っていた。
ファイアーウォールにまで乗り込んだものの、アルベルが例によって戦闘で無茶をして大怪我を負った。ちょうどいい機会だからこのへんでちょっと息抜きしようか無理して全滅しても元も子もないし、とくたばったアルベルを前にパーティリーダーが引き上げ命令を出して。回復アイテムはあるくせにそれは使われないまま、ここに担ぎ込まれたのが二日前の夕刻。……だったらしい。
実は冗談ではなく生命に関わる大怪我だったために、担ぎ込まれてから昨日の昼あたりまで、アルベルは昏睡状態にあっておかげでそのへんの記憶がない。くどいようだが回復アイテムはあったのだ。が、結局それは今もアイテム袋の奥底に眠っている。
パーティリーダーの女尊男卑ぶりが身にしみる。
それでもとりあえずこうして意識を取り戻して、だいぶ元気になったアルベルは。ただひたすら退屈をもてあましていた。
「アルベル、調子は?」
「……適当なベリィよこせ。飽きた」
「それがね、回復系アイテムはぜーんぶフェイトが持ち歩いているのよ。山ほど持っているのがなんでかバレているらしくて、店に行っても売ってもらえないし」
看病するつもりなのか、枕元に椅子を引きずって来たマリアがひょいと肩をすくめた。アルベルはがっくりと脱力する。無駄に抜け目のないパーティリーダーを、できることならぶちのめしたい。今すぐに。
――というか、こういうことには無意味に不器用なマリアに、正直なところあまり付いていてほしくないのだが。どんな失敗をするか、いつそのとばっちりをくうか分からないから。
渋い顔をする彼に、まったく気付いていない様子でマリアが猫のように小首を傾げた。そうしてから、ふと思い付いたように人差し指をぴっと立てる。
「――ねえアルベル、最近アイテムとかソフィアの紋章術とかに頼りっきりでしょう。問題よ? 下手に無茶する癖なんか付けたら、この闘いが終わったあとどうするつもりよ」
「……あるもん使ってるだけだろ。なけりゃ使わないだけじゃねえか」
「無茶をするなって言いたいんだけど」
「うるせ」
はあ、と息を吐いたマリアがアルベルの胸元、袈裟懸けの傷を覆った包帯に遠慮がちに触れた。いくら元気そうにしていても怪我人は怪我人、アイテムも術もなしにたった二日やそこらで、死にかけたほどの大傷が完治するはずがない。
そうでなかったら、文句を言う前にベッドから逃げている。
アルベルはぼんやりと、こんなことなら回復呪文を覚えときゃよかったかもな、と思った。少し後悔していた。ここにいるのがソフィアなら、脅してでも回復呪文をかけさせるのに、マリアは彼同様癒しの術を知らないはずだ。
攻撃呪文はいくつか扱っていたような気がするけれど。
しかし、暇だ。やることがない。ガントレットと刀と、あとは鎧の手入れをしようにも、まだまだ傷が深くて起き上がれないし。それとも何か薬でも盛られているのかもしれない。手足の末端部分の感覚がひどく遠い。
マリアは懐から小さな機械を取り出すとそれをいじくっている。
――ひょっとしたら、目を離したら脱走をはかると思われて、見張りのためにここにいるのかもしれない。確かにたとえ今動けたとして、パーティ中マリアだけは敵に回したくない――九割方殺しておいて、それを「手加減したからちゃんと生きているでしょう」と言い切る女だけは敵に回したくない。
とりあえず、あまりに暇だったのでアルベルは世間話を向けてみることにした。あくびをかみ殺している姿からして、退屈しているのは彼女も同じようだったから。
「……他のやつらは何してるんだ」
機械を操作する手が止まって、かすかに首を傾げてからばっとアルベルを射抜く翠。よもやアルベルが世間話をするとは夢にも思っていなかったのか。……確かに、こんな状況でなかったら、絶対に口にしないことではあるけれど。
「――え、ええと……フェイトはさっき散歩してたわね。クリフとミラージュは村のすみで手合わせしてるわ。ソフィアは……声聞こえてるから分かると思うけど、村長の長話に捕まっているわね。アドレーはさっき村の子供たち集めて何かやってたのを見たわ」
「……暇だ……」
「まったくね」
知らずため息が重なった。
穏やかな時間など望んでいない。常に戦場にあって、血で血を洗う殺伐とした空気の方が彼に合っている。むずがゆいほど穏やかな、かすかに人の声が聞こえたり潮騒の音が聞こえたり、野を渡る風の音が聞こえたり、――そんな静かなざわめきの中に、彼の居場所はない。
そう思う。
そのまま沈黙が続いて。二回ほどマリアがアルベルに飲みものをすすめて、軽く水分補給をして。
ふとアルベルが半眼になった。
「……変な目で見てんじゃねえよ。んなに珍しいか」
「――え? ……ええ、まあ……珍しいし面白いし、不思議な感じがするわね。キミがベッドにへたばっているなんて」
「うるせえよ……」
口ではそう言いながら、決して面白がっているわけではない穏やかな目線。包み込むようないとおしむような、そんな優しい視線。
翠には常に穏やかな笑みが映っていて。
今まで彼に向けられたことは――ないとは言わないもののここ数年は確実になかった、そんな居心地の悪い視線に。ひょっとしたら時々向けられていて、しかし彼に気付くだけの余裕がなかっただけかもしれない目線に。
鬱陶しい反面どこかくすぐったくいものを感じて何か嬉しくて。
――居心地が悪くなったアルベルは、頭から上掛けをかぶるとそんなマリアに、マリアの目に身体ごとそっぽを向いた。
くすぐったくてこそばゆくて、落ち着かない。
そのままいつの間にかうとうとしていたらしい。
アルベルがふと目を醒ますと、部屋には薄闇の紗がかかっていた。近付く気配に顔を向ければ、何かが乗った盆を危なっかしく支えながらマリアが歩いてくる。
「夕飯もらってきたわ。食べるでしょう?」
「まずそれをどこかに落ち着けろ阿呆」
このまま話していると、いつか頭から盆の中身を引っかぶりそうでそれはいやだ。
渋い顔をしてアルベルが言うと、真面目くさった顔をしたマリアが盆をサイドテーブルに置いた。動かなかったはずなのにそういえば数日ものを飲み食いした記憶がなくて、漂い来たにおいにアルベルの胃が元気にがなり立てる。
「私の分も一緒に持って来たの……と、暗いわね、明かりつけるから」
丸いパンと野菜たっぷりのホワイトシチューとサラダ。
においにつられて起き上がって、そういえばとためしに右肩を回してみると鈍く痛む。顔をしかめたアルベルは、もうしばらくくたばっていないとだめなのかとげんなりした。今日はまだ寝ていられたものの、そろそろ寝飽きた。そもそも、何事であれ強要されるのが嫌いなのだ。いらいらする。
重い息をひとつ吐いたとき、明るいものが近付いて。こわごわランプを手にしたマリアの、その手つきの危なっかしさにアルベルは再び頬を引きつらせた。
「……どうもランプって慣れないのよね……熱いし」
「持つとこ間違ってんじゃねえのか阿呆」
「あほだなんてひどいわね。……でも、どうなのかしら。
フェイトがアイテム袋持ち歩いてさえいなければ、あれにライト入れてあるのに」
サイドテーブルに落ち着いたランプ。明かりがともればその分闇が濃くなって、ゆらゆらと炎が揺れるたび踊るように影が揺れる。
においで思い出した空腹は、一口食べたらもう止まらない。どちらかというと薄味に淡白に味付けがしてあってもの足りないといえばそうだったものの、味よりもむしろ今のアルベルに重要なのは胃袋を満たすことで。息もつかさずかき込む。咀嚼して飲み下す。
そうしてだいぶ落ち着いたころに、ふと視線を感じて。
何気なく目を向ければ、マナーにのっとって上品に食べていたマリアがにこりと微笑む。
「さっきフェイトを論破してブルーベリーもらってきたわ。食後にでも食べて、一晩寝れば動けるようになるんじゃないかしら」
そう言って懐から取り出した濃い紫の小さな木の実。
「骨休めをするって言っても、こんなところで自由行動になってやることなんて、たかが知れてるじゃない。ペターニあたりに行かなきゃ、ほしいアイテムも手に入らないわ」
言う間にも食べ終わったので、黙って手を差し出せば静かに置かれるそれ。躊躇もせずに取り上げてほとんど丸呑みすれば、甘酸っぱさと同時に何かが広がって、身体が軽くなる。
「……礼を言ってやる」
「偉そうね」
呆れて肩をすくめる、その雰囲気すらなぜかやわらかい。
最近よく感じる視線がある。包み込むようないとおしむような、ただひたすらに穏やかで優しい視線。今まで彼に向けられたことは――ないとは言わないもののここ数年は確実になかった、そんな居心地の悪い視線。
けれど、確かに鬱陶しい反面どこかくすぐったくて何か嬉しくて。
嬉しいと思う自分が、何より救えないと思う。
「今日はもう寝なさい。眠れなくても、このまま横になっていて。明日には、完全回復しないにしても動けるようになっているんでしょう? そうなったら改めてフェイトを説得すれば良いわ」
包み込むような懐の広い笑み。いつもの気の強さはそこにあるのに、まるで、まるで――まるで、母親のような感じがする。親が子を見るような、そんな優しさを感じる。
ふと気付けば文句は山ほどあったけれど、怒るのは大人気ないと思ったのでやめた。少なくとも好意だ。疲れたりいらだったりする、むき出しだったり巧妙に隠されていたりする「悪意」とは違う。
アルベルはひとつ息を吐いて、言葉どおりベッドに逆戻りをした。
夢うつつに、細い指が彼の髪を優しく梳いたのを、感じたような気がした。
