一度だって万人に好かれようと、好かれたいと思ったことはない。むしろ意識して傍若無人な台詞を吐いて振る舞いをして、そうして嫌われ憎まれ生きてきた。今さらそれを後悔するつもりはないし、これから先もそれを改めることはないと思う。
自分にとってどうでも良い人間など、はじめから近付いて来なければいい。
――そう考えることがヒトとして何か欠けているならば、きっとそのとおりなのだと、思う。
それでも。そんな自分をそんな性格を、今さら直そうとは思わない。
何かに呼ばれた気がして。かたく閉じていた真紅がいきなり見開くと、がばりと勢いよく起き上がった。
「…………ぁ……っ……!!」
「き、ゃ……あ、アルベル。大丈夫……?」
見開いた目は何も映していない。虚ろな目をいっぱいに見開いて肩で荒い息をつくアルベルは、ふと伸ばされた白い腕にぎょっとした顔をすると――その相手をまじまじと見て、その細い身体を乱暴に抱き寄せた。さすがに一瞬強張った身体から、しかしすぐに緊張が抜けて――細い指でゆっくりと髪が梳かれていることに、ややあってから――気が付く。
抱き締める腕に入る力が抜けたことに気付いたのだろう。翠の瞳が瞬いて、苦笑めいた穏やかな顔が彼に向けられた。
「……おはよう、アルベル。嫌な夢でも見たのかしら、うなされたから声かけたんだけど」
「――――……なんでもねえよ」
華奢な身体を抱きつぶさないように、しかししっかりと抱き締め直す。説得力のない否定の言葉にくすりと息を漏らして、細い腕が抱擁に応えて彼の背に回った。
赤と黒と。圧迫感を伴う強い色の印象が強い空間、左腕が燃え上がったときの感触、誰よりも敬愛していた父が業火に呑まれたのを目にした瞬間の恐怖。半狂乱で振り回した腕はいつの間にか得物を握っていて、そして――、
なだめるようにゆっくりと背を叩かれて、アルベルは真紅の瞳をゆっくりと瞬いた。記憶が飛んでいる。いつの間にかマリアを抱き締めていることはともかく――大体、ここがどこだか分からない。
疑問が顔に出ていたのか、マリアが彼の胸に手をついて少しだけ距離を取った。
「シランド城の客間よ。体調悪いのに無理するから……って言いたいところだけど、多分この前の私の風邪がうつったんだと思うわ。ごめんなさい」
「……あ?」
「覚えてない? カナンにセフィラ取りに行こうとして、入口はいってすぐくらいで――」
「…………ちっ」
言われたあたりを思い返して、そういえばやたらと重い頭と鈍痛から、壁にもたれかかったあたりで意識が途切れていることに気が付いた。面白くなさそうに舌打ちしたアルベルは、マリアを抱えたまま背後に倒れ込む。スプリングの効いたベッドはぼふりと鈍い音を上げて二人を受け止めて、視界が回ったことに驚いたマリアが激しく目を瞬いている。
「……ええと、他のみんなはあなたの回復待ちってことで自由行動中よ。多分工房あたりに行けば誰かしらつかまると思うけど」
んなこたどうでもいい、と言うかわりに。むっつりと黙り込んだアルベルが腕に力を込めて、抱きすくめられたマリアの声がふつりと途切れた。
かなり前にフェイトが風邪を引いた。治りかけたので別の町に移動しようとしたら、今度はソフィアが倒れた。そんな感じでパーティメンバーに順ぐりに風邪がうつっていって、アルベルとクリフだけはずっとぴんぴんしていたのだが。
鍛えているからとたかが風邪ごときと、タカをくくっていたのがまずかったらしい。
「熱がまだ高いから、ゆっくり寝てて。……食欲はある? 薬もらってきたけど、何か胃に入れないと飲めないし」
先ほどに比べてほんのりと頬を染めたマリアが、そう言いながらもがいた。離れてほしくないと思ったのは多分発熱のために気が弱くなっているからかと、そんな風に自己分析しながらアルベルは手から力を抜く。
やわらかくて抱き心地のいい華奢な温もりが離れて、もったいない気持ちと淋しさがこみ上げてきて、そう思ったことがなんだか悔しい。
「――さっき厨房にスープか何か消化いいものをって頼んだの。それ持ってくるから」
ずっとそばにいてほしい、などと甘ったれたことを思っても、口に出すことは意地でも嫌で。アルベルはただうなずいた。
「汗かいたでしょう? かえの服、ここに置いておくわね」
優しく笑ったマリアが身を翻して、青い髪が残像になってアルベルの目に残る。
のそのそと着替えて、そういえばガントレットなどが外されていることに気が付いて。――熱の回った頭はものを考えることを拒否して、なんだかやたらと重い身体をベッドにもぐりこませた。
風邪を引いた、熱を出していると指摘されたら、なんだか症状が重くなったような気がする。――そんなことを思いながら目を閉じて、彼の意識はあっさりと闇に呑まれた。
赤と黒と。圧迫感を伴う強い色の印象が強い空間、左腕が燃え上がったときの感触、誰よりも敬愛していた父が業火に呑まれたのを目にした瞬間の恐怖。半狂乱で振り回した腕はいつの間にか得物を握っていて、そして――、
先ほど見た夢が、目覚めた瞬間忘れた夢が再び展開する。
恐怖に圧されて刀を鉄爪を振るった。周囲がまともに見えないおかげで空しか掻かなかったそれが、いきなり何かの手ごたえを伝えて。してやったりと歪んだ笑みを浮かべた彼は、しかし――凍りつく。周囲の赤よりもなお色の濃い鮮血と共にその場に崩れ落ちたのは、青く長い髪を広げて、壊れた人形のように地に崩れ落ちたのは、
硝子のような薄っぺらな翠の瞳を見開いて、動きを失ったそれは、
それは、――……、
かたく閉じていた真紅がいきなり見開くと、がばりと勢いよく起き上がった。
「…………ぁ……っ……!!」
見開いた目は何も映していない。虚ろな目をいっぱいに見開いて肩で荒い息をつくアルベルは、ふと周囲を見渡して、
「……アルベル……?」
サイドテーブルから離れて、彼の顔をのぞき込んでくる顔をまじまじと見つめる。かすかに震える腕がゆっくりと伸びて、再び彼女をベッドに引っ張り込む。
「怖い夢でも見たの? 大丈夫よ、――もう大丈夫、だから……」
さすがに一瞬見開いた目が、しかしすぐにやさしくなって――いまだ荒い息をつきながらただ無言でうつむく彼の背に、なだめるようにゆっくり回る細い腕。
「……マリア……っ」
「ええ。……私はここにいるから、怯えないで。ね……?」
抱き締めた身体は脆く儚く、けれど確かにあたたかくて、何より生きている証に確かに鼓動を打っていた。とくとくと規則正しい小さな音に、夢に囚われていたアルベルの意識が現実に戻ってくる。
「お、前……生きて、る、よな……」
「勝手に殺さないで。――オーナーを倒すまでは絶対に死ねないし、倒したあとだって死ぬまで生きてやるわ。だから、怯える必要なんかないわ」
「――……お前、は……、俺が、怖くねえのか……??」
熱に浮かされた頭は、ずっと抱いていた不安を――するりと言葉にしていた。口に出した瞬間混乱が収まってはっと我に返って、しかしどうすることもできるはずがなくて、アルベルはぎしりと奥歯を噛みしめる。
一度だって万人に好かれようと、好かれたいと思ったことはない。むしろ意識して傍若無人な台詞を吐いて振る舞いをして、そうして嫌われ憎まれ生きてきた。今さらそれを後悔するつもりはないし、これから先もそれを改めることはないと思う。
自分にとってどうでも良い人間など、はじめから近付いて来なければいい。
――そう考えることがヒトとして何か欠けているならば、きっとそのとおりなのだと、思う。
それでも。そんな自分をそんな性格を、今さら直そうとは思わない。
思わない、ものの。――好かれている相手からはプラスの感情を向けられたいと、そんなエゴが心の奥底にあって。
利己的な心に歯噛みする、その情けなさに歯噛みする彼の耳に、くすくすと明るい笑い声が聞こえた。
「怖いって……熱に浮かされて悪い夢を見て、怯えてしがみついてきたあなたを怖がれって言うの? 無理言わないでよ」
「……ぁ……?」
機嫌良く笑うマリアが、思わず腕から力が抜けたアルベルの胸に手をついて、少しだけ距離を取った。長い前髪を掻き上げて、なだめるように唇が落ちる。まるきり子供扱いされていることに気が付いて、アルベルの頭にかぁっと血が上る。
「大体、私は「歪のアルベル」を知らないのよ? 私が知っているのは「アルベル・ノックス」だけで、パーティにいるあなただけで……私の知る限りのあなたは怖くなんかないわ」
「……うるせえ」
「嫌われることが怖くて距離を取られることが怖くて、だから自分から乱暴な言動をして人を寄せ付けないようにしている、淋しがり屋の――図体ばっかり大きいだけの子供じゃない。図星指されて本気で怒るなんて、いかにも子供でしょう。
わたしはあなたを怖いと思ったことなんて、一度だってないわよ」
「黙れ」
発熱で回転の鈍い頭が、どうやら悪口を言われているらしいとようやく理解しはじめた。低く唸れば、ほら簡単にすねる、とマリアが歌うようにつぶやく。つぶやいて、彼の額に再び――祝福のような口付けが降って、くすぐったいような居心地の悪いような感覚に思わず身をよじる彼を、マリアがぎゅっと抱きしめた。
「本当に怖いと思ったら、あなたが嫌いなら。今のあなたはこうして生きてなんかいないわよ。この国の人がなりふりかまわずあなたを抹殺する気なら、ここで食事するたび眠るたび、いちいち気にしなきゃならないじゃない。いっそ、自意識過剰だって言ってあげましょうか? あなたが思っているほど、まわりはもうあなたを怖がってなんかいないわ」
言っている内容は多分に彼を馬鹿にしたものではあったけれど、穏やかな口調にアルベルのささくれ立った心がゆっくりと収まっていく。なだめるように背中を叩かれて、悪夢にざわついていた心がゆっくりと平穏を取り戻す。
「落ち着いた? ああせっかくのスープが冷めちゃうわ、早く食べて。……他にほしいもの、何かある?」
「……お前」
「!! ……げ、下品な冗談言えるってことはずいぶん回復したのね……!」
口元だけは微笑んだマリアに頬をつねられて、ぼんやりと痛みに顔をしかめながら、アルベルがふっと口元を緩めた。
熱のために朦朧とした頭はもうすでに何を言われたか覚えていなかったけれど、言ってほしいことを言ってもらえて。
なんだかすっきりした気持ちだけは残っていた。
