空は女の髪の色に染まっていて。白く林立した石も同じ色に染まっていて。音のない風に髪が服が揺れて、時おり瞬く以外に女は動かなくて。
――時間が止まってしまったような、そんな錯覚に陥った。
「お前どうせ暇なんだろ。もう少ししたら夕飯だってクレアさんが言っていたから、ネルさん探して連れて来いよ」
「あァ……!?」
河岸の村アリアス、夕刻。領主屋敷の一角にて。
なぜか屋内にもかかわらず鉄パイプをかついだフェイトが、部屋でガントレットの整備でもしようかとしていたアルベルの前に現れるなり、前触れもなしにそう言い放った。口調も表情も爽やかこの上ないのに、どろどろした怖いモノを言葉の裏に感じ取って。言われたアルベルは凶悪な目付きで不機嫌にうめいたものの、こっそり確かに逃げ腰だったりする。
「なんで王でもねえてめえに命令されて、それに従わなきゃなんねえんだよ」
入浴時就寝時以外は基本的に着けっぱなしのガントレットを、かすかに動かしてみる。脅しではなくてそれは本当に確認で、しかしフェイトはかついだ鉄パイプににっこりと目を向けた。
「……この前の合成で、これもだいぶ強くなったんだ。ためしてもいいかい?」
「質問に答えろってーか良いわけねえだろこの阿呆!!」
どうしようもない怖気に、野生の勘が危険を告げる。アルベルは悔しさいっぱいでくるりと踵を返した。これは逃げるわけではない。断じて逃げるわけではない。――というか、こんな相手にこんなもんで殴られた結果こんなところで死ぬことにでもなったら、今は亡き父に顔向けできないどころの話ではない。
――そんなわけで彼は村の中を徘徊することになった。
白い石が黒い土の上にある。一見してここしばらくしょっちゅう掘り起こされていることが分かる土の上に、規則的に並んでいるのか雑然と置かれているのか分からない、一抱えほどの白い石がたくさん転がっている。
その石たちを前に一人ネルがたたずんでいた。
――おいてめえ、何やってるんだ。
言いかけた言葉は音にならない。
首元の布がなびいて丈の短い服の裾が揺れて短く揃えた髪が乱れて、風のいたずらをきれいに無視して、ただ――目を伏せて黙祷している。しばらくそうしてから次の石の前に立って、同じように目を伏せてふとその口が何かを紡いでいるのが見えて。
きっと、アペリス教経典だかの決まりきった一節を口にしているのだと思う。思うけれど確証はなくて、確認のために風下に立とうとたとえ思ったとしても、やはり身体は動かない。
空は女の髪の色に染まっていて。白く林立した石も同じ色に染まっていて。音のない風に髪が服が揺れて、時おり瞬く以外に女は動かなくて。
――時間が止まってしまったような、そんな錯覚に陥った。
「――で、あんたはいつまでそこでぼーっとしているつもりだい?」
背を向けたネルが不意につぶやいて、その声に瞬いたアルベルは瞬間我に返った。今までの順番的に一番最後、奥まった場所の古びた墓石を前に紫がちらりと彼を射る。
「……余計な世話だ阿呆」
「へえ」
今までとは違ってずいぶん短い黙祷をして、再び振り返った顔が何かを言いたげで。そのころには完全にいつものペースを取り戻したアルベルが、呼ばれたから仕方がないんだと言わんばかりに墓所入口から彼女の脇に移動した。
何とはなしにその墓石を眺めながら、つぶやく。
「……身内以外のやつの墓参ってのは祟られるとか言わねえか」
「そうかい? あたしは知らないけどね。……大体、身内じゃないなんて決め付けるもんじゃないよ」
「阿呆。ここにある墓石の主全員と親族だってのか。どうせならもっとマシな嘘を吐け」
「何をもって「親族」とするんだい? 同じシーハーツの民だ。どこかに遠く血は混じっているだろうさ」
――根拠はないけど、否定もできないだろう?
紫が優しく揺れる。
屁理屈を、と思う。思ったものの、アルベルは鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。ただじっと古びた墓石に目をやって、ネルが口の端で笑う。
「……知り合いか」
「ああ――遺体は、ないんだけど」
「?」
つい、と撫でられた元は白かった墓石。今は風雨に汚れ、歳月を経て薄汚れた白い石。
口元をほころばせた彼女は遠い目をする。
「父さまが亡くなったことを知った時、いても立ってもいられなくなってシーハーツの西のはずれのこの村に来たんだ。正式な墓はシランドにあるけど、そっちにだって遺体はない。なにしろアーリグリフで「戦死」したからね。
あたしにとっての父さまの墓は、だからクレアと一緒に遺品を埋めたここなんだ」
「……そうか」
ふっと顔を上げたネルが背後を振り返って、背後の新しい墓石たちを振り返って複雑に笑う。
「父さまは――父さまに見守ってもらうつもりでここを選んだんだけど。まさか今になってこんなに狭くなるとはね。あのころは、ここはもっと広くて……、
たくさん……たくさん、人が亡くなったんだね……」
泣き笑いによく似た顔。決して涙をこぼすことはない、少なくとも涙を他者に見せることのないクリムゾンブレイドの、きっと精一杯の泣き顔。アルベルは目を細める。
「――俺を、憎むか?」
わざとらしくガントレットをがちゃつかせて、
「てめえは、俺を憎むか……?」
にやり、酷薄に笑ってみせる。
アルベルは、先ほど向けられた兵士や村人たち目を思い出していた。敵意と怒りと嘆きと悲しみが複雑に混ざり込んだマイナスの視線。その時は別にどうとも思わなかったのに、決して彼を責めないネルには罪悪感めいたなにかがこみ上げる。
「戦場だろうがそれ以外の場所でだろうが、向かってくるやつぁ区別なく斬った。鮮血の色ににおいに酔った。いまさら何をどう否定しようも隠しようもねえよな、俺のこの手は血でどろどろに汚れている。
もし……てめえが望むなら、そうだな。てめえになら……憎まれてやってもいい」
言っているうちにこみ上げる苦い味に、自然渋い顔になりかけて。けれど口元の笑みは消さない。
――数え切れない人間を、兵士だろうがそうでなかろうが男も女も老いぼれもガキも、みんな斬り殺してきた。向かってきた時点で「敵」とみなして、ひょっとしたら回避できた戦いでも容赦しなかった。相手が強ければ強いほどそこに楽しさを見出した。殺す価値すらない弱いやつを、しかしそれでも「敵」だったなら見逃しはしなかった。
シーハーツもアーリグリフも関係ない。このささやかな墓地に眠る人間のうち、彼が手にかけた人間がいないなどと言うつもりはない。シーハーツに与するだけでネルが身内扱いするのなら、彼女の身内をアルベルは何人も惨殺してきたことになる。
言い訳はしない、後悔もない。
――彼女が自分を憎むというのなら、それもアリだと思う。
問いかける紅に、きょとんと優雅に瞬いた紫。やがてそこにじわじわと広がる――呆れの色。
「――馬鹿だね。あんたを憎んだって何も変わらないじゃないか」
「あァ?」
すっぱりと言い切る、強くて優しい瞳。ふっと微笑む。
「あんたを憎んだところで、死んだ人たちが生き返るわけじゃない。当たり前のことだろう? そんなことで同じパーティにいるやつ憎んだりしたら、馬鹿馬鹿しい上に疲れるじゃないか」
大袈裟に肩をすくめて、不本意だと言いたげにわざとらしく息を吐いて、
「そもそも、あんたのこともうだいぶ分かっちまったおかげでね。憎もうとしたって、無理なんだ。知らない時なら血に餓えた狂犬だとでも思って何も考えずに嫌っていられたけどさ、今はそうじゃないってことを知ってるから。
確かにあんたはシーハーツの民を殺しただろう。けど、それならあたしだってアーリグリフの人の血を浴びている。自分のしたことタナに上げて、あんたを憎むなんて――あいにくあたしにゃ無理だよ」
視線を墓石に戻して、唖然とネルを見ていたアルベルもつられてそちらに目をやった。空の色はいつしか藍にまで落ち着いていて、先ほど女の髪の色に染まっていたそれは、今は薄闇に白く浮かび上がる。
「憎むことができれば楽だけど、あたしにはできない。死者を悼む気持ちを持つやつを、あたしは嫌うことができない。
この……なんて言うのかな、もやもやした気持ちと、罪悪感とやるせなさと二度と会えない人に対する淋しさと……そういうモノを抱いて、あたしは生きていくさ。いつか死ぬ時まで生き続けてやる」
――あんたも、そうじゃないのかい? ねえ、「歪のアルベル」??
透明な、強い笑み。強くて優しくて美しい女。
知らず伸ばそうとした手を握り締めて、アルベルは目を伏せた。こみ上げた気持ちが掴めなくて、暖かなそれにただ目を伏せた。他にどうするべきなのか、――分からなかった。
「……さてと。で、あたしを探してたんだろ。なんだい?」
「――、あー……フェイトの阿呆が……」
「ああ、そろそろ夕飯だね。それだろう?」
瞬き一つでネルの顔が別のものに変わって。シリアスだった雰囲気が瞬間きれいさっぱり消え失せて、アルベルが目を瞬いて。
馬鹿話をしながら、じゃれるように二人は領主屋敷へと戻っていく。
瞬間ごとに濃くなっていく闇の中、無人の墓地で。白い石たちがただ、そこに並んでいた。
