「……何でだろうね?」
ささやいた。揶揄のつもりはなくて、ただ純粋に不思議に思っていた。
「何であたしはあんたなんかを選んだんだろう。何であたしは、」
ふっと目を伏せてただゆっくりと、
「……あたしは、」

―― 由頭 [共にいる理由]

バール山脈バール遺跡。ドラゴンと人間の共存がどうとかいう、御大層な名目を掲げた過去の研究施設。夜。
一行はその日の探索を終え、適当なところで野営の準備をしていた。
野営時の周辺の見回りはいつの間にかアルベルの役目になっていて、その日もいつもと同じく装備に身を固めた彼の背中を見送って、
「……?」
ふと違和感を覚えたネルが、いぶかしそうに眉をひそめた。

◇◆◇◆◇◆

大体十呼吸に一回くらいの割合で、リズムが狂う。そもそも戦闘時のあの変な笑い方さえ除けば常に仏頂面なのが、今日はさらに奥歯を噛みしめていて緩まない。足取りに乱れはなく、しかしかすかに身体の重心がぶれている。
第一、完璧には消しきっていない彼女の気配に気付かない。
「……あんた、馬鹿だろう」
「っ、!?」
擬音を見ることができたなら「ぎくり」以外になかったと思う。一瞬硬直した細身の身体が、ぎごちなく声の方に振り向いた。
仲間たちとはそれなりに離れて、反響でも声が届かないそんな位置。時おり灯る光、薄暗い通路に。赤毛の女隠密と黒衣の剣士、今は二人しかいない。
「怪我してるだろう……痛みを押し殺せるから隠し通せるとでも思ったのかい? それこそ馬鹿だね。あいにく職業柄、隠してあるものを見つけるのは得意なんだ」
「て、め……っ」
物陰から現れたネルは、無造作に彼との距離を詰めながらひょいと肩をすくめた。そうしてから思わず立ち止まっている剣士に最後の一歩を一気に詰めて、いっそ熱烈な勢いでもって――抱き付く。
普段なら舌打ちのひとつでもして、しかしそんな彼女をこともなげに支える――もちろん他でもない彼女がそんなことをするなど、よほどタチの悪い薬などに惑わされたとき以外にないだろうが――だろう男は、今日は彼女を支えきれずに自身すら支えきれずに、薄暗い通路の壁に背中から倒れ込んだ。
鈍い音が通路に響いて、しかしどうやら仲間たちにそれは伝わらなかったようで、
彼女をくっつけたまま、床にへたり込む。
「――痩せ我慢もそこまでいけば大したものだね?」
「……っ、」
睦言にも似たささやきに、男は結局仏頂面のまま紅い目を細めただけだった。

「さて、どこにどんな怪我を負ったか、素直に吐く気はあるかい?」
「……気のせいだ阿呆」
薄闇に男を押し倒した女と、女に押し倒された男。片方は声からでも分かる笑いの色をひそませて、片方は渋い渋い苦い色を隠そうともしない。
ふぅん、とやはり笑いのにじんだ声で笑って、女――ネルは右手をアルベルの丈の短い上着の裾にもぐりこませた。
直接触れているからこそ分かる程度に、彼の身体が跳ねる。
「――本当に気のせいなら、まずこんな状況を打破していると思うけどね?」
あんたのことだ、女に押し倒されるなんて無駄に高いプライドが許さないだろう?
楽しそうに笑いながら手がじわりじわりと動き、紫の奥で真剣に男の反応を探っている。探られている男の方は奥歯をきしませてそっぽを向いて、あくまでなんでもない風を装っている。
けれど、決して彼女を引き剥がそうとはしないそのことで、怪我をしたことを肯定したも同じで、
「……いい加減にしろクソ虫がッ」
どういうタイミングを計っていたのか、やがてネルの細い肩を掴むとぐいと押して、そのタイミングで自分の身体をひねって逃げようとする。

「――やっぱり馬鹿だね」
ネルはすっと目を細めた。口元の笑みが消えていることは自覚していたし、別に悪戯やからかいでこんなことをする趣味は、彼女にはない。
「どういった経緯であんたがこんな場所に怪我したのか、つくづく疑問だよ……」
「て、め……!! もう少し恥じらいとか持ったらどうなんだ!?」
「あんたにそういう関係のことどうこう言われるなんて世も末だね!! 大体それどころじゃないだろう何だいこの怪我は!!??」
ふと漂った血のにおいとアルベルの反応に。彼の下衣をばさりとめくり上げたネルが、どこまでも鋭く言い切った。
生地に隠されていた右大腿部の真ん中あたりに分厚い布が巻かれていて、しかしそれでも吸いきれなかった血がぬるりと脚に血の筋を描いている。動脈でも傷付けているのか、すっかり乾いて変色した部分もある布にしみこんだ赤は、いまだ止まっていないようだ。
「こ、んな……こんな怪我であんた……! こんな怪我しておいていつもどおりのふりしてただって!? 冗談じゃないよ、下手したら障害が残るかも……最悪死ぬかもしれない傷じゃないか!!」
「だからあいつらから離れてからどうにかするつもりだったんだよ……! いいから離せ、阿呆」
ここまで見られたら、さすがに隠すも何もあったものではないと。
先ほど押しのけようとしたまま、彼女の肩にあった手に力がこもる。そこから伝わる万力にも似た強い力に、しかしネルはさらに柳眉を吊り上げる。
「指先が冷たいし握力だって落ちてる!! バカとかアホとか言ってる場合じゃないね、……脱ぎな!!」
ごそごそと荷物を探って清潔な布と水筒、新しい包帯を取り出して、
「……つっ」
水筒の中身を傷周辺にぶちまけてから、息を吸って気を落ち着かせて、腰の後ろにさしてある短刀で血止めの布を切り裂いた。

◇◆◇◆◇◆

「ヒーリング!」
かざしたてのひらに光が凝って、やがて薄れて消えた光に傷口を濡れた布でぬぐう。けれど傷は、何かが貫通したような深い傷にはまったく変化がないようで、唇を噛んだネルがもう一度同じ呪文を唱える。
「ヒーリング」
「……止めろ。必要ねえ、キリがねえんだ」
「このまま放っておけるわけないだろう馬鹿! 今さらそんなこと言うなら、そもそもこんな傷作るんじゃないよ……ヒーリング!」
呪文を唱えて傷口を確認して、また呪文を唱える。用意した布は水と血を吸ってすぐに重く汚れて、元から血止めに使っていた布には赤以外の色の部分がなくて、新たに荷物を探ってさらに清潔な布を取り出して、
「――ヒーリング……!」
「必要、ねえ……やめろ」
血を吐くようなうめきにネルはしかし首を振る。
「ヒーリング」

「……阿呆。これは、どうにもなんねえんだ……もう止めろ、ふらふらじゃねえか……!」
何度かけても変化がない傷口。ぱっくりと開いた傷、流れ続ける血。アルベルの言葉どおり精神力を消耗してふらふらになったネルが、貧血に青い顔で無言でアルベルを見上げる。
「これは……過去の、傷だ……。理由はともあれこのあたりに来ると……身体が勝手に騒ぎ出しやがる。何もしなくても、傷ができて治らねえ」
「……!?」
「どうしようもねえんだよ……術もアイテムも効かねえんだ」
ちくしょう、俺はまだ過去に捕らわれたままか。
血を吐くようなアルベルの声に、何かを言いかけて――一瞬目の前が真っ暗になったかと思うと、ふと気が付けばネルは彼の肩口に身をもたれかけさせていた。
貧血だけではない。この傷が誰にもどうにもできないと知った瞬間、絶望で目の前が真っ暗になった。悔しさが最後の一押しをした。
まとまらない思考でかすんだ視界で懸命にあがいている彼女をよそに、アルベルはひとつ息を吐くとてきぱきと手を動かす。先ほどネルが取り出した清潔な布を傷口に当てて、それを包帯で縛って固定して、さらにきつく圧迫する。怪我をしているのとは別の場所に小さな鞘付きのナイフを突っ込むと、ねじり上げて出血を抑えようとする。
手馴れたそれを、荒い息を吐くネルは見ているしかできない。
「余計な気を回すな、ここさえ離れりゃ傷口ごとあっさり消える。流れた血は元に戻らねえが、てめえが気にすることじゃねえ。戦闘にも影響は出さねえから」
うめくような低い声。そういえば、その声に痛みの色だけはない。過去の傷、通常の怪我でないことは本当なのか。
――けれど、何もできないことがネルには悔しい。

「……何でだろうね?」
ささやいた。揶揄のつもりはなくて、ただ純粋に不思議に思っていた。
「何であたしはあんたなんかを選んだんだろう。何であたしは、」
ふっと目を伏せてただゆっくりと、
「……あたしは、」
「――青い顔して無理すんな。寝てろ」
いかにも弱っているせいなのか、いつもよりも優しい言葉に首を振る。
「……あたしがここにいる意味は、なんだい? 普通の怪我じゃないのが確かでも、何もできないくせにあたしは……」
「――てめえが気にすることじゃねえ。黙ってろ」
「いやだ!!」
大声に、ネル自身が瞬く。その目からこぼれた雫に、誰よりも彼女自身が驚く。
「……いやだ……せっかく、そばにいるのに。それなのに何もできないなんて、血を止めることすら、あんたの傷を癒すことすらできないなんて……」
ほろほろとこぼれる涙を止めることは諦めて、ゆるく首を振る。
「……あたしがここにいる意味は、ここにいるわけは、
――あんたを助けたいと、そう思ったのに」
貧血で頭がぐらぐらする。気分が悪い、吐き気がする。――気が、遠くなる。

――なんでだろう、あんたを、他でもないあんたを、その傷を怪我を過去を、癒したいのに。それができないのに、できないあたしがここにいる意味はなんだろう。
ネルの意識が闇に染まる。真っ暗な視界の中、暖かなものに包み込まれる。
涙がただ、頬を伝った。当分止まりそうにないことだけが、ネルには分かった。

―― End ――
2004/10/11UP
共にいる理由 / 創作さんに15のお題_so3アルベル×ネル_
OFP
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由頭 [共にいる理由]
[最終修正 - 2024/06/14-15:20]