ずっと欲しかったものに手を伸ばした。
欲しがっていたことにすら気付かなかった、けれど気付いてしまったならもう我慢できなかった。最初は気付かないようにしてみたけれど、自分を誤魔化すことはやはりできなかった。気も狂いそうな心を抱えて押さえつけてみても、すぐに限界が来て。
拒絶されてからどうしようかを考えようと。そんなことすら思う余裕のないままに、
――ずっと欲しかったものに手を伸ばした。
「……あんたさ、不満があるなら口に出すとかしてほしいんだけどさ」
赤毛に黒衣の女が唸った。唸られた彼はいつものように半眼で、ただぶすっとそんな彼女を見ている。
「不本意でも何でも、しばらくは一緒に行動するしかないだろう。だったらもう少し……何とかしようと思うのは、どこかおかしいかい?」
アリアスの領主屋敷二階、彼らにあてがわれた部屋。ベッドに横になって自分の腕を枕にするアルベルと、そう言う本人の方こそぎすぎすした殺気を纏って仁王立ちになっているネル。
部屋には二人しかいない。他の仲間たちは買い出しなり散歩なりと、屋敷にすらいない。
「ただじっと見られるのは、……腹が立つんだよ」
紫の目が炯々と、けだるい紅をにらみ付けている。
四人がアーリグリフの地下牢に捕らわれていたアルベルを迎えに行って、彼が一行に加わって数日が経過していた。
アーリグリフからカルサアを経由してアリアスまで。ショートカットできる距離を「親睦を深めるため」と地道に徒歩で移動して、明日ようやくバール山脈に向けて出発する。その、前日。
その、ほぼ移動だけで費やした数日の間、どうやらずっと彼の視線が気になっていたらしい。ネルが数回深呼吸して、再びアルベルをにらみ付ける。
「あたしは、正直確かにまだ納得できていないさ。いくら陛下の命でも、その命の意図が理屈では分かっても――頭が理解しても心が納得できない。
けどね、陛下の命に背く選択肢なんかはじめからないんだ。どんなに理不尽でも不本意でも、命じられた以上はあんたを同行者として認めるしかない」
ただね、と肉食獣の獰猛さを連想するその目は、どこまでも鋭い。
「理由がどこにあろうと、あんたがシーハーツの……あたしの縁者知人や部下や市民たち、シーハーツに縁のある人間を殺した事実だけは捻じ曲げさせるつもりはないし、それを許すつもりなんかない。絶対に、許さない。
――けどね、それ以上に、」
ここまで来てやはり眉ひとつ動かさないアルベルに、かっと顔に血を上らせて、
「一体何考えているのか知らないけどさっ! うっとおしいんだよ殺気でもなんでもない視線をずっとぶつけられてるってのは!!」
怒鳴った様がまるで潔癖な幼い少女のようにしか見えなくて。かすかに目を細めたアルベルに、ネルの顔の上気は引かない。
はじめて逢ったカルサア修練場で、二度目に逢ったベクレル山道で。色の乏しい場所で彼女の髪の赤が色鮮やかで、瞳の紫が鮮やかで。理由は分からなかったけれど、その色はアルベルの脳裏に刻まれて。
理由は、分からなかったけれど。
捕らわれていた身も凍るような地下牢で、身動きを封じられて時間だけはありあまっていたそこで、ただじっと考えていた。父を亡くしてから色を失っていた世界を塗りかえた、赤と紫について考えていた。考えるつもりがなくても目の奥に広がる色に、その理由を突き詰めざるを得なかった。
けれどどれほど考えても答えは見つからなくて。
時間の経過も忘れたころに、彼は戒めから解き放たれた。一団の最後尾、敵意と殺意を映した紫に答えの手がかりを見つけた気になって――いや、理由などどうでもいい、目が離せなくなって。
そうして一行に加わってから、彼はその赤を紫を常に視界に入れるようになった。そうしたかったというよりは、そうしないとやけに不安になった。視界の片隅にでもその色があれば、世界はこれほど鮮やかなのかと感嘆するほどに美しく。なければただ濃淡があるだけの灰色一色に沈んで。その差がどこから来るのか、ずっとずっと考えていても、答えは見つかるような見つからないようなひどく曖昧なラインにあって。
「不満があるなら、口で伝えな」
――気持ちに名前を付けることが、本当にできるのだろうか。一般に言われているその感情は、果たして全人類共通だろうか。
そんなことを、考えていたわけではもちろんなくて。
「……っ、無視か……まあ、いい。けど、次は――」
戸惑っていると勝手に結論を出して、彼女はアルベルに背を向けた。そのまま部屋を出ようとして、それが哀しくて。アルベルは手を伸ばすと、触れたもの――ネルの細い手首を掴んで引き寄せる。
その時ふっと、何の前触れもなく「答え」が浮かんだ。
一度見つけてしまえば、もう言葉さえもいらない。いらない、けれど――どうしたら良いのかよく分からない。
ただ、ずっと欲しかったものに手を伸ばした。
欲しがっていたことにすら気付かなかった、けれど気付いてしまったならもう我慢できなかった。最初は気付かないようにしてみたけれど、自分を誤魔化すことはやはりできなかった。気も狂いそうな心を抱えて押さえつけてみても、すぐに限界が来て。
拒絶されてからどうしようかを考えようと。そんなことすら思う余裕のないままに、
――ずっと欲しかったものに手を伸ばした。
「な、なんだい!?」
あわてた声に、考えに伏せていた目を上げて。アルベルは――はじめて自分からまっすぐにネルを見つめて、
何を言いたいかも把握しないまま、ややためらったあと……その口が開いた。
